2010年08月20日
ソメイヨシノが連作障害?!
信州はお盆を過ぎると急に涼しくなるのが普通なのに、この暑さは何だ!という今日この頃。
今まではクーラーなしで乗り切っていた我が家も、とうとうクーラー設置しました。
そんな暑い中、熱いメールを鹿児島からいただきました。
以前このブログでも紹介した(2月3日の記事)、水から液化ガスを作ることに成功したという(株)日本テクノの大政社長の講演会が鹿児島で開催されるそうです。
以下は、主催される(株)鹿児島超音波総合研究所の坂元氏からの熱~いメッセージです。
『水から酸素と水素ガスを取り出す。
そりゃ私の素人考えでもH20ですから・・・できるっしょ!
言うはやすし・・・・
ブラウンガスといって昔から概念はありましたが・・・
でも水素と酸素が混ざると爆発するし、貯蔵できないし・・・・・問題あり~
世界中で研究者が次々爆発で死ぬし・・・・・
そして世界は水素ガスの研究の時代へ・・・ところが世界中いまだにこれも出来ない
ところがところが、東京・大田区の中小企業の親父さんがつくってしもうた!
その日本テクノ㈱の大政龍普社長が鹿児島へやって来ます。
なんとなんと会場でその場で・・・・この水、作って見せてくれます。
鹿児島の皆様ぜひ会場へ来てご一緒にご覧いただけませんか!
しかもこの水エネルギーになるだけじゃない。
人間にも動物にも植物にも薬としても使えます。
ほとんどの産業で使えるのです。あなたの企業でも。
あなたのクリニックでも研究室でもご家庭でも。
温泉やプールの水も殺菌できる。しかも低コストで!
次亜塩素酸ソーダがいらんし・・・肌はつるつるになり塩素臭もなし
農業でまけば害虫がいなくなるし・・・・人間に無害・・飲めるし・・・・
家庭でも企業でも誰でも簡単に使える・・・・・
もうバイクは走っているし・・・・
金属溶接機は実用化されチタンでもタングステンでも・・・・バッチリ。
官僚も政治家も聞く耳もたんのです。
ご自分の目と耳で21世紀の新技術をご確認ください。
「水がエネルギーと薬に変わる日」
8月24日(火)18:00開場 18:30開演
鹿児島市与次郎ヶ浜「南日本新聞本社」みなみホール
前売り1,500円(当日2,000円)
先着300名・・・こんなでかい会場借りて、
こんな信じられないような講演会の案内するものですから動員できずに困っています。
人はチンケな嘘にはすぐ騙されますが、大きな真実には向き合えません。
どうか一人でも知り合いを連れてきてください。
あなたがお一人で見ても誰も信じてくれません。
「水からエネルギーや薬ができた!今日この目で見てきた」というと
「やはりこの人おかしくなってきた」と言われます。
あなたはこのメールを信じない!
それが普通です。
でもでも企業家にもドクターたちにも、家庭の主婦の皆様にも知って欲しい、見て欲しい・・・・
水からエネルギーは作れるのだ・・イやもう作っている
完成しているのです。
ドクターの皆様、ご協力が必要です。あなたの研究室、クリニックで「俺が実験してやる」とお申し出ください。
企業家の皆様、俺が使ってやる、売ってやるとお申し出ください。
ご家庭の主婦の皆様、まな板でも食べ物でも殺菌できて、アトピーも床ずれも吹きかけるだけで治っているのです。
お困りの方お申し出ください。
大政社長も「鹿児島には俺を呼ぶようなアホがいた」と喜んでいるのです。
わくわくします。
生きている間にフリーエネルギーを実際に、鹿児島で全国に先駆けて見れるとは思いませんでした。
鹿児島から人類を救いましょう!
あたしゃアホですかね?
前売りあります。
お申し込みはinfo@ksl-net.com
願わくばこの大政社長の技術が人類を救い、地球からエネルギーを奪い合う馬鹿げた戦争がなくなり、真の平和が訪れますように!
8月24日(火)会場にてお会いしましょう! 』
・・・・ということでした。
さて、世界のあちこちで異常気象による異常現象が頻発しておりますが、おとといだったでしょうか、NHKテレビで『今、全国のソメイヨシノに異変が!』というテーマで番組をやっていました。
ソメイヨシノという桜は皆さんご存知ですよね。
今、この世にあるソメイヨシノはすべて、1本の木から始まったクローンだったって知ってました?
そのソメイヨシノが今、原因不明で枯れるという事態があちこちで起こり始めているそうです。
もともと生物は、雌の卵子からクローンを作って増やすことが出来るにもかかわらず、なぜオスとメスの両方による生殖が必要かと言えば、出来るだけ色々な情報を混ぜ合わせて種(しゅ)を増やした方が、何かあったときに絶滅の危機をまぬがれやすくなるからだと言われています。
しかし全く同じ遺伝子から増やしていくクローンは、情報が単一なために、危機があったときに全員がやられるという危険性を持っています。
その意味で、ソメイヨシノが今アブナイ状態なのだとテレビで解説者が話していました。
そしてなぜ枯れるのかの原因を、観光地などで大量の本数を密植したため、お互いに土の養分を奪い合ったからと、花見客によって土が踏み固められてしまったからではないかと話していました。
まぁそれも一因ではあるでしょうが、「生体エネルギー」という観点からは別の推測がされると思います。
ハッキリした原因がわからずに植物が枯れていったり、病害虫にやられ易くなる現象に「連作障害」があります。
農業では同じ土地に、同じ種類または近種の作物をくりかえし植えると、やがて収量が落ちたり育たなくなる現象があり、これが連作障害です。
ダイコンやナス科の植物はこれが起こりやすいので、毎年場所を変えて植えた方がいいと言われています。
我が家の近くでも今年の春から、背後の山を越えた群馬県側からやって来たキャベツ農家が、土地を借りてキャベツを作り始めました。
聞くところによると、今までの畑で連作障害が起こってしまったので、しばらく土地を休ませなければならないという事でした。
ところがその土地に、ちがう種類の作物を植えるときちんと育つということがあるそうです。
一般にはなぜ連作障害が起こるのか、なぜ違う種類の作物なら育つのかの理由は分かっていません。
これは生体エネルギーの観点からなら、原因は明らかです。
その土地から、ダイコンならダイコンを作るための『情報』、キャベツならキャベツを作るための『情報』が不足したために、それらが作れなくなったのだと生体エネルギーでは考えています。
そしてダイコンを作るための情報は不足しても、他の野菜を作るための情報が残っていれば、ダイコン以外は育つのだと考えられています。
土地から『情報』が不足する?なんだそりゃ!?
・・・・と思われるかも知れませんね。
植物が育つのに必要なのはチッソ、リン酸、カリ云々の栄養だろ?それと堆肥と微生物というのは聞いたことがあるけど、『情報』不足で作物が育たないなんて聞いたことがないゾと皆さん思われるでしょう。
連作障害を起こした土地を調べても、栄養や堆肥や微生物など今まで必要だと言われてきたものは不足していません。
しかし明らかに植物は育たない・・・。
となれば、化学分析には引っかからない何かが足りないんだよね?
と、生体エネルギー技術の創始者の佐藤政二氏は考えられました。
そう、土から不足していたのは『生体エネルギー』だったんです。
昔から土地が作物を育てる力のことを『地力』と言うではありませんか。
そういう力、すなわちエネルギーというものがあり、それが不足して連作障害が起こると考えられるのです。
なるほどエネルギー不足で作物が育たない、それは何となく考えられるけど、さっき連作障害は『情報』不足で起こると言ったんじゃないの?
ハイそうです。情報不足で連作障害がおこります。
なぜなら、生体エネルギー=情報だからです。
私たちはエネルギーと聞くと、何かをする為の力、パワーとしか思いません。
しかし生体エネルギー技術では、エネルギー=情報と考えているのです。
で、ソメイヨシノの話題に戻りますが、ソメイヨシノがクローンということは、同じ種類どころの話ではない!全く同じ遺伝子を持ったものが同じ場所に密植されているということですから、それはもう連作障害が起こっても不思議はないでしょう。
まったく同じ『情報』を、何本もの木で奪い合うわけですからね。
だから単に栄養不足とか、花見客に踏まれた土が固くなったからということではないと思うんですよ。
・・・で、植物の連作障害から我々が学べることをひとつ提案します。
もし「好き嫌い」のはげしい性格の人がおられたら、要注意です。
そういうタイプの人は、自分の好む情報は受け入れるが、嫌いなものは断固拒否!ですよね。
するといつの間にか自分を作っている情報がかたよってしまうため、色々な条件の場で生きることが出来にくくなってしまうと考えられます。
つまり連作障害を起こしやすい人間になってしまうということです。
会社勤めが続かなかったり、人間関係でトラブルを起こしやすかったり、最近あちこちで聞かれる様々な問題は、もしかしたら人間の連作障害かなぁ・・・と思う今日この頃でした。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
今まではクーラーなしで乗り切っていた我が家も、とうとうクーラー設置しました。
そんな暑い中、熱いメールを鹿児島からいただきました。
以前このブログでも紹介した(2月3日の記事)、水から液化ガスを作ることに成功したという(株)日本テクノの大政社長の講演会が鹿児島で開催されるそうです。
以下は、主催される(株)鹿児島超音波総合研究所の坂元氏からの熱~いメッセージです。
『水から酸素と水素ガスを取り出す。
そりゃ私の素人考えでもH20ですから・・・できるっしょ!
言うはやすし・・・・
ブラウンガスといって昔から概念はありましたが・・・
でも水素と酸素が混ざると爆発するし、貯蔵できないし・・・・・問題あり~
世界中で研究者が次々爆発で死ぬし・・・・・
そして世界は水素ガスの研究の時代へ・・・ところが世界中いまだにこれも出来ない
ところがところが、東京・大田区の中小企業の親父さんがつくってしもうた!
その日本テクノ㈱の大政龍普社長が鹿児島へやって来ます。
なんとなんと会場でその場で・・・・この水、作って見せてくれます。
鹿児島の皆様ぜひ会場へ来てご一緒にご覧いただけませんか!
しかもこの水エネルギーになるだけじゃない。
人間にも動物にも植物にも薬としても使えます。
ほとんどの産業で使えるのです。あなたの企業でも。
あなたのクリニックでも研究室でもご家庭でも。
温泉やプールの水も殺菌できる。しかも低コストで!
次亜塩素酸ソーダがいらんし・・・肌はつるつるになり塩素臭もなし
農業でまけば害虫がいなくなるし・・・・人間に無害・・飲めるし・・・・
家庭でも企業でも誰でも簡単に使える・・・・・
もうバイクは走っているし・・・・
金属溶接機は実用化されチタンでもタングステンでも・・・・バッチリ。
官僚も政治家も聞く耳もたんのです。
ご自分の目と耳で21世紀の新技術をご確認ください。
「水がエネルギーと薬に変わる日」
8月24日(火)18:00開場 18:30開演
鹿児島市与次郎ヶ浜「南日本新聞本社」みなみホール
前売り1,500円(当日2,000円)
先着300名・・・こんなでかい会場借りて、
こんな信じられないような講演会の案内するものですから動員できずに困っています。
人はチンケな嘘にはすぐ騙されますが、大きな真実には向き合えません。
どうか一人でも知り合いを連れてきてください。
あなたがお一人で見ても誰も信じてくれません。
「水からエネルギーや薬ができた!今日この目で見てきた」というと
「やはりこの人おかしくなってきた」と言われます。
あなたはこのメールを信じない!
それが普通です。
でもでも企業家にもドクターたちにも、家庭の主婦の皆様にも知って欲しい、見て欲しい・・・・
水からエネルギーは作れるのだ・・イやもう作っている
完成しているのです。
ドクターの皆様、ご協力が必要です。あなたの研究室、クリニックで「俺が実験してやる」とお申し出ください。
企業家の皆様、俺が使ってやる、売ってやるとお申し出ください。
ご家庭の主婦の皆様、まな板でも食べ物でも殺菌できて、アトピーも床ずれも吹きかけるだけで治っているのです。
お困りの方お申し出ください。
大政社長も「鹿児島には俺を呼ぶようなアホがいた」と喜んでいるのです。
わくわくします。
生きている間にフリーエネルギーを実際に、鹿児島で全国に先駆けて見れるとは思いませんでした。
鹿児島から人類を救いましょう!
あたしゃアホですかね?
前売りあります。
お申し込みはinfo@ksl-net.com
願わくばこの大政社長の技術が人類を救い、地球からエネルギーを奪い合う馬鹿げた戦争がなくなり、真の平和が訪れますように!
8月24日(火)会場にてお会いしましょう! 』
・・・・ということでした。
さて、世界のあちこちで異常気象による異常現象が頻発しておりますが、おとといだったでしょうか、NHKテレビで『今、全国のソメイヨシノに異変が!』というテーマで番組をやっていました。
ソメイヨシノという桜は皆さんご存知ですよね。
今、この世にあるソメイヨシノはすべて、1本の木から始まったクローンだったって知ってました?
そのソメイヨシノが今、原因不明で枯れるという事態があちこちで起こり始めているそうです。
もともと生物は、雌の卵子からクローンを作って増やすことが出来るにもかかわらず、なぜオスとメスの両方による生殖が必要かと言えば、出来るだけ色々な情報を混ぜ合わせて種(しゅ)を増やした方が、何かあったときに絶滅の危機をまぬがれやすくなるからだと言われています。
しかし全く同じ遺伝子から増やしていくクローンは、情報が単一なために、危機があったときに全員がやられるという危険性を持っています。
その意味で、ソメイヨシノが今アブナイ状態なのだとテレビで解説者が話していました。
そしてなぜ枯れるのかの原因を、観光地などで大量の本数を密植したため、お互いに土の養分を奪い合ったからと、花見客によって土が踏み固められてしまったからではないかと話していました。
まぁそれも一因ではあるでしょうが、「生体エネルギー」という観点からは別の推測がされると思います。
ハッキリした原因がわからずに植物が枯れていったり、病害虫にやられ易くなる現象に「連作障害」があります。
農業では同じ土地に、同じ種類または近種の作物をくりかえし植えると、やがて収量が落ちたり育たなくなる現象があり、これが連作障害です。
ダイコンやナス科の植物はこれが起こりやすいので、毎年場所を変えて植えた方がいいと言われています。
我が家の近くでも今年の春から、背後の山を越えた群馬県側からやって来たキャベツ農家が、土地を借りてキャベツを作り始めました。
聞くところによると、今までの畑で連作障害が起こってしまったので、しばらく土地を休ませなければならないという事でした。
ところがその土地に、ちがう種類の作物を植えるときちんと育つということがあるそうです。
一般にはなぜ連作障害が起こるのか、なぜ違う種類の作物なら育つのかの理由は分かっていません。
これは生体エネルギーの観点からなら、原因は明らかです。
その土地から、ダイコンならダイコンを作るための『情報』、キャベツならキャベツを作るための『情報』が不足したために、それらが作れなくなったのだと生体エネルギーでは考えています。
そしてダイコンを作るための情報は不足しても、他の野菜を作るための情報が残っていれば、ダイコン以外は育つのだと考えられています。
土地から『情報』が不足する?なんだそりゃ!?
・・・・と思われるかも知れませんね。
植物が育つのに必要なのはチッソ、リン酸、カリ云々の栄養だろ?それと堆肥と微生物というのは聞いたことがあるけど、『情報』不足で作物が育たないなんて聞いたことがないゾと皆さん思われるでしょう。
連作障害を起こした土地を調べても、栄養や堆肥や微生物など今まで必要だと言われてきたものは不足していません。
しかし明らかに植物は育たない・・・。
となれば、化学分析には引っかからない何かが足りないんだよね?
と、生体エネルギー技術の創始者の佐藤政二氏は考えられました。
そう、土から不足していたのは『生体エネルギー』だったんです。
昔から土地が作物を育てる力のことを『地力』と言うではありませんか。
そういう力、すなわちエネルギーというものがあり、それが不足して連作障害が起こると考えられるのです。
なるほどエネルギー不足で作物が育たない、それは何となく考えられるけど、さっき連作障害は『情報』不足で起こると言ったんじゃないの?
ハイそうです。情報不足で連作障害がおこります。
なぜなら、生体エネルギー=情報だからです。
私たちはエネルギーと聞くと、何かをする為の力、パワーとしか思いません。
しかし生体エネルギー技術では、エネルギー=情報と考えているのです。
で、ソメイヨシノの話題に戻りますが、ソメイヨシノがクローンということは、同じ種類どころの話ではない!全く同じ遺伝子を持ったものが同じ場所に密植されているということですから、それはもう連作障害が起こっても不思議はないでしょう。
まったく同じ『情報』を、何本もの木で奪い合うわけですからね。
だから単に栄養不足とか、花見客に踏まれた土が固くなったからということではないと思うんですよ。
・・・で、植物の連作障害から我々が学べることをひとつ提案します。
もし「好き嫌い」のはげしい性格の人がおられたら、要注意です。
そういうタイプの人は、自分の好む情報は受け入れるが、嫌いなものは断固拒否!ですよね。
するといつの間にか自分を作っている情報がかたよってしまうため、色々な条件の場で生きることが出来にくくなってしまうと考えられます。
つまり連作障害を起こしやすい人間になってしまうということです。
会社勤めが続かなかったり、人間関係でトラブルを起こしやすかったり、最近あちこちで聞かれる様々な問題は、もしかしたら人間の連作障害かなぁ・・・と思う今日この頃でした。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
15:18
2010年07月26日
医療財政破たんを防ぐ農業
例年にない雨量の多さの梅雨が終わったら、今度は容赦ないカンカン照りがやって来ました。庭のアマガエルも草花の陰に避難しています(写真)。
たいへん久しぶりに東京という大都会へ行って思ったのですが、どうも信州の太陽光線の強さはよそに比べて相当に強いらしいです。
多分、標高が高いせいと、空気が澄んでいるせいだと思うのですが、紫外線・熱線遮断フィルムを通過してくる強力な何かを感じます。
まあ地表にふりそそいで来るものは紫外線や熱線だけではないので、当然と言っちゃぁ当然ですが、以前はこんなもの感じなかっただけに気になるんですよねー。
「これは近い将来、宇宙服でも着ないと生きていけなくなるんじゃないか??」なーんて冗談も言いたくなります。
世間には、値段は高いが宇宙船の外壁に塗るような塗料を売っているそうで、実際に屋根に塗った知人もいます。
2.012年に向けて太陽活動が活発化することは、もうNASAが正式に発表しているので当たり前なんですが、それに加えて地球の放射エネルギーが弱体化していることが問題なんですよねー。
放射エネルギーというのはSF映画に出てくる電磁バリアーと同じようなもので、地球だけでなくどんな存在も持っているものです。
そしてこの放射エネルギーは、存在の生体エネルギーをベースに出てくるものなので、一個体の生体エネルギーが劣化すると放射エネルギーの力も弱まると言われているのです。
つまり地球が弱っているんですねー。
それで今まで地表に降りてこなかった内容の太陽電磁波が、やって来ていると考えられます。
いやはや・・・(-_-;)。
さて、4月からこのブログのタイトルの「医農一如」について少~しずつ書いているので、そちらへ話題を変えたいと思いますが、今日は日本の「医療財政破たん」を防ぐための提案をひとつ。
日本の医療財政危機に対処するため、政府はこれまでも下げてきた薬価をさらに下げています。
薬価とは医療機関が保険診療で患者さんに薬を処方したときに、医療機関がもらえるお金のことです。
保険診療で出す薬の値段を医療機関は勝手に決められず、厚生労働省がこの薬はいくら、あの薬はいくらと決めています。その薬価が下げられるとは、強制的に医療機関の収益が下がるということです。
私どもも医院を開業した当初は保険診療を行なっていたので、薬価がどのくらいのものなのかは知っていますが、月末に 各保険組合から頂くお金から薬の仕入れ代を引くと、残高は微々たるものです
。一般にはその事実はあまり知られていないので、「医院は患者さんに薬をたくさん出してガッポリ儲けてるんだろ~」などと思われがちですがとんでもない話です。
当時ですらそんな状況なので、さらに薬価が下がったら保険診療のみの医療機関はどうなるんだろうと思います。
さらに政府は薬価だけでなく一般開業医院の再診料も下げることに決めたというニュースも報道されました。
開業しているお医者さんは、大学病院などに勤めているお医者さんよりも収入が多いだろうからその格差を無くすためだそうですが、これも一体何を根拠にそう判断しているのかよくわかりません。
政府の言っていることは、自分で会社を経営している人はサラリーマンより収入が多いに決まっていると言っているのも同様で、不況で多くの経営者が苦しんでいるこのご時世にトンチンカンな判断だなぁと思います。
初診料や再診料は、医師が患者さんと会って症状などの話を聞き、色々な判断をする仕事に対して頂ける代金ですが、不思議なことに保険診療では、患者さんと5分話そうが30分話そうが頂ける金額は同じです。
また熟練した医師でも医学部を出たての医師でも同じです。
しかも薬価同様にびっくりするくらい安い値段です。
それをさらに下げようというのですから、保険診療の個人開業医は倒産しなさいと言っているようなものだと思います。
政府がこの様な政策をとる理由は、病人の増加で国の医療支出が増加の一途をたどり、医療財政が破綻の危機にあるからだということは分かります。
しかし末端の出て行くお金ばかりを節約するだけでは、根本的な解決にはならないでしょう。
まして医療機関を締め付けて、それでなくても医師不足の現状にさらに医療機関の倒産が増えれば、医療現場の荒廃が進むことは目に見えています。
日本は病人の数が増えて支出が多くなっているのですから、まず国民が病気にならない方法を考えなければ根本は変わりません。
そして万が一病気になっても、重症化しない方法を考えなければ何も変わりません。
「じゃあ病気にならない方法は?重症化しない方法は?」
それが簡単にわかれば苦労はしないのですが、困ったことに現代はアレルギーや癌などの自分が作り出す病気や、原因も治療法もわからない難病が増えています。
外から来る細菌やウイルスをやっつける薬を開発し、衛生面に気をつければある程度の成果を得られた昔とは今は違います。病気についての事情がたいへん複雑になっているのが現代なのです。
さてそれならば私どもが提案したいのは、ともかくまず原点にさかのぼって考えようという事です。
病気になるのは人間のからだです。ならばそのからだを作る根本は何かを考え、からだの作り方から改善していきましょうと言いたいのです。
一般に病気予防のためには食事の内容に気をつけ、ストレスを無くし、適度に運動をして睡眠もよく取り・・・などと言われますが、もっとずっとそれ以前の、細胞ひとつひとつを作る過程から考えるのです。
私たちは自分で自分のからだを日々作り変えています。
見た目があまり変わらないので分かりづらいのですが、古くなった細胞を捨て新しい細胞を作るという、いわゆる新陳代謝を昼夜休むことなく行なっています。
比較的ゆっくりとした肝臓でも四十日、骨にいたっては7年ですっかり入れ替わると言われています。
ならば新しく作り変えるときに、以前より質の良いものに作れば病気になりにくいからだが作れるでしょう。
それにはどうすればよいでしょうか?
質の良い細胞を作るには、それを作る材料を質の良いものにすればいいのです。
細胞を作る材料とは、食べ物です。
私たちの細胞は、私たちが口から食べたもの以外からは出来ていません。
大統領だろうが庶民だろうが、どんな人間も間違いなく食べたものから細胞を作っています。
「じゃあ食べる物を注意して選べばいいんだよね?」
はい、それはそうなんですが、もっとそれ以前から考えなければならないというのが、私どもが提唱している「医農一如」の考え方です。
食べるものを作る根本の産業は農業です。
農業のあり方を整えることが質の良い食べ物を作ることになり、それが健康な細胞を作ることにつながり、病気になりにくいからだを作ることにつながると考えています。
ですから予防医療、未病医療を根本から可能にするのは医療現場だけでなく、実は農業がそのカギを握っているのです。
従って「医農一如」なのです。
大げさな言い方かも知れませんが、日本の医療財政破綻を防ぐのは農業であると言ってもよいのではないかと思っています。
ただし予防医療・未病医療につながる為の作物作りは、最近流行りの「無農薬有機農法」だけでは足りません。
また人間が出来るだけ手を加えない「自然農法」でも足りません。
どちらの農法も考え方は悪くないのですが、足りないものがあるのです。
その足りないものとは、生き物の命を作るのに必要な「原動力」です。
「原動力」とはすなわち「生きている体を作っているエネルギー」です。
「無農薬有機農法」も「自然農法」も、どちらかと言えば引き算の農法ですね。
化学肥料、農薬という、人体に害となりそうなものを排除するという引き算です。
しかし引き算だけでは農業は足りません。
植物が朽ちて土に返る自然界とは異なり、農業では育ったものを畑から「持ち去る」ことをします。
ですから持ち去った分をあえて足し算しなければ成り立ちません。
しかも足すのは肥料だけでなく、次の命を作るためのエネルギーを足さねばならないのです。
予防医療・未病医療になり得る農業の確立には、まず農業に対する考え方から整備しなければならないでしょう。
農業とは腹を満たす為の食物を作るだけでなく、国民の「命」を作る産業であることを、農業従事者だけでなくすべての人が自覚することです。
そして実際に命を作るための足し算を実践することです。
時間はかかっても、原点から国民一人一人のからだを作り直していかない限り、医療財政の立て直しは難しいでしょう。
そして命を作るとは健康を作ることだけではありません。
より質の高い人間づくりでもあります。
地球や宇宙から「もう必要ないよ」と言われない人類になるためにも、農業のあり方を変えていく必要があるのではないかと考えています。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
16:22
2010年06月04日
浄化と準拠位置
東北の某県で岩魚(イワナ)の養殖をしているIさんからこんな話を聞きました。
今年は飼っている岩魚(イワナ)の中に、やけにからだが大きいヤツが多いのだそうです。
Iさんは「水や餌のせいで大きくなったんかなぁ?でも何かちょっと変だよなぁ・・・」と感じ、岩魚について色々と情報を集めたそうです。
すると分かったことが、岩魚という魚は大雨で水流が激しくなるなど、いわゆる「環境」がキビシくなると川底の小石を呑み込んで自重を重くし、川底に沈んで流されないようにする性質を持っているということでした。
そこでI さんが推測したのは、もしかしたら岩魚たちは小石の代わりに、いけすにまかれた餌をたくさん呑み込んだのではないかという事です。
小石では太らないが、餌なら確実に身になって大きくなります。
しかし自然の川ではなく、養殖用のいけすの中でどうしてイワナがその様な行動を取るのでしょうか?
Iさんのいけすは湧き水を利用しているそうですが、今年はその湧き水の温度が1時間のあいだに0.5度も変化するという、今までには無い現象が起こっているそうです。
また、自然の湧き水は「自浄能力」が高いので今まではいけすが汚れなかったのに、最近は汚れるようになったのだそうです。
つまり自然の川ではないいけすの中においても、岩魚たちは湧き水の変化を通じて「何か環境がおかしい」という事を感じ取り、本能で自重を重くすることをやったのではないか?とIさんは考えたのだそうです。
友人の霊能者で、毎週滝行をして常に自然の水に触れている天七氏も「自然の浄化能力が落ちて来ているのを感じる」と今盛んに言われていますが、今回Iさんの岩魚の話を聞いて「感じるだけでなく目に見える現象としても現れてきているんだ・・・」と危機感を新たにしました。
「浄化」とは穢れを取り除いて清らかにすることを言いますが、もともと自然界にはそういう力があるのだそうです。
しかし近年はあまりにも人間の自己チューな想念のエネルギー(穢れ)が地球上に蓄積しすぎて、自然界の浄化能力が追いつかないと天七氏は言っています。
「浄化」というテーマを生体エネルギー概念から考えると、「生体エネルギー準拠位置」という概念に結び付けられるんじゃないかナと思います。
この「準拠位置」という概念は非常に奥が深く、私どももなかなか理解が追いつかないのですが、一言で言うと「準拠位置」とは「よりどころ位置」であると言われています。
「よりどころ」は拠って立つもの、すなわち「基準」や「標準」のことです。
私たちは日常生活の中でつねに色々な判断をして生きています。
仕事における難しい判断だけでなく、たとえば買い物に行ってコレを買うべきか否か、今アレをすべきか否かなど、睡眠中以外は絶えず判断の連続です。
そしてその判断は、必ずその人なりの「基準」や「標準」を元に行なわれています。
それが「よりどころ」です。
ということは、「よりどころ」「準拠」とはその人そのものを表しているとも言えるでしょう。
そして「よりどころ」「準拠」には「位置」というものがあり、実はそれが重要だというのが生体エネルギーの考え方です。
例えば「金がすべてだ」というのもよりどころ、「自分さえ満足すれば他人などどうでもいい」というのもよりどころです。
それを基準に行動するAさんもいるでしょう。
一方、その反対に「金より大事なものがある」というのも、「自分のことより人様のお役に立ちたい」というのもよりどころ(準拠)で、すべてその基準で考え行動するBさんもいるでしょう。
またその中間のようなよりどころを持った人もおり・・・と言うように、よりどころ(準拠)の種類というのは無限にあると言えるでしょう。
それはそれでいいのですが、問題は人類全体が不幸になるようなよりどころ(基準)が地球上に蔓延しては困ります。
そのためには、よりどころの種類だけでなく、その「位置」ということも考えに入れないといけないんじゃないかというのが「生体エネルギー準拠位置」というものです。
じゃあ例えばAさんとBさん、どっちのよりどころが「位置」が高いんだ?ということになると、存在というものはどこまで行っても自分を中心にものを考えるため、決めることが出来ません。
それならともかく何をしたらあらゆる存在が命を継続でき、共存共栄できるのかを考え、その方向性をもったよりどころを「位置が高い」とし、そうでない方向性、すなわち他を傷つけたり滅亡、衰退などの方向性をもつようなよりどころを「位置が低い」としようという訳です。
(・・・「よりどころ位置」とはそんな感じじゃないのかなぁ・・・と、コレは飽くまでも我々の理解ですから悪しからず)。
・・・で、「浄化」とそれがどんな関係があるんだよ!ということですが、
とくに人間を中心に「穢れ」が蓄積されて来ているということは、人類の、また自然界の「生体エネルギー準拠位置」が下がって来ているということなんです。
つまり衰退の方向性ですね・・・(ヤバイ)。
確かに政治経済や産業、環境の現状を見ていると、その方向性が大ですね。
で、「浄化」とは「生体エネルギー準拠位置」を高める(貴めるとも書きます)ことと言いかえられるんじゃないかと思うのです。
今までの自然界にはその力があったので、多少落ちても復活できたのですが、冒頭にも書いたように近年はそれが無くなってきたようなのです。
同じとは言えませんが、ヒューレン博士のホ・オポノポノが大好きな人は、博士の言っている「クリーニング」という概念を考えられれば分かりやすいでしょう。
自然界によるクリーニングが追いつかないなら、ともかく人間自身が心を入れ替えて自己のクリーニングに努めるしかないということでしょうね。
以前、京セラ創業者で名誉会長の稲森和夫氏が「どんな事業を行なうにしても、その動機に私心なかりしか?とまず考える」と言われていたことを書きましたが、これは生体エネルギー概念で言ったら高い判断基準、つまり準拠位置が高いということです。
ほとんどは「私心(私欲)」で動くのが人間ですから。
「いやぁ~俺は稲森氏のような大人物じゃないから、そんな高い準拠位置をめざすなんて、とてもとても・・・」と思わなくても大丈夫です。
生体エネルギー準拠位置(略して「準位」)のネタは毎日の生活にゴロゴロ転がっています。
頂き物の美味しそ~うなケーキ、兄弟の分と自分の分とどちらを大きく切り分けるか・・・なーんて判断ひとつとっても、自分の「準拠位置」で決まるのですから。
もしこっそり自分の方を大き目に切ってしまったら、早速「ごめんなさい、ごめんなさい」と浄化しましょう(笑)。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
今年は飼っている岩魚(イワナ)の中に、やけにからだが大きいヤツが多いのだそうです。
Iさんは「水や餌のせいで大きくなったんかなぁ?でも何かちょっと変だよなぁ・・・」と感じ、岩魚について色々と情報を集めたそうです。
すると分かったことが、岩魚という魚は大雨で水流が激しくなるなど、いわゆる「環境」がキビシくなると川底の小石を呑み込んで自重を重くし、川底に沈んで流されないようにする性質を持っているということでした。
そこでI さんが推測したのは、もしかしたら岩魚たちは小石の代わりに、いけすにまかれた餌をたくさん呑み込んだのではないかという事です。
小石では太らないが、餌なら確実に身になって大きくなります。
しかし自然の川ではなく、養殖用のいけすの中でどうしてイワナがその様な行動を取るのでしょうか?
Iさんのいけすは湧き水を利用しているそうですが、今年はその湧き水の温度が1時間のあいだに0.5度も変化するという、今までには無い現象が起こっているそうです。
また、自然の湧き水は「自浄能力」が高いので今まではいけすが汚れなかったのに、最近は汚れるようになったのだそうです。
つまり自然の川ではないいけすの中においても、岩魚たちは湧き水の変化を通じて「何か環境がおかしい」という事を感じ取り、本能で自重を重くすることをやったのではないか?とIさんは考えたのだそうです。
友人の霊能者で、毎週滝行をして常に自然の水に触れている天七氏も「自然の浄化能力が落ちて来ているのを感じる」と今盛んに言われていますが、今回Iさんの岩魚の話を聞いて「感じるだけでなく目に見える現象としても現れてきているんだ・・・」と危機感を新たにしました。
「浄化」とは穢れを取り除いて清らかにすることを言いますが、もともと自然界にはそういう力があるのだそうです。
しかし近年はあまりにも人間の自己チューな想念のエネルギー(穢れ)が地球上に蓄積しすぎて、自然界の浄化能力が追いつかないと天七氏は言っています。
「浄化」というテーマを生体エネルギー概念から考えると、「生体エネルギー準拠位置」という概念に結び付けられるんじゃないかナと思います。
この「準拠位置」という概念は非常に奥が深く、私どももなかなか理解が追いつかないのですが、一言で言うと「準拠位置」とは「よりどころ位置」であると言われています。
「よりどころ」は拠って立つもの、すなわち「基準」や「標準」のことです。
私たちは日常生活の中でつねに色々な判断をして生きています。
仕事における難しい判断だけでなく、たとえば買い物に行ってコレを買うべきか否か、今アレをすべきか否かなど、睡眠中以外は絶えず判断の連続です。
そしてその判断は、必ずその人なりの「基準」や「標準」を元に行なわれています。
それが「よりどころ」です。
ということは、「よりどころ」「準拠」とはその人そのものを表しているとも言えるでしょう。
そして「よりどころ」「準拠」には「位置」というものがあり、実はそれが重要だというのが生体エネルギーの考え方です。
例えば「金がすべてだ」というのもよりどころ、「自分さえ満足すれば他人などどうでもいい」というのもよりどころです。
それを基準に行動するAさんもいるでしょう。
一方、その反対に「金より大事なものがある」というのも、「自分のことより人様のお役に立ちたい」というのもよりどころ(準拠)で、すべてその基準で考え行動するBさんもいるでしょう。
またその中間のようなよりどころを持った人もおり・・・と言うように、よりどころ(準拠)の種類というのは無限にあると言えるでしょう。
それはそれでいいのですが、問題は人類全体が不幸になるようなよりどころ(基準)が地球上に蔓延しては困ります。
そのためには、よりどころの種類だけでなく、その「位置」ということも考えに入れないといけないんじゃないかというのが「生体エネルギー準拠位置」というものです。
じゃあ例えばAさんとBさん、どっちのよりどころが「位置」が高いんだ?ということになると、存在というものはどこまで行っても自分を中心にものを考えるため、決めることが出来ません。
それならともかく何をしたらあらゆる存在が命を継続でき、共存共栄できるのかを考え、その方向性をもったよりどころを「位置が高い」とし、そうでない方向性、すなわち他を傷つけたり滅亡、衰退などの方向性をもつようなよりどころを「位置が低い」としようという訳です。
(・・・「よりどころ位置」とはそんな感じじゃないのかなぁ・・・と、コレは飽くまでも我々の理解ですから悪しからず)。
・・・で、「浄化」とそれがどんな関係があるんだよ!ということですが、
とくに人間を中心に「穢れ」が蓄積されて来ているということは、人類の、また自然界の「生体エネルギー準拠位置」が下がって来ているということなんです。
つまり衰退の方向性ですね・・・(ヤバイ)。
確かに政治経済や産業、環境の現状を見ていると、その方向性が大ですね。
で、「浄化」とは「生体エネルギー準拠位置」を高める(貴めるとも書きます)ことと言いかえられるんじゃないかと思うのです。
今までの自然界にはその力があったので、多少落ちても復活できたのですが、冒頭にも書いたように近年はそれが無くなってきたようなのです。
同じとは言えませんが、ヒューレン博士のホ・オポノポノが大好きな人は、博士の言っている「クリーニング」という概念を考えられれば分かりやすいでしょう。
自然界によるクリーニングが追いつかないなら、ともかく人間自身が心を入れ替えて自己のクリーニングに努めるしかないということでしょうね。
以前、京セラ創業者で名誉会長の稲森和夫氏が「どんな事業を行なうにしても、その動機に私心なかりしか?とまず考える」と言われていたことを書きましたが、これは生体エネルギー概念で言ったら高い判断基準、つまり準拠位置が高いということです。
ほとんどは「私心(私欲)」で動くのが人間ですから。
「いやぁ~俺は稲森氏のような大人物じゃないから、そんな高い準拠位置をめざすなんて、とてもとても・・・」と思わなくても大丈夫です。
生体エネルギー準拠位置(略して「準位」)のネタは毎日の生活にゴロゴロ転がっています。
頂き物の美味しそ~うなケーキ、兄弟の分と自分の分とどちらを大きく切り分けるか・・・なーんて判断ひとつとっても、自分の「準拠位置」で決まるのですから。
もしこっそり自分の方を大き目に切ってしまったら、早速「ごめんなさい、ごめんなさい」と浄化しましょう(笑)。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
15:19
2010年05月13日
宇宙生態系という視点が大切
前回の記事にも書いたように、今年の異常な寒さに対応するために、畑にビニールハウスを建てました。
・・・と言っても建てる作業のほとんどは地元で農業を営むOさん夫妻がやって下さり、ド素人の私共はOさんの指示に従って手伝うといった具合です。
この様に助けてくれる方々がおられるからこそ成り立つ「田舎暮らし」だとつくづく思います。
ありがたいことです。
しかしビニールハウスを建てて大正解だったと思います。
ゴールデンウィーク中の30℃に達する暑さとは打って変わり、ここ数日は震えるような寒さ。
朝晩はストーブを焚くような始末なので、作物の苗にとってはハウスがなければ厳しかったかも知れません。
興味深いのは、ゴールデンウイークの夏日のときは太陽の黒点数が異様に多く、その後ぐっと寒くなった今は黒点数がゼロという日が続いていることです。
http://swc.nict.go.jp/sunspot/
やはり地球は太陽系に属している以上、太陽の活動に支配されるのだろうなぁという感を強くしました。
ところで知人からおもしろいサイト情報が送られてきたので紹介します。
ギリシャの経済破たんに関したニュースです。
http://sakamoto.esthe-keieijuku.com/
新聞・テレビやインターネットで世の中の動きは知ることが出来ても、どうしても静かな田舎暮らしは、つい世界の情勢にうとくなってしまいます。
その様な時にポンと送られてくる情報には、ハッと刺激を与えられるものです。
さて地球上でどの様な事が起こっているのかを知る視点は非常に大切ですが、同時に宇宙規模でものを考える視点も大切でしょう。(どこかの首相夫人のように『金星から来た』というのは少々困りますが・・・)
本日は前回の続きで、生態系生体システムという概念の、とくに生態系ということについて書きたいと思います。
前回は人間を「生体システム」としてとらえる重要性について述べましたが、さらに重要なのが「生態系の中の」ということです。
世の中が環境問題に関心が向くようになってから、「生態系」という言葉をしばしば耳にするようになりましたが、生きている体というシステムもたった一人で生きているのではなく、必ず「生態系」の中の一部として生きています。
したがって「生態系生体システム」として考える必要があるのです。
「生態系」という言葉の意味を辞書で引いてみると、「ある地域の生物の群集とその背景となる無機的環境をひとまとめにし、物質循環・エネルギー流などに注目して機能系としてとらえたもの。地域により海洋生態系、都市生態系、地球生態系などに分ける」とあります。
簡単に言えば、ある地域の生物とそのまわりの環境を見たときに、両者の間には生物が生きるために必要な物やエネルギーの受け渡しが必ずあります。
それがどの様な働きでどの様に行なわれているかなどに注目しながら、それら全体を「系」としてとらえたものを生態系と言うわけです。
そして海洋という環境とそこに住む生物を中心に見るなら海洋生態系、都市という環境とそこに住む人間や動植物を中心に見るなら都市生態系・・・というように、どの地域で見るかで生態系の枠が変わるというわけです。
ではここで言う「生態系生体システム」における生態系の枠とは、一体どこを指すのでしょうか?日本でしょうか?それとも世界あるいは地球でしょうか?
実は「生態系生体システム」の生態系とは、「宇宙生態系」を指しています。
私たちの住む地球だけでなく地球が属している太陽系、その太陽系が属している銀河系、その銀河系が属している私たちの宇宙、私たちの宇宙が属しているその上の宇宙、その上の宇宙が属しているそのまた上の宇宙・・・と何処まで続くのかはわかりませんが、そういう「宇宙生態系」を意味しています。
そしてその中で、太陽系、銀河系というそれぞれの段階が、それぞれ生体システムを成していると考えられています。
例えば太陽系は、「複数の惑星が有機的に関係しあい、全体としてまとまった『太陽系』という機能を発揮している要素の集合体」です。
ですから一つの生体システムです。
そして銀河系は「複数の太陽系の集合体」という生体システムです。
そして私たちの見ている宇宙は、「複数の銀河系の集合体」という生体システムです。
つまり宇宙生態系というものは生体システムが幾重にも重なった状態で、それらの間に物質やエネルギー循環が存在すると考えられるのです。
「でも生体システムとは『生きている体をもったシステム』なんでしょう?太陽系や銀河系は生物じゃないのに、何で生体システムなの?」と思われる方もいるかも知れませんが、そもそも「生きている体」とは一般的に考えられているものだけなのでしょうか?
生体システムという概念では、生理活動や繁殖活動をするものだけを生物とは考えていません。
先に述べたように複数の要素が関係しあい、全体としてまとまった機能を発揮している一つのシステムは、りっぱな生物であるととらえるのです。
ですから惑星の集まりである太陽系も生物、太陽系の集まりである銀河系も生物です。
また「宇宙生態系」は人間より大きな範囲を言うだけではありません。
私たちのからだの内側にも目を向けてみましょう。
人間を作っている要素の一つである臓器は、細胞の集合体です。
細胞は分子の集合体、分子は原子の・・・という様にやはり幾重もの生体システムの重なりが続いており、人間より大きい方向と同様に生態系を成しています。
ですから「宇宙生態系」とはマクロからミクロへ無限に続く領域を包括しているのです。
「まあ、言いたいことは分かった。だけど医療でたった一人の人間のからだを治そうというのに、そんな途方もない範囲を考えていったいどうするの?」という声が聞こえてきそうですね。
「それにそんなはるか彼方と実際に何かのやり取りをしているとは思えないし・・・」。
でもよく考えてみましょう。
植物という生き物は、光合成を通じて宇宙とのエネルギー循環をおこなっているという事実が現にあるのです。
そして人間のからだはその植物なしには作れないという事実が存在します。
たった一人の人間を治療するときに、この途方も無い範囲の「視点」を持つことがたいへん重要です。
逆に言えばこの母親と胎児をつなぐへその緒のような、宇宙生態系との「つながり」を見過ごしていることが、現代医療のさまざまな問題を生み出しているのではないでしょうか。
現在の日本の医療財政危機もまた、へその緒が希薄になり、生態系としてではなく人間という部分でしか物事を見られなくなった結果ではないかと考えます。
先に、生体システムとは「生きている体というシステム」だと言いましたが、この「宇宙生態系」とのつながりの中で考えたときには、それは「生かされている体というシステム」という言い方に変わります。
私たちが生かされているという事実、それが「生態系生体システム」のすべてを言い表しています。
そしてこの視点が、現代の医療に一番失われているものではないかと思うのです。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
・・・と言っても建てる作業のほとんどは地元で農業を営むOさん夫妻がやって下さり、ド素人の私共はOさんの指示に従って手伝うといった具合です。
この様に助けてくれる方々がおられるからこそ成り立つ「田舎暮らし」だとつくづく思います。
ありがたいことです。
しかしビニールハウスを建てて大正解だったと思います。
ゴールデンウィーク中の30℃に達する暑さとは打って変わり、ここ数日は震えるような寒さ。
朝晩はストーブを焚くような始末なので、作物の苗にとってはハウスがなければ厳しかったかも知れません。
興味深いのは、ゴールデンウイークの夏日のときは太陽の黒点数が異様に多く、その後ぐっと寒くなった今は黒点数がゼロという日が続いていることです。
http://swc.nict.go.jp/sunspot/
やはり地球は太陽系に属している以上、太陽の活動に支配されるのだろうなぁという感を強くしました。
ところで知人からおもしろいサイト情報が送られてきたので紹介します。
ギリシャの経済破たんに関したニュースです。
http://sakamoto.esthe-keieijuku.com/
新聞・テレビやインターネットで世の中の動きは知ることが出来ても、どうしても静かな田舎暮らしは、つい世界の情勢にうとくなってしまいます。
その様な時にポンと送られてくる情報には、ハッと刺激を与えられるものです。
さて地球上でどの様な事が起こっているのかを知る視点は非常に大切ですが、同時に宇宙規模でものを考える視点も大切でしょう。(どこかの首相夫人のように『金星から来た』というのは少々困りますが・・・)
本日は前回の続きで、生態系生体システムという概念の、とくに生態系ということについて書きたいと思います。
前回は人間を「生体システム」としてとらえる重要性について述べましたが、さらに重要なのが「生態系の中の」ということです。
世の中が環境問題に関心が向くようになってから、「生態系」という言葉をしばしば耳にするようになりましたが、生きている体というシステムもたった一人で生きているのではなく、必ず「生態系」の中の一部として生きています。
したがって「生態系生体システム」として考える必要があるのです。
「生態系」という言葉の意味を辞書で引いてみると、「ある地域の生物の群集とその背景となる無機的環境をひとまとめにし、物質循環・エネルギー流などに注目して機能系としてとらえたもの。地域により海洋生態系、都市生態系、地球生態系などに分ける」とあります。
簡単に言えば、ある地域の生物とそのまわりの環境を見たときに、両者の間には生物が生きるために必要な物やエネルギーの受け渡しが必ずあります。
それがどの様な働きでどの様に行なわれているかなどに注目しながら、それら全体を「系」としてとらえたものを生態系と言うわけです。
そして海洋という環境とそこに住む生物を中心に見るなら海洋生態系、都市という環境とそこに住む人間や動植物を中心に見るなら都市生態系・・・というように、どの地域で見るかで生態系の枠が変わるというわけです。
ではここで言う「生態系生体システム」における生態系の枠とは、一体どこを指すのでしょうか?日本でしょうか?それとも世界あるいは地球でしょうか?
実は「生態系生体システム」の生態系とは、「宇宙生態系」を指しています。
私たちの住む地球だけでなく地球が属している太陽系、その太陽系が属している銀河系、その銀河系が属している私たちの宇宙、私たちの宇宙が属しているその上の宇宙、その上の宇宙が属しているそのまた上の宇宙・・・と何処まで続くのかはわかりませんが、そういう「宇宙生態系」を意味しています。
そしてその中で、太陽系、銀河系というそれぞれの段階が、それぞれ生体システムを成していると考えられています。
例えば太陽系は、「複数の惑星が有機的に関係しあい、全体としてまとまった『太陽系』という機能を発揮している要素の集合体」です。
ですから一つの生体システムです。
そして銀河系は「複数の太陽系の集合体」という生体システムです。
そして私たちの見ている宇宙は、「複数の銀河系の集合体」という生体システムです。
つまり宇宙生態系というものは生体システムが幾重にも重なった状態で、それらの間に物質やエネルギー循環が存在すると考えられるのです。
「でも生体システムとは『生きている体をもったシステム』なんでしょう?太陽系や銀河系は生物じゃないのに、何で生体システムなの?」と思われる方もいるかも知れませんが、そもそも「生きている体」とは一般的に考えられているものだけなのでしょうか?
生体システムという概念では、生理活動や繁殖活動をするものだけを生物とは考えていません。
先に述べたように複数の要素が関係しあい、全体としてまとまった機能を発揮している一つのシステムは、りっぱな生物であるととらえるのです。
ですから惑星の集まりである太陽系も生物、太陽系の集まりである銀河系も生物です。
また「宇宙生態系」は人間より大きな範囲を言うだけではありません。
私たちのからだの内側にも目を向けてみましょう。
人間を作っている要素の一つである臓器は、細胞の集合体です。
細胞は分子の集合体、分子は原子の・・・という様にやはり幾重もの生体システムの重なりが続いており、人間より大きい方向と同様に生態系を成しています。
ですから「宇宙生態系」とはマクロからミクロへ無限に続く領域を包括しているのです。
「まあ、言いたいことは分かった。だけど医療でたった一人の人間のからだを治そうというのに、そんな途方もない範囲を考えていったいどうするの?」という声が聞こえてきそうですね。
「それにそんなはるか彼方と実際に何かのやり取りをしているとは思えないし・・・」。
でもよく考えてみましょう。
植物という生き物は、光合成を通じて宇宙とのエネルギー循環をおこなっているという事実が現にあるのです。
そして人間のからだはその植物なしには作れないという事実が存在します。
たった一人の人間を治療するときに、この途方も無い範囲の「視点」を持つことがたいへん重要です。
逆に言えばこの母親と胎児をつなぐへその緒のような、宇宙生態系との「つながり」を見過ごしていることが、現代医療のさまざまな問題を生み出しているのではないでしょうか。
現在の日本の医療財政危機もまた、へその緒が希薄になり、生態系としてではなく人間という部分でしか物事を見られなくなった結果ではないかと考えます。
先に、生体システムとは「生きている体というシステム」だと言いましたが、この「宇宙生態系」とのつながりの中で考えたときには、それは「生かされている体というシステム」という言い方に変わります。
私たちが生かされているという事実、それが「生態系生体システム」のすべてを言い表しています。
そしてこの視点が、現代の医療に一番失われているものではないかと思うのです。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
16:16
2010年04月27日
生態系生体システム
5月になろうというのに気温の低い日が続いています。
種苗店を営んでいる患者さんが「予想はしていたが、予想以上の売上不振だ」とおっしゃっていました。
農家だけでなく、さまざまな産業が異常気象の影響をうけているようです。
当地は普通でも夜間の温度が低くトマトなどは赤くなれないのですが、このままの状態が続けばキュウリやその他の野菜も生育が難しくなるでしょう。
そこで地元で農業を営んでいるOさんが、我々のようなしろうとでも建てられるミニビニールハウスの作り方を教えてくれました。
ビニールハウスで少しでも温度を確保し、多雨による病害を防ごうというワケです。
「このような天候の年は突風が吹くことがあるから、支柱の根元はかすがいを咬ませて飛ばされないようにした方がいい」
という事も教えてもらいました。
長年の経験によるアドバイスは何よりも有難いです。
それにしても今年に入ってから世界各地の大地震、火山噴火と、この異様な気象状況はどうしたものでしょうか。
A県から毎月来院下さる患者さんがこんな事を言われていました。
「俺が子供のころ近所の拝み屋の婆っ様が言ってたことを覚えてるんだけどよ、日本という国土が養える人間の数より、今の人口は多すぎるんだって言うんだ。それでじゃあ何人ならいいんだ?って聞いたら、まあ7~8千万人だなって。」
国土という生き物が養える範囲の人間の数を超えているとは、生体エネルギーの過剰な消費を意味しています。
人口が増えただけでなく、昔にくらべ現代は贅沢になっている分、一人の人間が生活するのに消費するエネルギーの量も多くなっており、それも生体エネルギーの過剰消費につながっていると思われます。
日本という国土だけでなく地球それ自体も生き物ですから、自分の表面に寄生する生物がすごい勢いで生体エネルギーを消費していけば、これは少々考えざるをえない・・・となるのも当たり前かも知れません。
一定のサイクルで繰り返される氷河期や、恐竜の絶滅などは、この生体エネルギーの急速な消耗に歯止めをかける為の地球の営みのひとつとも考えられています。
友人の天七さんは10年以上前からこの状況を予告されていた(天七ブログタイトル『エネルギーが・・!』 http://ameblo.jp/jintuuriki/day-20100414.html )そうですが、
今さら遅いカモと思いつつも、目の前の自分が出来る事を一生懸命やっていくしかないでしょうね。
そして今まで自分の希望を満足させることだけにしか向いていなかった視点を、もっと広く生態系という範囲で物事をとらえるようにする必要があるかと思います。
前回の記事で『人類が真に「万物の霊長」と呼ばれるようになるためには、農業、医療をはじめすべての産業を通じてまず地球上の生体エネルギーを回復し、あらゆる命を育て高(貴)め直さなくてはならないと生体エネルギー概念では考えています』と書きましたが、
その為に大切なのが「生態系生体システム」という視点です。
この「生態系」は一般に言われるような地球生態系だけではありません。
人体内部のミクロの方向に向かった生態系と、人体から宇宙というマクロの方向に向かった生態系の両方を含んでいます。
そしてその中で視点をダイナミックに移動して、人類のあり方を考えるものです。この視点が医療だけでなくあらゆる産業に今、求められています。
この生態系に関する考え方については次回書くとして、今日はまず生態系生体システムの中の「生体システム」という事について考えたいと思います。
生体エネルギーについて勉強する生体システム実践研究会という会がありますが、その会員さんも、普段あまり「生体システムとは何ぞや?」と考えることは少ないのではないでしょうか?
生体システムとは「生きている体というシステム」のことです。・・・と言われても何のこっちゃ?ですね。
でも難しいことではありません。例えばあなたという存在はまさに「生きている体というシステム」です。
「システム」という言葉を辞書で引いてみると、「複数の要素が有機的に関係しあい、全体としてまとまった機能を発揮している要素の集合体。組織。系統。仕組み」とあります。
あなたは心臓や肺や胃などの臓器、また骨や血管や筋肉などの組織・・・と複数の要素が有機的に関係しあい、全体としてまとまった「あなた」という機能を発揮している集合体です。
従ってあなたを始め、すべての人間は「生きている体を持ったシステム」なのです。
実はこの「生体システム」という概念が、これからの医療にとって大変重要になってくると私どもは考えています。
「いや、からだの中の仕組みなどはもうとっくに医学で解明されているよ」と言われる方もいるかも知れません。
確かにそれぞれの臓器や組織の働きとお互いの関係性は現代医学でかなり解明されています。
しかし私どもが言いたいのはそういう事ではなく、「それら全体がまとまり、ひとりの人間として生きているとはどういうことか?」なのです。
言い換えれば「命とは何か?」と言ってもいいでしょう。
大学の医学部では有機的部品としての個々の臓器・組織・器官の働きや、互いの関係性は教えてくれます。
しかしそれらがなぜ見事に全体としてまとまり、一つの「命」としての動きをするのかは教えてくれません。
あなたの中の一体何が司令官として彼らをまとめているのでしょうか?
全身からフィードバックされてくる膨大な量のデータを逐次管理し、それに基づいて必要な情報や指令を流し、問題があれば即座に解決しようと動く、まるで地球上で一番精密なソフトウェアを持ったコンピューターのような存在は一体何なのでしょうか?
どんな最先端の医学でも、まだこの謎めいたシステムの全貌を解明していません。
ですから将来のお医者さんを育てる医学部でも教えてくれないのは当然でしょう。
医学部で教えるのは有機的部品としての人体の仕組みと、その病気の種類と治療法だけです。
「命」という生きている体のシステムや、逆に「死」とは何かというテーマについて教わったり考えたりすることは殆どありません。
生と死のどちらにも一番近いところにいる医療の現場でそれが無いということは、ある意味大きな欠損だろうと思われます。
その欠損とは単に人間としての思索が足りないとか、知識の狭い医者が育ってしまうという様な意味だけでなく、純粋に医学の発展の上でも足かせになっていると思います。
なぜならどんなにそれぞれの部品のことを知っていても、それらを一人の人間として生かしているのは生体システムだからです。
生きている体というシステムが何かという事が学問や技術として分からなければ、本当の意味の健康を確立することは難しいでしょう。
続く・・・
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
種苗店を営んでいる患者さんが「予想はしていたが、予想以上の売上不振だ」とおっしゃっていました。
農家だけでなく、さまざまな産業が異常気象の影響をうけているようです。
当地は普通でも夜間の温度が低くトマトなどは赤くなれないのですが、このままの状態が続けばキュウリやその他の野菜も生育が難しくなるでしょう。
そこで地元で農業を営んでいるOさんが、我々のようなしろうとでも建てられるミニビニールハウスの作り方を教えてくれました。
ビニールハウスで少しでも温度を確保し、多雨による病害を防ごうというワケです。
「このような天候の年は突風が吹くことがあるから、支柱の根元はかすがいを咬ませて飛ばされないようにした方がいい」
という事も教えてもらいました。
長年の経験によるアドバイスは何よりも有難いです。
それにしても今年に入ってから世界各地の大地震、火山噴火と、この異様な気象状況はどうしたものでしょうか。
A県から毎月来院下さる患者さんがこんな事を言われていました。
「俺が子供のころ近所の拝み屋の婆っ様が言ってたことを覚えてるんだけどよ、日本という国土が養える人間の数より、今の人口は多すぎるんだって言うんだ。それでじゃあ何人ならいいんだ?って聞いたら、まあ7~8千万人だなって。」
国土という生き物が養える範囲の人間の数を超えているとは、生体エネルギーの過剰な消費を意味しています。
人口が増えただけでなく、昔にくらべ現代は贅沢になっている分、一人の人間が生活するのに消費するエネルギーの量も多くなっており、それも生体エネルギーの過剰消費につながっていると思われます。
日本という国土だけでなく地球それ自体も生き物ですから、自分の表面に寄生する生物がすごい勢いで生体エネルギーを消費していけば、これは少々考えざるをえない・・・となるのも当たり前かも知れません。
一定のサイクルで繰り返される氷河期や、恐竜の絶滅などは、この生体エネルギーの急速な消耗に歯止めをかける為の地球の営みのひとつとも考えられています。
友人の天七さんは10年以上前からこの状況を予告されていた(天七ブログタイトル『エネルギーが・・!』 http://ameblo.jp/jintuuriki/day-20100414.html )そうですが、
今さら遅いカモと思いつつも、目の前の自分が出来る事を一生懸命やっていくしかないでしょうね。
そして今まで自分の希望を満足させることだけにしか向いていなかった視点を、もっと広く生態系という範囲で物事をとらえるようにする必要があるかと思います。
前回の記事で『人類が真に「万物の霊長」と呼ばれるようになるためには、農業、医療をはじめすべての産業を通じてまず地球上の生体エネルギーを回復し、あらゆる命を育て高(貴)め直さなくてはならないと生体エネルギー概念では考えています』と書きましたが、
その為に大切なのが「生態系生体システム」という視点です。
この「生態系」は一般に言われるような地球生態系だけではありません。
人体内部のミクロの方向に向かった生態系と、人体から宇宙というマクロの方向に向かった生態系の両方を含んでいます。
そしてその中で視点をダイナミックに移動して、人類のあり方を考えるものです。この視点が医療だけでなくあらゆる産業に今、求められています。
この生態系に関する考え方については次回書くとして、今日はまず生態系生体システムの中の「生体システム」という事について考えたいと思います。
生体エネルギーについて勉強する生体システム実践研究会という会がありますが、その会員さんも、普段あまり「生体システムとは何ぞや?」と考えることは少ないのではないでしょうか?
生体システムとは「生きている体というシステム」のことです。・・・と言われても何のこっちゃ?ですね。
でも難しいことではありません。例えばあなたという存在はまさに「生きている体というシステム」です。
「システム」という言葉を辞書で引いてみると、「複数の要素が有機的に関係しあい、全体としてまとまった機能を発揮している要素の集合体。組織。系統。仕組み」とあります。
あなたは心臓や肺や胃などの臓器、また骨や血管や筋肉などの組織・・・と複数の要素が有機的に関係しあい、全体としてまとまった「あなた」という機能を発揮している集合体です。
従ってあなたを始め、すべての人間は「生きている体を持ったシステム」なのです。
実はこの「生体システム」という概念が、これからの医療にとって大変重要になってくると私どもは考えています。
「いや、からだの中の仕組みなどはもうとっくに医学で解明されているよ」と言われる方もいるかも知れません。
確かにそれぞれの臓器や組織の働きとお互いの関係性は現代医学でかなり解明されています。
しかし私どもが言いたいのはそういう事ではなく、「それら全体がまとまり、ひとりの人間として生きているとはどういうことか?」なのです。
言い換えれば「命とは何か?」と言ってもいいでしょう。
大学の医学部では有機的部品としての個々の臓器・組織・器官の働きや、互いの関係性は教えてくれます。
しかしそれらがなぜ見事に全体としてまとまり、一つの「命」としての動きをするのかは教えてくれません。
あなたの中の一体何が司令官として彼らをまとめているのでしょうか?
全身からフィードバックされてくる膨大な量のデータを逐次管理し、それに基づいて必要な情報や指令を流し、問題があれば即座に解決しようと動く、まるで地球上で一番精密なソフトウェアを持ったコンピューターのような存在は一体何なのでしょうか?
どんな最先端の医学でも、まだこの謎めいたシステムの全貌を解明していません。
ですから将来のお医者さんを育てる医学部でも教えてくれないのは当然でしょう。
医学部で教えるのは有機的部品としての人体の仕組みと、その病気の種類と治療法だけです。
「命」という生きている体のシステムや、逆に「死」とは何かというテーマについて教わったり考えたりすることは殆どありません。
生と死のどちらにも一番近いところにいる医療の現場でそれが無いということは、ある意味大きな欠損だろうと思われます。
その欠損とは単に人間としての思索が足りないとか、知識の狭い医者が育ってしまうという様な意味だけでなく、純粋に医学の発展の上でも足かせになっていると思います。
なぜならどんなにそれぞれの部品のことを知っていても、それらを一人の人間として生かしているのは生体システムだからです。
生きている体というシステムが何かという事が学問や技術として分からなければ、本当の意味の健康を確立することは難しいでしょう。
続く・・・
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
14:56
2010年04月12日
医農一如
考えてみればもう2年半以上もTHDさんの「希望の星」ブログ集でお世話になっていますが、肝心の私どものタイトルである「医農一如」に焦点を合わせて書いたことがありませんでした。
そこで今回からそこら辺りをテーマにしばらく更新して行きたいと思います。
まず「医療」と「農業」は一体である。
それが「医農一如」という言葉に込められた意味です。
いま全国のお医者さんに「医療と農業はひとつなんですよ」と申し上げても、多くの人が「???」という反応を示されるでしょう。
実際に私どもも、土壌や植物生理など農業理論を勉強する前は、自分のかかわる医療が農業と深い関わりがあるなどとは思ってもみませんでした。
しかし「食餌療法」を通じて「食」というものに興味を持ち、さらにその「食」を支える産業である農業について知るようになると、農業のあり方が根本的に人の健康を左右することを痛感するようになりました。
その意味で、農業のあり方を考えることなしに日本の未来の医療はあり得ないと思っています。
そしてそのきっかけを作ってくれたのが、「生体エネルギー」概念による「生態系生体システムプログラム農法(通称プログラム農法)」です。
そこでしばらくは「医農一如」という私どもの考え方についてお話するとともに、「プログラム農法」について私どもなりの理解で紹介させて頂きながら、どのように健康や若さを維持していくかを提案したいと思います。
またそれだけでなく、「医農一如」の「一如」という言葉に秘められた深い意味についても、皆さんにご理解頂ければと思います。
本来「一如」という言葉の意味は、辞書によると「真理はひとつ」だそうです。
ではどんな真理で医療と農業はひとつなのでしょうか?
それは「すべての命を育て、高める働きが、万物の霊長としての人類に求められている役割だ」という真理です。
農業と医療はともに「すべての命を育て高める」大切な役割をになう産業なのです。
さてここで大切なことがあります。
それは「すべての命」の「命」とは、どれだけ長く生きたかという意味の命のことだけではないということです。
命とはその存在の持っている性質や品格、またどんな行動をするかなど、その存在の「あり方」すべてを命と考えます。
ですから「命を育て高める」とは、健康で長く生きさせることだけでなく、あらゆる角度から「生き方のレベルを上げる」ことを言うと思います。
よって「高める」を同時に「貴める」と書き、すべてのものをより尊い存在になるよう向上させることを言うのです。
そしてこの真理は、実は農業や医療だけでなくすべての産業に共通する真理です。
今の世の中を見まわしてみると、経済不安はもとより、地球温暖化や頻発する大規模な自然災害など、私たちの存在を根源から脅かすような現象が進行しています。
そしてそのような危機には関心がないかのように、地球上のどこかでいつも争いが起こっています。
また医療技術の発達にもかかわらず病人の数は減らず、むしろ昔にはなかった種類の病気も増えてきました。そして何でもすぐに訴訟を起こすなど人の心は殺伐とし、昔に比べて凶悪な事件も増えました。
たしかに生活は豊かで便利になりましたが、果たして「今は昔より確実に良い時代になった!」と自信を持って言えるでしょうか。
「すべての命を育て高(貴)める」という意味では、むしろ現代はあらゆるものの命が脅かされ、質が低下させられているように思えます。
そしてその責任の一端をになってきたのが、今日の便利な生活を生み出したすべての産業です。
産業とは産み出す業(わざ)と書きますが、多くの産業が優れた技術で便利な製品を生み出す一方で、ある「大切なキーポイント」を知らないが為に、あらゆるものの命を結果的に脅かしているのではないでしょうか。
ある大切なキーポイント、それは医療、農業を含めたあらゆる産業でいま決定的に不足している「生体エネルギー」です。
生体エネルギーとは、「生」きている「体」を作っている「エネルギー」のことです。
あらゆる産業が生み出した製品の生体エネルギーの劣化が、地球上のあらゆるものの生命を脅かし、存在の質を低下させていると考えられるのです。
人類が真に「万物の霊長」と呼ばれるようになるためには、農業、医療をはじめすべての産業を通じてまず地球上の生体エネルギーを回復し、あらゆる命を育て高(貴)め直さなくてはならないと「生体エネルギー」概念では考えています。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
そこで今回からそこら辺りをテーマにしばらく更新して行きたいと思います。
まず「医療」と「農業」は一体である。
それが「医農一如」という言葉に込められた意味です。
いま全国のお医者さんに「医療と農業はひとつなんですよ」と申し上げても、多くの人が「???」という反応を示されるでしょう。
実際に私どもも、土壌や植物生理など農業理論を勉強する前は、自分のかかわる医療が農業と深い関わりがあるなどとは思ってもみませんでした。
しかし「食餌療法」を通じて「食」というものに興味を持ち、さらにその「食」を支える産業である農業について知るようになると、農業のあり方が根本的に人の健康を左右することを痛感するようになりました。
その意味で、農業のあり方を考えることなしに日本の未来の医療はあり得ないと思っています。
そしてそのきっかけを作ってくれたのが、「生体エネルギー」概念による「生態系生体システムプログラム農法(通称プログラム農法)」です。
そこでしばらくは「医農一如」という私どもの考え方についてお話するとともに、「プログラム農法」について私どもなりの理解で紹介させて頂きながら、どのように健康や若さを維持していくかを提案したいと思います。
またそれだけでなく、「医農一如」の「一如」という言葉に秘められた深い意味についても、皆さんにご理解頂ければと思います。
本来「一如」という言葉の意味は、辞書によると「真理はひとつ」だそうです。
ではどんな真理で医療と農業はひとつなのでしょうか?
それは「すべての命を育て、高める働きが、万物の霊長としての人類に求められている役割だ」という真理です。
農業と医療はともに「すべての命を育て高める」大切な役割をになう産業なのです。
さてここで大切なことがあります。
それは「すべての命」の「命」とは、どれだけ長く生きたかという意味の命のことだけではないということです。
命とはその存在の持っている性質や品格、またどんな行動をするかなど、その存在の「あり方」すべてを命と考えます。
ですから「命を育て高める」とは、健康で長く生きさせることだけでなく、あらゆる角度から「生き方のレベルを上げる」ことを言うと思います。
よって「高める」を同時に「貴める」と書き、すべてのものをより尊い存在になるよう向上させることを言うのです。
そしてこの真理は、実は農業や医療だけでなくすべての産業に共通する真理です。
今の世の中を見まわしてみると、経済不安はもとより、地球温暖化や頻発する大規模な自然災害など、私たちの存在を根源から脅かすような現象が進行しています。
そしてそのような危機には関心がないかのように、地球上のどこかでいつも争いが起こっています。
また医療技術の発達にもかかわらず病人の数は減らず、むしろ昔にはなかった種類の病気も増えてきました。そして何でもすぐに訴訟を起こすなど人の心は殺伐とし、昔に比べて凶悪な事件も増えました。
たしかに生活は豊かで便利になりましたが、果たして「今は昔より確実に良い時代になった!」と自信を持って言えるでしょうか。
「すべての命を育て高(貴)める」という意味では、むしろ現代はあらゆるものの命が脅かされ、質が低下させられているように思えます。
そしてその責任の一端をになってきたのが、今日の便利な生活を生み出したすべての産業です。
産業とは産み出す業(わざ)と書きますが、多くの産業が優れた技術で便利な製品を生み出す一方で、ある「大切なキーポイント」を知らないが為に、あらゆるものの命を結果的に脅かしているのではないでしょうか。
ある大切なキーポイント、それは医療、農業を含めたあらゆる産業でいま決定的に不足している「生体エネルギー」です。
生体エネルギーとは、「生」きている「体」を作っている「エネルギー」のことです。
あらゆる産業が生み出した製品の生体エネルギーの劣化が、地球上のあらゆるものの生命を脅かし、存在の質を低下させていると考えられるのです。
人類が真に「万物の霊長」と呼ばれるようになるためには、農業、医療をはじめすべての産業を通じてまず地球上の生体エネルギーを回復し、あらゆる命を育て高(貴)め直さなくてはならないと「生体エネルギー」概念では考えています。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
16:56
2010年03月16日
性質(人間性・社会人性・産業人性)
以前このブログに、私どもがお世話になっている美容師さんの話を書いたことがありました。
Fさんという60歳代の女性ですが、「包丁1本~さらしに巻いて♪」(古い演歌なので若い人は知らないだろうな)の唄のごとく、カットばさみを手にはるばる長野まで来て、私どもの仲間の頭をスッキリさせてくれる人です。
スッキリというのは髪を切ってさっぱりする意味だけでなく、皆のこころの中も、肩の荷も軽くしてくれるという意味です。
そのFさんが今回みんなの髪を切って言ったことが、
「この1カ月の皆さんの髪の伸び方が普通じゃない!」
ということでした。
つまり今までよりも髪の伸びる速度が速いということです。
私どもがよく覗く伊勢白山道氏のブログに、最近は爪の伸び方が速いと書いてありましたが、今回ヘアーのプロが実感したくらい、爪と同様に髪の伸びる速度も速くなったというワケです。
Fさんは帰りぎわにこう言っていました。
「これからは多分、自分の役割をきちんと果たさない人は老化が加速すると思います」と。
いま時間の進み方が加速しているのはすべての人に共通ですが、その加速の度合いは共通ではないという意味でしょう。
自分のなすべき事を意識しないまま、ただ流されて生きる人にとっては、意識している人よりも時間はどんどん加速していくということだと思います。
Fさんはいつもこんな風に、自分の生活を振り返って考えさせられるヒントをちょこっと言ってくれるので助かるんですよね~。
「だけどさぁ、自分の役割とかなすべき事とか言われてもわかんないんだよねー。だってそんな才能も無いし」
いやいや、自分の役割とかなすべき事というのは、何も大それたことではないと思います。
勿論、優れた才能や仕事を通じて世の中の役に立っている人も多くいるでしょうが、世の中はむしろ私達のようなごくフツーの庶民がほとんどです。
ただ、ごくフツーの庶民でも父親、母親、夫、妻、子供、上司、部下、経営者、社員、etc.etc....というそれぞれの立場があり、その立場で当たり前にやるべき事をきちんとやっているか?という話だと思います。
自分で言いながら、耳が痛っ・・・。
以前知人からスティーブン・R・コビーという人の「8つの習慣」という本を頂戴したことがあります。
コビー氏は、全世界で成功した人物に共通している要素を調べ上げ、それを8つの習慣という形にまとめ、あなたもそれを行えば彼らの様に人生の成功者になれますよと本の中で説いています。
いかにもアメリカ人らしい合理主義だなぁと微笑ましく思いましたが、
その中でコビー氏もやはり、自分の立場を再確認し、その中でやるべき事を毎日少しでもやれと言っています。
少なくとも世界の成功者はそれをやっていたということですね。
私共は別に有名になろうとも成功者になろうとも思っていませんが、コビー氏の言っている成功者とは「人生を幸せに生きた人」という意味で受け取っています。
どんな人も皆、いくつもの役割(立場)を同時に持っています。
例えばある人は経営者という役割、父親という役割、夫という役割、そして親に対しては子供という役割、子供が結婚していたら舅という役割、親戚では、町内会では、友人同士では・・・と数えきれないくらいの役割(立場)を同時に持っています。
そして限られた時間の中では、ついつい自分が好む立場を優先してしまい、他の立場をおろそかにしてしまうのだ・・・とコビー氏は言っています。
例えば、仕事が好きな人は仕事に打ち込むあまり、家族に対して「オレがこんなに一生懸命働いているのにお前らは文句があるのかっ!」となってしまい、父親とか夫という立場を放棄してしまうんですね。
また奥さんは奥さんで子供の受験やら何やらで頭がいっぱいで、離れて住んでいる両親のことをすっかり忘れ、親にとっての子供という立場を放棄していたり・・・。
また経営者は稼ぐことに夢中でお客様の利益には関心が薄く、ほんらい経営者とは何かということを忘れていたり・・・とか。
まぁ誰もみな忙しくて大変なんですが、何も大それたことでなくとも、やるべき事というのは目の前にゴロゴロしているんですね。
だから才能が無くても大丈夫です、チャンスはいっぱいあります(笑)。
世の中に貢献しなければいけない!!と張り切って、かえってそういう事を忘れていることって多いんじゃないかなぁ。
そんな事を考えていたら、たまたまうちの医院の建物の設備関連でこんな事がありました。
今まで入っていた業者と競合する会社の営業マンがやって来て、今の会社よりもずっと安くすると言われたんです。
私共は安さよりも安全面が大切だと思っているので、どうしようか迷ったんですね。
そして念のため現在入っている業者に、安全面のサービス状況を確認したところ、建築当時に説明を受けたはずのシステムが全く機能していなかったことが分かりました。
それは業者側の怠慢によるものでした。(住んでいる側にはわからないんですよ)
そこで競合社の営業が売り込みに来たことをチラッと告げると、あわてて担当者がやってきてシステムを稼働する作業を行いました。
びっくりしたのはその作業を行っている最中に、競合社がどういう方法で接近してきたのかをしきりに尋ねるんです。
そして競合社は組合に入っていないので、行政からきびしく指導が行くはずだと言うんですね。
つまり、自分たちがおろそかにしていたという事実にはあまり関心がなく、競合社が売り込みに来たという事実を騒いでいるワケです。
担当者が帰ってから思いました。
「人の振り見て我が振り直せ」という教えかな・・・と。
自分達も自営業者として、お客様に対して成すべき事をしていない点が多々あるかもしれないと思ったんです。
マズイ。
生体エネルギーには、エネルギーを高める要素の一つとして「性質」という考え方があります。
その性質とは生まれ持っての性格という意味だけでなく、ここまで述べたような「立場をきちんとこなしているか?」という意味があります。
人間性、社会人性、産業人性と言います。
人間としてやるべき事をやっているか?
社会人としてはどうか?
産業人としてはどうか?ということですね。
ですから当たり前にすべきことをするのは時間の加速による老化を防ぐだけでなく、積極的に生体エネルギーをアップする手段でもあったんです。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Fさんという60歳代の女性ですが、「包丁1本~さらしに巻いて♪」(古い演歌なので若い人は知らないだろうな)の唄のごとく、カットばさみを手にはるばる長野まで来て、私どもの仲間の頭をスッキリさせてくれる人です。
スッキリというのは髪を切ってさっぱりする意味だけでなく、皆のこころの中も、肩の荷も軽くしてくれるという意味です。
そのFさんが今回みんなの髪を切って言ったことが、
「この1カ月の皆さんの髪の伸び方が普通じゃない!」
ということでした。
つまり今までよりも髪の伸びる速度が速いということです。
私どもがよく覗く伊勢白山道氏のブログに、最近は爪の伸び方が速いと書いてありましたが、今回ヘアーのプロが実感したくらい、爪と同様に髪の伸びる速度も速くなったというワケです。
Fさんは帰りぎわにこう言っていました。
「これからは多分、自分の役割をきちんと果たさない人は老化が加速すると思います」と。
いま時間の進み方が加速しているのはすべての人に共通ですが、その加速の度合いは共通ではないという意味でしょう。
自分のなすべき事を意識しないまま、ただ流されて生きる人にとっては、意識している人よりも時間はどんどん加速していくということだと思います。
Fさんはいつもこんな風に、自分の生活を振り返って考えさせられるヒントをちょこっと言ってくれるので助かるんですよね~。
「だけどさぁ、自分の役割とかなすべき事とか言われてもわかんないんだよねー。だってそんな才能も無いし」
いやいや、自分の役割とかなすべき事というのは、何も大それたことではないと思います。
勿論、優れた才能や仕事を通じて世の中の役に立っている人も多くいるでしょうが、世の中はむしろ私達のようなごくフツーの庶民がほとんどです。
ただ、ごくフツーの庶民でも父親、母親、夫、妻、子供、上司、部下、経営者、社員、etc.etc....というそれぞれの立場があり、その立場で当たり前にやるべき事をきちんとやっているか?という話だと思います。
自分で言いながら、耳が痛っ・・・。
以前知人からスティーブン・R・コビーという人の「8つの習慣」という本を頂戴したことがあります。
コビー氏は、全世界で成功した人物に共通している要素を調べ上げ、それを8つの習慣という形にまとめ、あなたもそれを行えば彼らの様に人生の成功者になれますよと本の中で説いています。
いかにもアメリカ人らしい合理主義だなぁと微笑ましく思いましたが、
その中でコビー氏もやはり、自分の立場を再確認し、その中でやるべき事を毎日少しでもやれと言っています。
少なくとも世界の成功者はそれをやっていたということですね。
私共は別に有名になろうとも成功者になろうとも思っていませんが、コビー氏の言っている成功者とは「人生を幸せに生きた人」という意味で受け取っています。
どんな人も皆、いくつもの役割(立場)を同時に持っています。
例えばある人は経営者という役割、父親という役割、夫という役割、そして親に対しては子供という役割、子供が結婚していたら舅という役割、親戚では、町内会では、友人同士では・・・と数えきれないくらいの役割(立場)を同時に持っています。
そして限られた時間の中では、ついつい自分が好む立場を優先してしまい、他の立場をおろそかにしてしまうのだ・・・とコビー氏は言っています。
例えば、仕事が好きな人は仕事に打ち込むあまり、家族に対して「オレがこんなに一生懸命働いているのにお前らは文句があるのかっ!」となってしまい、父親とか夫という立場を放棄してしまうんですね。
また奥さんは奥さんで子供の受験やら何やらで頭がいっぱいで、離れて住んでいる両親のことをすっかり忘れ、親にとっての子供という立場を放棄していたり・・・。
また経営者は稼ぐことに夢中でお客様の利益には関心が薄く、ほんらい経営者とは何かということを忘れていたり・・・とか。
まぁ誰もみな忙しくて大変なんですが、何も大それたことでなくとも、やるべき事というのは目の前にゴロゴロしているんですね。
だから才能が無くても大丈夫です、チャンスはいっぱいあります(笑)。
世の中に貢献しなければいけない!!と張り切って、かえってそういう事を忘れていることって多いんじゃないかなぁ。
そんな事を考えていたら、たまたまうちの医院の建物の設備関連でこんな事がありました。
今まで入っていた業者と競合する会社の営業マンがやって来て、今の会社よりもずっと安くすると言われたんです。
私共は安さよりも安全面が大切だと思っているので、どうしようか迷ったんですね。
そして念のため現在入っている業者に、安全面のサービス状況を確認したところ、建築当時に説明を受けたはずのシステムが全く機能していなかったことが分かりました。
それは業者側の怠慢によるものでした。(住んでいる側にはわからないんですよ)
そこで競合社の営業が売り込みに来たことをチラッと告げると、あわてて担当者がやってきてシステムを稼働する作業を行いました。
びっくりしたのはその作業を行っている最中に、競合社がどういう方法で接近してきたのかをしきりに尋ねるんです。
そして競合社は組合に入っていないので、行政からきびしく指導が行くはずだと言うんですね。
つまり、自分たちがおろそかにしていたという事実にはあまり関心がなく、競合社が売り込みに来たという事実を騒いでいるワケです。
担当者が帰ってから思いました。
「人の振り見て我が振り直せ」という教えかな・・・と。
自分達も自営業者として、お客様に対して成すべき事をしていない点が多々あるかもしれないと思ったんです。
マズイ。
生体エネルギーには、エネルギーを高める要素の一つとして「性質」という考え方があります。
その性質とは生まれ持っての性格という意味だけでなく、ここまで述べたような「立場をきちんとこなしているか?」という意味があります。
人間性、社会人性、産業人性と言います。
人間としてやるべき事をやっているか?
社会人としてはどうか?
産業人としてはどうか?ということですね。
ですから当たり前にすべきことをするのは時間の加速による老化を防ぐだけでなく、積極的に生体エネルギーをアップする手段でもあったんです。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
14:54
2010年03月07日
想造・創造・想像(その6)
昨日は気温20℃。
ぽかぽか春の陽気と思ったら!
今朝、起きてみたら雪景色。
いったいコレは何なんじゃーっ!
またハイチで大地震が起こったばかりなのに、すぐにチリでもそれを上回る大地震。
これもいったいどういう事だろう??
一説には、太陽からの電磁波が強力なときは、それによって地球の地殻も刺激を受け活動が活発になるという話がありますが。
相変わらず黒点の数は多いようです・・・。
さて年初よりのテーマ「想造・創造・想像」、今回は『想造』の解釈について。
『創造・想像』が「すでにある情報を元に何かを生み出すこと」であるのに対し、『想造』は「今までに全く無かったものを生み出すこと」と言われています。
この世に全く無かったものを生み出すとはどういう事だろう?と言うと、
例えば生体エネルギー技術では金属の融点を変える!ということをやってしまっています。
一般科学の常識では、金属の融点はゼッタイに変わらないとされています。
ですから生体エネルギー技術で実現した、金属の融点を自由に変えるという事実は、この世に今まで無かったことを生み出したことになります。
実際に、融点を高める処理をした金属を使い、高岡市の某工場が「鈴」を作ったことがありました。
その際作業者が通常どおりの作業をしたら、溶かした金属が「湯口」に近い所で固まってしまい、金型にまで流れていかず難儀したそうです。
「湯流れ」不良ってやつですね。
なぜそうなるかと言えば、
金属の融点(融ける温度)を高めたということは、逆に冷めたときは通常より高い温度で固まることを意味しているため、金型へ流れつく前に固まってしまうというワケです。
作業性が変ってしまうのは少々とまどいますが、融点が明らかに変わっていることを示した事例と言えるでしょう。
また生体エネルギー技術では、通常なら合金にならない組み合わせの金属どうしで、合金を作っています。
融点や沸点が大きく異なる金属どうしは合金に出来ないのですが、一方の金属が溶けるまで、もう一方の金属に「おまえ蒸発しないで待っとれや」が出来るのだそうです。
これも今までは不可能だったことを可能にしたのですから『想造』ですね。
その他にも化学組成をまったく変えることなく毒性のあるものを無害化したり、驚くような『想造』を次々と実現しています。
そしてその『想造』なることは誰か特殊な一人だけが出来るのではなく、私たち一般ピープルも全員ができるはずなのだそうで、その為の勉強会が生体エネルギー研究所主催で行われています。
ちなみに勉強会の名称は「想造量子宇宙論講座」と言います。
その様な常識をくつがえすような『想造』が実現するのは素晴らしい事ですが、私共はまた、我々一般ピープルが自分の生活の中にあってなかなか解決できなかった問題をもし努力して解決できたら、それもりっぱな『想造』だろうと考えています。
THDさんが紹介されているヒューレン博士の「ホ・オポノポノ」などは、日常レベルでの『想造』を実現するためのとても分かりやすい方法論だと思います。
(本当の意味で実践するのはムツカシイですが・・・)
ヒューレン博士がおっしゃっている事は、
「目の前に起こるあらゆる問題は、すべてあなたの『記憶』が引き起こしているものです。その事を認め、『ご免なさい、許して下さい、愛しています、ありがとうございます』の4つの言葉をひたすら繰り返すことで記憶のクリーニングを行えば問題は解決します」
という事だろうと思います。
あれ?コレ、何所かで聞いたような・・・。
そうなんです。
年初からこのブログで紹介してきた、生体エネルギーで言うところの『創造・想像』なんですね。
『創造・想像』は「すでにある情報を元に何かを生み出すこと」で、日常生活の殆どはこの繰り返しだと述べてきました。
ですから『創造・想像』=『記録・記憶』を無くしたら、日常生活は成り立ちません。
『創造・想像』=『記録・記憶』がいけないのではなく、問題はそこから何を「生み出す」かなのです・・・とコレも以前書きましたが。
私共の勝手な解釈ですが、ヒューレン博士も多分、そういう事をおっしゃっているのではないかなぁ。
で、「ホ・オポノポノ」では記憶のクリーニングが出来ると、今まで閉ざされていた「神聖なる知恵」へのルートが開いて、問題解決のためのひらめきが降りてくると確か言っていたと思いますが、これが生体エネルギー的に言うと『想造』だと思うんですよ。
だから今までに全く無かったものを生み出すという『想造』は、ノーベル賞ものの発明やとんでもない奇跡を生み出す事だけではなく、我々のような凡人が生活の中で生み出すことも出来るんじゃないかと思うワケですね。
ただ、言うは易く行うは難し。
近藤会長の一冊目のパンクシアブックのホ・オポノポノにもずばり書いてありましたが、
神聖なる知恵からのひらめき、すなわち『想造』を起こすまず最初の条件は、
「目の前の現実はすべて自分が引き起こしている」と100%認めること。
(99%ではダメですというところがミソですね)
これが出来ないんですねー、なかなか。
ジョーダンじゃねーよ、どう見たってあいつが悪いに決まってるのに、何で自分が引き起こしてるなんて思わなきゃいけねーんだよっ!
・・・となりますねー。
で、腹の底はそう思いながら「ご免なさい、許して下さい、愛しています、ありがとうございます」って、
それじゃうまく行かないのは当然だ。
しかも4つの言葉でクリーニングしているつもりが、気がつくとじくじくと記憶・記録を引っ張り出して考えていたりして!
・・・とまぁこんな調子なので、本当の意味での実践はムツカシイですよ本当に。
ヒューレン博士は本当に出来ているから精神病の犯罪者をすべて改善させたんでしょうねぇ。
ちなみに友人の天七さん(霊能者です)が博士を霊視したら、素晴らしい大自然の景色そのもののように見えたそうですよ。
ところで宇宙には「作用・反作用」という法則があり、何かをすれば必ずそれに対する反作用がもれなく起こるものだと言われている事は、皆さんご存知だと思います。
すると『想造』でとんでもない現象を生み出したら、それに対する「反作用」はどうなってしまうんだろう?と私共はフト考えました。
生体エネルギーで言うところの『想造』は「天からの承認」がないと起こらないと言われています。
(ホ・オポノポノで言うとことの「神聖なる知恵」と同様でしょうかね)
それは逆に言えば、『想造』が起きたらそれはすでに天から承認されたということです。
では、反作用は?
たぶん、その『想造』を使って何をするかで決まってくるんじゃないのかなぁ?というのが私共二人で考えた結論でした。
2月3日の記事で紹介した大政さんの酸水素ガスにしても、偶然とはいえ、天からの承認があっての『想造』の産物ですよね。
ですからあとはそれを使って何をするかで「反作用」が決まるのだと思うのです。
生体エネルギー技術による様々な『想造』の産物にしても、我々一人一人がそれをどう使うかが重要ではないか・・・と思う今日この頃でした。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
ぽかぽか春の陽気と思ったら!
今朝、起きてみたら雪景色。
いったいコレは何なんじゃーっ!
またハイチで大地震が起こったばかりなのに、すぐにチリでもそれを上回る大地震。
これもいったいどういう事だろう??
一説には、太陽からの電磁波が強力なときは、それによって地球の地殻も刺激を受け活動が活発になるという話がありますが。
相変わらず黒点の数は多いようです・・・。
さて年初よりのテーマ「想造・創造・想像」、今回は『想造』の解釈について。
『創造・想像』が「すでにある情報を元に何かを生み出すこと」であるのに対し、『想造』は「今までに全く無かったものを生み出すこと」と言われています。
この世に全く無かったものを生み出すとはどういう事だろう?と言うと、
例えば生体エネルギー技術では金属の融点を変える!ということをやってしまっています。
一般科学の常識では、金属の融点はゼッタイに変わらないとされています。
ですから生体エネルギー技術で実現した、金属の融点を自由に変えるという事実は、この世に今まで無かったことを生み出したことになります。
実際に、融点を高める処理をした金属を使い、高岡市の某工場が「鈴」を作ったことがありました。
その際作業者が通常どおりの作業をしたら、溶かした金属が「湯口」に近い所で固まってしまい、金型にまで流れていかず難儀したそうです。
「湯流れ」不良ってやつですね。
なぜそうなるかと言えば、
金属の融点(融ける温度)を高めたということは、逆に冷めたときは通常より高い温度で固まることを意味しているため、金型へ流れつく前に固まってしまうというワケです。
作業性が変ってしまうのは少々とまどいますが、融点が明らかに変わっていることを示した事例と言えるでしょう。
また生体エネルギー技術では、通常なら合金にならない組み合わせの金属どうしで、合金を作っています。
融点や沸点が大きく異なる金属どうしは合金に出来ないのですが、一方の金属が溶けるまで、もう一方の金属に「おまえ蒸発しないで待っとれや」が出来るのだそうです。
これも今までは不可能だったことを可能にしたのですから『想造』ですね。
その他にも化学組成をまったく変えることなく毒性のあるものを無害化したり、驚くような『想造』を次々と実現しています。
そしてその『想造』なることは誰か特殊な一人だけが出来るのではなく、私たち一般ピープルも全員ができるはずなのだそうで、その為の勉強会が生体エネルギー研究所主催で行われています。
ちなみに勉強会の名称は「想造量子宇宙論講座」と言います。
その様な常識をくつがえすような『想造』が実現するのは素晴らしい事ですが、私共はまた、我々一般ピープルが自分の生活の中にあってなかなか解決できなかった問題をもし努力して解決できたら、それもりっぱな『想造』だろうと考えています。
THDさんが紹介されているヒューレン博士の「ホ・オポノポノ」などは、日常レベルでの『想造』を実現するためのとても分かりやすい方法論だと思います。
(本当の意味で実践するのはムツカシイですが・・・)
ヒューレン博士がおっしゃっている事は、
「目の前に起こるあらゆる問題は、すべてあなたの『記憶』が引き起こしているものです。その事を認め、『ご免なさい、許して下さい、愛しています、ありがとうございます』の4つの言葉をひたすら繰り返すことで記憶のクリーニングを行えば問題は解決します」
という事だろうと思います。
あれ?コレ、何所かで聞いたような・・・。
そうなんです。
年初からこのブログで紹介してきた、生体エネルギーで言うところの『創造・想像』なんですね。
『創造・想像』は「すでにある情報を元に何かを生み出すこと」で、日常生活の殆どはこの繰り返しだと述べてきました。
ですから『創造・想像』=『記録・記憶』を無くしたら、日常生活は成り立ちません。
『創造・想像』=『記録・記憶』がいけないのではなく、問題はそこから何を「生み出す」かなのです・・・とコレも以前書きましたが。
私共の勝手な解釈ですが、ヒューレン博士も多分、そういう事をおっしゃっているのではないかなぁ。
で、「ホ・オポノポノ」では記憶のクリーニングが出来ると、今まで閉ざされていた「神聖なる知恵」へのルートが開いて、問題解決のためのひらめきが降りてくると確か言っていたと思いますが、これが生体エネルギー的に言うと『想造』だと思うんですよ。
だから今までに全く無かったものを生み出すという『想造』は、ノーベル賞ものの発明やとんでもない奇跡を生み出す事だけではなく、我々のような凡人が生活の中で生み出すことも出来るんじゃないかと思うワケですね。
ただ、言うは易く行うは難し。
近藤会長の一冊目のパンクシアブックのホ・オポノポノにもずばり書いてありましたが、
神聖なる知恵からのひらめき、すなわち『想造』を起こすまず最初の条件は、
「目の前の現実はすべて自分が引き起こしている」と100%認めること。
(99%ではダメですというところがミソですね)
これが出来ないんですねー、なかなか。
ジョーダンじゃねーよ、どう見たってあいつが悪いに決まってるのに、何で自分が引き起こしてるなんて思わなきゃいけねーんだよっ!
・・・となりますねー。
で、腹の底はそう思いながら「ご免なさい、許して下さい、愛しています、ありがとうございます」って、
それじゃうまく行かないのは当然だ。
しかも4つの言葉でクリーニングしているつもりが、気がつくとじくじくと記憶・記録を引っ張り出して考えていたりして!
・・・とまぁこんな調子なので、本当の意味での実践はムツカシイですよ本当に。
ヒューレン博士は本当に出来ているから精神病の犯罪者をすべて改善させたんでしょうねぇ。
ちなみに友人の天七さん(霊能者です)が博士を霊視したら、素晴らしい大自然の景色そのもののように見えたそうですよ。
ところで宇宙には「作用・反作用」という法則があり、何かをすれば必ずそれに対する反作用がもれなく起こるものだと言われている事は、皆さんご存知だと思います。
すると『想造』でとんでもない現象を生み出したら、それに対する「反作用」はどうなってしまうんだろう?と私共はフト考えました。
生体エネルギーで言うところの『想造』は「天からの承認」がないと起こらないと言われています。
(ホ・オポノポノで言うとことの「神聖なる知恵」と同様でしょうかね)
それは逆に言えば、『想造』が起きたらそれはすでに天から承認されたということです。
では、反作用は?
たぶん、その『想造』を使って何をするかで決まってくるんじゃないのかなぁ?というのが私共二人で考えた結論でした。
2月3日の記事で紹介した大政さんの酸水素ガスにしても、偶然とはいえ、天からの承認があっての『想造』の産物ですよね。
ですからあとはそれを使って何をするかで「反作用」が決まるのだと思うのです。
生体エネルギー技術による様々な『想造』の産物にしても、我々一人一人がそれをどう使うかが重要ではないか・・・と思う今日この頃でした。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
16:35
2010年02月22日
変動因果律ということ
前回の記事の最後に『宇宙の劣化が引き起こしているサイクルの変動により、今までは自己チューな生き方をしていても何とかやって来れたが、これからはキビシイかも知れない』と言われているという事を書きました。
「何だよ~脅すような事言うなよ」
と思う人もいるかも知れませんが、別に脅している訳ではなく、救われたかったらこの壷を買いなさいと言ってる訳でもなく、そういう考え方があると言ってるだけの事です。
考え方というのは一人一人別々ですからね。
ビッグバンで宇宙が生まれた後、宇宙は膨張し続けているというのが一般の説ですね。
この「膨張し続けている」すなわち「広がり続けている」とは、生体エネルギーの観点から言うと「徐々に劣化している」ということなんです。
別の言い方では「ゆるくなって来ている」とでも言いましょうか・・・。
人間も、歳をとるとあちこちゆるみますよね。
逆に若いとき、すなわち生体エネルギーが高いときは引き締まっています。
例えば現実に、四国地方にある屋根瓦の製造をしている人が、同じ種類の同じ量の材料で、使う水だけ生体エネルギーの高い水と、普通の水という違いで2種類の瓦を焼いてみたそうです。
すると全く同じ条件で焼いたにもかかわらず、生体エネルギーの高い水を使った方が、普通の水のものよりサイズがひと回り小さくなり、しかし重量が増したのだそうです。
ひと回りと言っても素人には分かりにくいかも知れませんが、毎日焼いているプロの目から見れば明らかに違ったということです。
これは何を意味しているかと言うと、物の生体エネルギーが高いと内側に向かって引き付ける力が強くなり(万有引力が増し)、重さが増すということなんです。
人間が歳をとって、身体のあちこちがたるむなんていうのはまさにこの逆ですね。
生体エネルギーの低下で自分の細胞どうしが引き付けあう力が無くなり、地球の引力に逆らえなくなった証拠ですね。
したがって、宇宙が広がり続けているとは、宇宙も歳をとって劣化しているということなんだと生体エネルギーの観点では考えられている訳です。
けして宇宙が成長しているのではないと・・・。
・・・で、いったん話を『時間の単位』というテーマに切り替えましょう。
生体エネルギー学問では、物質の単位が変わると時間の単位も変わると考えられています。
私達の細胞は分子が集まって出来ています。
よって細胞という単位から一段階小さいのが分子という単位ですね。
分子より一段階小さいのが原子という単位、原子より一段階小さいのが素粒子という単位・・・というように、この物質世界は幾段階もの「集合単位」が「入れ子」状態になって出来ています。
で、その「単位ごとに使われている時間の単位がちがう」と生体エネルギーでは考えているんです。
例えば、水分子たちが使っている時間の単位と、我々人間が使っている時間の単位は違うというワケですね。
水分子は、自由水では10のマイナス12乗秒に1回場所を移動すると言われています。
10のマイナス12乗秒に1回などと言ったら、我々人間から見たらとんでもない速さですが、水たちにしたら別に全然速くも何ともないというワケです。
ちょうど私たちがフツーにヨッコラショと動いて隣りの人と場所を入れ替わるのと同じように、水たちは感じているのだと推測されるのです。
何故なら時間の単位がまったく違うから・・・。
では今は人間からミクロの方向へ時間の単位を考えましたが、これをマクロの方向に考えてみましょう。
分子が原子を内包し、細胞が分子を内包し、人間が細胞を内包している様に、もし人類を、または我々の宇宙を手のひらに乗せている存在がいたとしたら・・・。
(孫悟空の話では、お釈迦様がこの世界を手のひらに乗せていましたね。)
やはり我々とは使っている時間の単位が違うと推測されます。
手のひらの方が多分ゆっくりで、我々人間は水分子のような速さなんでしょう。
以前「私たちを内包している存在が普通に動いたとしたら、中にいる私たちは振り回されて大変だよな」と思っていたのですが、時間の単位がまったく違えば「手のひら」の運動などは我々から見れば超スローモーションですから、影響は無いんですよね。
・・・で、話を最初に戻しまして、
宇宙単位の劣化ということは、イコール我々の宇宙を手のひらに乗せている存在の劣化ということですね。
あちらさんの単位にしてみればスローな劣化でも、こちらにしてみれば劣化の速度が早いんですよ。
世の中が急速に悪くなっているというのは、何も地球環境の悪化のせいだけじゃない、時間の単位のせいで、手のひら側のわずかな劣化がこちらにはガツンと来ているんだと考えられるというワケです。
説明が長くなりましたが、その事を生体エネルギーでは「変動因果律」と呼んでいます。
前回の記事で「記録を元に自分が何を『そうぞう』するかが問題」ということで、「8割が煩悩というそうぞう」と言われていると書きましたが、
そういう自己チューな『そうぞう』をしている最中というのは、自分を作っている生体エネルギーがずるずると漏れて無くなって行ってる状態なんですね。
で、今まではその調子で漏れ失っていってもまぁ普通に歳をとるか、普通に病気をするくらいのテンポだったんですが、これから少々事情が異なり、いきなりガツンと来るかも知れないと予想されているワケです。
「因果律」というのは、自分が『そうぞう』したものが「因子」となり、それが「縁」を結んで「果」となり自分に返って来るという、宇宙の当たり前の法則のことです。
そのテンポが実は過去から未来へずーっと一定ではなく、手のひらの事情により大幅に変動することもあるらしい、だからダラダラ甘ったれてんなヨと言われているという事を、今回は紹介しました。
気を引き締めて、反省!
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
「何だよ~脅すような事言うなよ」
と思う人もいるかも知れませんが、別に脅している訳ではなく、救われたかったらこの壷を買いなさいと言ってる訳でもなく、そういう考え方があると言ってるだけの事です。
考え方というのは一人一人別々ですからね。
ビッグバンで宇宙が生まれた後、宇宙は膨張し続けているというのが一般の説ですね。
この「膨張し続けている」すなわち「広がり続けている」とは、生体エネルギーの観点から言うと「徐々に劣化している」ということなんです。
別の言い方では「ゆるくなって来ている」とでも言いましょうか・・・。
人間も、歳をとるとあちこちゆるみますよね。
逆に若いとき、すなわち生体エネルギーが高いときは引き締まっています。
例えば現実に、四国地方にある屋根瓦の製造をしている人が、同じ種類の同じ量の材料で、使う水だけ生体エネルギーの高い水と、普通の水という違いで2種類の瓦を焼いてみたそうです。
すると全く同じ条件で焼いたにもかかわらず、生体エネルギーの高い水を使った方が、普通の水のものよりサイズがひと回り小さくなり、しかし重量が増したのだそうです。
ひと回りと言っても素人には分かりにくいかも知れませんが、毎日焼いているプロの目から見れば明らかに違ったということです。
これは何を意味しているかと言うと、物の生体エネルギーが高いと内側に向かって引き付ける力が強くなり(万有引力が増し)、重さが増すということなんです。
人間が歳をとって、身体のあちこちがたるむなんていうのはまさにこの逆ですね。
生体エネルギーの低下で自分の細胞どうしが引き付けあう力が無くなり、地球の引力に逆らえなくなった証拠ですね。
したがって、宇宙が広がり続けているとは、宇宙も歳をとって劣化しているということなんだと生体エネルギーの観点では考えられている訳です。
けして宇宙が成長しているのではないと・・・。
・・・で、いったん話を『時間の単位』というテーマに切り替えましょう。
生体エネルギー学問では、物質の単位が変わると時間の単位も変わると考えられています。
私達の細胞は分子が集まって出来ています。
よって細胞という単位から一段階小さいのが分子という単位ですね。
分子より一段階小さいのが原子という単位、原子より一段階小さいのが素粒子という単位・・・というように、この物質世界は幾段階もの「集合単位」が「入れ子」状態になって出来ています。
で、その「単位ごとに使われている時間の単位がちがう」と生体エネルギーでは考えているんです。
例えば、水分子たちが使っている時間の単位と、我々人間が使っている時間の単位は違うというワケですね。
水分子は、自由水では10のマイナス12乗秒に1回場所を移動すると言われています。
10のマイナス12乗秒に1回などと言ったら、我々人間から見たらとんでもない速さですが、水たちにしたら別に全然速くも何ともないというワケです。
ちょうど私たちがフツーにヨッコラショと動いて隣りの人と場所を入れ替わるのと同じように、水たちは感じているのだと推測されるのです。
何故なら時間の単位がまったく違うから・・・。
では今は人間からミクロの方向へ時間の単位を考えましたが、これをマクロの方向に考えてみましょう。
分子が原子を内包し、細胞が分子を内包し、人間が細胞を内包している様に、もし人類を、または我々の宇宙を手のひらに乗せている存在がいたとしたら・・・。
(孫悟空の話では、お釈迦様がこの世界を手のひらに乗せていましたね。)
やはり我々とは使っている時間の単位が違うと推測されます。
手のひらの方が多分ゆっくりで、我々人間は水分子のような速さなんでしょう。
以前「私たちを内包している存在が普通に動いたとしたら、中にいる私たちは振り回されて大変だよな」と思っていたのですが、時間の単位がまったく違えば「手のひら」の運動などは我々から見れば超スローモーションですから、影響は無いんですよね。
・・・で、話を最初に戻しまして、
宇宙単位の劣化ということは、イコール我々の宇宙を手のひらに乗せている存在の劣化ということですね。
あちらさんの単位にしてみればスローな劣化でも、こちらにしてみれば劣化の速度が早いんですよ。
世の中が急速に悪くなっているというのは、何も地球環境の悪化のせいだけじゃない、時間の単位のせいで、手のひら側のわずかな劣化がこちらにはガツンと来ているんだと考えられるというワケです。
説明が長くなりましたが、その事を生体エネルギーでは「変動因果律」と呼んでいます。
前回の記事で「記録を元に自分が何を『そうぞう』するかが問題」ということで、「8割が煩悩というそうぞう」と言われていると書きましたが、
そういう自己チューな『そうぞう』をしている最中というのは、自分を作っている生体エネルギーがずるずると漏れて無くなって行ってる状態なんですね。
で、今まではその調子で漏れ失っていってもまぁ普通に歳をとるか、普通に病気をするくらいのテンポだったんですが、これから少々事情が異なり、いきなりガツンと来るかも知れないと予想されているワケです。
「因果律」というのは、自分が『そうぞう』したものが「因子」となり、それが「縁」を結んで「果」となり自分に返って来るという、宇宙の当たり前の法則のことです。
そのテンポが実は過去から未来へずーっと一定ではなく、手のひらの事情により大幅に変動することもあるらしい、だからダラダラ甘ったれてんなヨと言われているという事を、今回は紹介しました。
気を引き締めて、反省!
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
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16:35
2010年02月15日
想造・創造・想像(その5)

最近、我が家の庭をどうも鹿がウロウロしているらしいです。ここ数日雪の上に、隣りの林からずっと偶蹄類らしき足跡が付いているんです。
食べ物を探して山から下りてきているのだろうと思われますが、昨冬まではありませんでした。
兵庫の知人が鹿に畑を荒らされる被害に困っていますが、この辺りもそうなると困るなぁと少々心配しています。
最初の写真は長野・新潟県境にある「妙高高原」から野尻湖方面を望んだところ。
この日は前日まで大雪で、たまたま居合わせた建物の屋根に1mほど積もった雪がすごい幅で落下し、目の前で2人の人が埋もれました。
すぐ周囲の人達が掘り起こし助けたので、命に別状は無く怪我も無かったようですが、精神的にはショックだったんじゃないかと思います。
ニュースによると、この日の前夜は志賀高原のホテル前で雪崩れが起き、車15台が埋もれたそうです。
観光バス2台も押し流されたのですが、そのバスが盾になったお陰でホテルの被害は少なかったとのこと。
そうかと思えば2日後には4月並みの暖かさになり、我が家の敷地の雪はあっと言う間に1日で溶け、その翌日には雨が降ったのちに気温が急降下。
写真のように樹氷の世界になりました。
このような急激な天候の変動の理由はわかりませんが、とにかく太陽が顔を出したときと出さないときの気温の差が極端なのを感じます。
ちなみに独立行政法人「情報通信研究機構」の「宇宙天気情報センター」によれば、昨年12月から太陽の黒点の数が急に増えています。
http://swc.nict.go.jp/sunspot/
黒点が多い=太陽の活動が活発ということだそうです。
さてテーマ「想造・創造・想像」ですが、前々回の記事の最後に『「創造・想像」は「すでに在る情報」すなわち「記録」から「何かを生み出す」ことですが、何を生み出すかが問題』・・・と書いたので、その続きを行きたいと思います。
「記録」が磁気的にこの空間に残るのはもう仕方がないとして、人間がそこから日々生み出す情報の比率が、どんなにマシでも「利己」が8割、「利他」が2割だそうです。
どんなにマシでもと言うことは、意識していなければ殆どが「利己」が10割ということです。
何を根拠に8割とか2割と言うんだよ~と言われるかも知れませんが、まぁ数字を使って表わした方が分かりやすいということで、生体エネルギー学問ではよく数字や記号や数式などを使うんです。
「利己」というのは「自分だけを利する」という事で、「煩悩(愚かさ・欲望)」と言い代えた方が分かりやすいでしょう。
この「煩悩」というのがまた複雑で、人間なら生きるために誰でも持っている「食欲(食べたい)」「睡眠欲(眠りたい)」「呼吸欲(息をしたい)」の三欲がまず基本で、そのあとに様々な自分の利益中心の愚かな考えや行動が来ます。
ちなみに禅宗のお坊さんがする修行のメニューには三欲のうちの二つが入っていますね。
食べない修行と眠らない修行です。
さすがに呼吸をしないというワケにはいかないので二欲までですが・・・。
何故そんな事をするのかと言ったら、生み出すものの8割の方を消したい為に、まず基本の二欲を離れることをやろうというのだろうと思います。
私共も以前(全断食はキツイので)半断食を4日間やったことがありますが、断食明けてしばらくは身体が自然に悪い食べ物を受け付けなくなって驚きました。
包装の材料表示を見て「これは悪そうだなぁ~」と思っても、気持ち(欲望)は「食べたい!」ので口に入れたのですが、喉が閉まって食道に下りていかないのです。
たった4日間の半断食でも、身体は「賢さ」を取り戻せるんだなぁと実感しました。
ダメなのは気持ち(生体エネルギー用語では「思考態」と言う)の方ですね。
これがすべてをダメにするんだなぁとよく分かりました。
しかしその時よく分かったにも関わらず、その後半断食をやろうとしても続きません。
何故なら意志が弱く食い意地が張ってるからです。
いやいや実に、煩悩を生み出す方が8割、意識しなければ10割というのは本当だと思いますね。
さて「煩悩」というのは基本の三欲に始まって、さらに自分の利益中心の愚かな考えや行動が来て・・・とそこまでは分かりますが、このあとに来るのが生体エネルギー学問によれば「自分では良い事をしていると思ってやってしまう間違い」なのだそうです。
「え~、そんなぁ。だって良い事をしようとしてやってるんだろー?それも煩悩だと言われたらツライよね」
確かにそうなんですが、相手の立場にたってよくよく考えてみると、こちらは好意でやっていることも実は迷惑かも知れなかったり、良かれと思って援助したことがかえって相手をダメにする結果になったりという事はままあります。
すると結局は「自分では良い事をしていると思っている」ことは「煩悩」だったという事になります。
あ、それからよくやってしまうのが「良い人と思われたくて良い事をする」です。
むつかしいですね。
だからどんなにマシでも本当の「利他」を生み出すのは2割しかないんでしょうね。
京セラの稲盛会長(最近は日本航空再建の指揮官に任命されて話題になった人)が、何か事を起こそうとする時に必ず熟慮するのが「私心なかりしか?」だとよく言われています。
「KDDI」を起こす前にも「自分がやろうとしている事には果たして私心が少しでも混じっていないだろうか?」と考えたと、或る講演会で話されていました。
「私心」、すなわち自分の利益を考える心が少しでもあれば、どんなに良く見える事でもそれは良いことではないという訳です。
いやはや・・・自分たちは日々「私心」ばかり「創造・想像」しておりますなぁ・・・。とほほ。
さてこの様に今までは8割~10割の煩悩製造機でも何とかやって来れたのですが、これからは少々事情がちがうらしいという事が生体エネルギー学問では言われています。
それは宇宙の劣化が引き起こしているサイクルの変動によるものだそうです。
次回はその事について書きたいと思います。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
14:14
2010年02月03日
想造・創造・想像(その4)
この冬は我が家の地域は雪が少なくていいなと思っていたら、昨晩はまとまった雪が降り積もりました。・・・と言っても北信地域の3mに比べたら可愛いもンです。
朝、車寄せの雪かきをしなくちゃなぁ~と外を見たら、何と!すっかり雪が除かれているではありませんかっ!
(医院の車寄せは数十メートルあり、人力で雪かきをしたら死にそうな距離なのです!)
どうやら地域の除雪担当のMさんが、道路の除雪のついでにやってくれたようです。
豪雪地帯は自治体の除雪車が出ますが、そうでないこの辺りは、住民で大型トラクターを持っている人が道路の除雪を担当しています。
早速Mさんに御礼の電話をしたところ、何と!昨晩は一泊の人間ドッグで総合病院に泊まっていたところを抜け出し、夜中の2時に雪かきをしてまた病院に戻ったとのこと。
担当とは言え、何という責任感の強さ!と頭が下がることしきり・・・。
こういう事が普通に出来ないと、多分この辺りでは暮らせないのだろうと思います。
地域には色々な役割りがあり、夏には全戸総出で道端の草刈りがあります。
それもハサミや鎌なんて可愛いものじゃぁ追いつかない規模なので、全員ビーバー(ガソリンで円盤型の刃が回転する草刈り器)持参が鉄則です。
慣れていなければ大怪我に通じる器具で、当然、我が家は使ったことがない・・・。
そんなこんなを地元の皆さんが見越して、ここへ移転してきた当初から区費を多く納める代わりに地域の仕事を免除して頂いています。
その分、ヤワな私共でも出来る何かで役に立つことを考えねばなぁと思っています。
ところで知人のS氏から興味深いメールが届きました。
「このほど水から液化ガスを抽出することに成功した日本人の発明家が現れました。
その人の名を大政龍晋さんと言います。
あの町の発明家を輩出してきた、東京都大田区の1中小企業、日本テクノと言う会社の社長さんです。
大政さんの動画 http://www.youtube.com/watch?v=SnK0qs9k_ic 」
ということで、早速その動画を拝見しました。
見る限りでは驚きです。
社長さんは「なぜこういう事が起こるのか理由は分からない」とおっしゃっていますが、今継続して記しているテーマ「想造・創造・想像」から言えば、まさに想造(今までにない情報から何かを生み出すこと)ですね。
たまたま振動型攪拌機と電気分解を組み合わせたら出来てしまった偶然のようですが、そこまでの段取りはこの社長さんがやってきたことに間違いなさそうです。
我々は水素2個と酸素1個が結びつけば必ず「水!」という固定観念がありますが、生体エネルギー学問的に見ればそうではないんです。
生体エネルギー学問では、すべての存在は「空」が生体エネルギーを使って様々な材料をひとつにまとめて作っていると仮説しています。(厳密には「空」は真総理完空というムツカシイ名前が付いています)
水も「空」が水素2個と酸素1個を生体エネルギーを使ってまとめ、それらではない新たな「水」という物語を作っている状態と考えられています。
したがって、同じ水素2個と酸素1個が材料でも、水ではない異なる物語を「空」が作ってもおかしくはない・・・と、多分生体エネルギー的には言うんじゃないかなぁと思います。
タダ・・・「空」がなぜその様な行動を取ったのかはやっぱり謎です。
それはなぜ「水」が作られたかが分からないのと同じですね。
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Posted by 渋谷夫婦 at
09:59
2010年01月29日
想造・創造・想像(その3)

寒いながらも春が近づいている事を感じる今日この頃です。
先週末は、例の「からまつストーブ」用の薪作り作業日でした。
天気は写真のような雲ひとつ無いドピーカン。
まさに戸外での作業にうってつけの日で、
明け方は氷点下の気温でも
太陽が昇ればあっという間に暖かくなります。
そのようなお日様の恵みは有難いのですが、
その急速な温まり方が気になります。
以前にも記したように、
地球の放射エネルギー(一般科学用語では‘磁気シールド’)が弱まっている近年は、太陽からの電磁波の影響が地表に到達しやすくなっています。
電磁波の中身は可視光線、赤外線、紫外線、その他いろいろありますが、強くなっている分
地球が温まりやすくなっていると言われています。
以前は冬の日だまりはひなたぼっこに最適なぬくもりがありました。
今はぬくもりを通り越して日差しが「痛い」感じがします。

作業にはリーダーさんがからまつストーブを持参。→皆が暖をとれるようにしてくれています。
短い煙突を付ければ
どこにでも持ち運び出来るのが便利です。
ストーブの上には作業の合間のおやつ用に
サツマイモの入った蒸かし鍋が乗っています。
こういう現場では、
高級なお菓子より何より
やっぱり蒸かし芋がウマイ!
下の写真は、
作業中にメンバーの一人のチェーンソーがうまく切れなくなったので
われらの師匠O氏が刃を砥いでいるところ。
O氏は地元の企業を脱サラして林業に従事したつわものです。
ちなみに我が家のチェーンソーもO氏のおさがりです。
皆でO氏のあざやかな手つきに見とれていました。
簡単そうに見えますが、
左右の刃の砥ぎ方が均一でないと動かしたときに真っ直ぐ切れません。
チェーンソー道は意外と奥が深いです。

さて年初からのテーマ「想造・創造・想像」ですが、前回の記事で3つの「そうぞう」のうち「創造・想像」について書きましたので、今回は更にその続きです。
「創造・想像」は「すでに在る情報を元に何かを生み出すこと」で、普段の生活そのものがそうなんですが、その中で少々やっかいなのが我々の持っている「記録」です。
「記録」とはまさに「すでに在る情報」そのものですね。
「記録」には色々な種類があります。
まず身近なのが、頭で覚えている「記憶」。
あんな事があった、こんな事があったというやつですね。
次に「記憶」の中でも、記録はされているが意識に引き出せないというもの。忘れてしまった記憶があります。
それから自分は経験していないが、両親から引き継いだ記録というものがあります。
私たちは人間である以上、必ず両親の細胞から出来た受精卵を増殖させて自分のからだを作っています。ということは、その中に書かれたデータはいやおうなく自分の記録の一部だということです。
しかもそのデータは両親の記録だけではありません。
両親の細胞はその親からもらっているのですから、両親の両親、さらにその両親・・・とさかのぼり、何処まで行くのか分からないが膨大な量のデータを私たち一人一人は持っているのです。
さらにそれだけでなく、心理学者カール・グスタフ・ユングが唱えた「集合的無意識」まで加えれば、もう親族や先祖の範囲を越えた記録データに私たちは自動的にアクセスしていることになります。
・・・で、
どんなに膨大な「記録」を抱えていようと「記録」そのものに問題はありません。
どんな事もすべてこの空間に電磁気的に記録されるというのが、この宇宙の仕組みだろうと思うからです。
問題は「創造・想像」です。
「創造・想像」は「すでに在る情報」すなわち「記録」から「何かを生み出す」ことですが、何を生み出すかが問題なのです。
(続く・・・)
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
16:11
2010年01月18日
想造・創造・想像(その2の続き)
昨日は全国的にこの冬一番の寒さでした。
冬はマイカーの患者さんが、無事に到着されるか心配な季節です。
ノーマルタイヤで来られるチャレンジャーもおられれば、
豪雪で高速道路を下ろされ、予定の4時間後に到着という人も・・・。
それでも遠路おいで頂けるのは本当に有難いことだと思い、また頑張らねば!と気持ちを新たにします。
さて今年は真面目にブログ更新を・・・と決意して、今日で更新3回目。
3日坊主という言葉があるので気をつけないといけませんね。
年初より、パンドラの箱が開くような変化の激しいこれからの時代を生きぬくためのキーポイントとして、「想造・創造・想像」というテーマをあげています。
1月5日の記事では3つの「そうぞう」の意味を簡単に紹介しましたが、
今回はその内の「創造」と「想像」についてもう少し詳しく書きたいと思います。
同じ「そうぞう」でも、「想造」は「今までに無い新しい何かを生み出すこと」という意味なのに対し、「創造」と「想像」は「すでに在る情報をもとに何かを生み出すこと」と生体エネルギーでは定義しています。
難しく考えることはありません。
「創造」と「想像」は普段私たちが当たり前にやっていることです。
「すでに在る情報」とは、まずは親から教わったこと、学校や会社で習ったことや、巷にあふれている知識などの事です。
日常生活ではそれらを使って判断したり、考えたり、決めたり、行動したり、泣いたり笑ったり怒ったりします。
つまり朝起きて歯を磨くというようなroutine work(ルーチン ワーク、同じ事の繰り返し)から仕事や学習など複雑なことまで、ほとんどが「すでに在る情報」を使って何かを生み出しているということです。
「創造」「想像」の辞書的意味に引っかかっていると分かりにくくなるので、それはいったん忘れて下さい。
ともかくまずフツーに生きて生活している状態が、「すでに在る情報」を使って何かを生み出している「そうぞう」だと思って下さい。
その様に言うと、
「あら、私は料理で新しいレシピを考案しているから「今までに無い新しい何かを生み出す」想造をやってるんじゃないの?」と言う奥さんもいるかも知れませんね。
しかしこれも今までにあるものを「工夫」している状態なので「創造」「想像」です。
じゃあ音楽や美術の作品はどうでしょうか?
同じものは二つと無いし、独創性に富んでいるし、もう神わざとしか思えないような素晴らしい作品もあります。
この場合は生み出された作品が今までにない機能を持っていたら「想造」と言えるというのが生体エネルギーの考え方のようです。
人をえらく感動させたり、たまたまそれを見たり聴いたりした人に奇跡が起こってもダメです。
例えば或る絵画を10分眺め続けたら、どんな人も必ず視力がアップするという絵画があれば、それは今までこの世に無い働きが生み出されているので「想造」と言えるでしょう。
よく「飾っておくと金運がつく掛け軸」なんて広告がありますが、本当に全員にぞくぞくとお金が入ってきたらそれは「想造」でしょうねェ。
文明が発展し、昔にくらべて本当に便利な世の中になったのは、様々な発明という「想造」のお陰です。
しかし一般的に私たちが毎日していることは「創造」「想像」です。
・・・とこの様に書くと、
「想造」は素晴らしくて、「創造」「想像」はいかにも凡庸で劣ったことのような印象を持たれるかもしれませんが、
そういう意味ではありません。
たとえ今まで在る情報の繰り返しであっても、日々、目の前のやるべき事を誠実にこなしていくのは大切だと私共は思います。
ヘタに奇跡や超常現象的なことを追いかけて、本来やるべき事をおろそかにしたら本末転倒でしょう。
社会は凡庸な一人一人の努力で成り立っている部分が大きいのだと思います。
そこに少しの割合でも「想造」が起こされれば、文明は発展し人類は進化していくのでしょう。
生体エネルギーはその「想造」による進化を目指しています。
今回は「創造」「想像」も大切じゃないかという事を書きましたが、次回は「創造」「想像」をミスるとちょっと大変かも?という事を書きたいと思います。
続く・・・
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
冬はマイカーの患者さんが、無事に到着されるか心配な季節です。
ノーマルタイヤで来られるチャレンジャーもおられれば、
豪雪で高速道路を下ろされ、予定の4時間後に到着という人も・・・。
それでも遠路おいで頂けるのは本当に有難いことだと思い、また頑張らねば!と気持ちを新たにします。
さて今年は真面目にブログ更新を・・・と決意して、今日で更新3回目。
3日坊主という言葉があるので気をつけないといけませんね。
年初より、パンドラの箱が開くような変化の激しいこれからの時代を生きぬくためのキーポイントとして、「想造・創造・想像」というテーマをあげています。
1月5日の記事では3つの「そうぞう」の意味を簡単に紹介しましたが、
今回はその内の「創造」と「想像」についてもう少し詳しく書きたいと思います。
同じ「そうぞう」でも、「想造」は「今までに無い新しい何かを生み出すこと」という意味なのに対し、「創造」と「想像」は「すでに在る情報をもとに何かを生み出すこと」と生体エネルギーでは定義しています。
難しく考えることはありません。
「創造」と「想像」は普段私たちが当たり前にやっていることです。
「すでに在る情報」とは、まずは親から教わったこと、学校や会社で習ったことや、巷にあふれている知識などの事です。
日常生活ではそれらを使って判断したり、考えたり、決めたり、行動したり、泣いたり笑ったり怒ったりします。
つまり朝起きて歯を磨くというようなroutine work(ルーチン ワーク、同じ事の繰り返し)から仕事や学習など複雑なことまで、ほとんどが「すでに在る情報」を使って何かを生み出しているということです。
「創造」「想像」の辞書的意味に引っかかっていると分かりにくくなるので、それはいったん忘れて下さい。
ともかくまずフツーに生きて生活している状態が、「すでに在る情報」を使って何かを生み出している「そうぞう」だと思って下さい。
その様に言うと、
「あら、私は料理で新しいレシピを考案しているから「今までに無い新しい何かを生み出す」想造をやってるんじゃないの?」と言う奥さんもいるかも知れませんね。
しかしこれも今までにあるものを「工夫」している状態なので「創造」「想像」です。
じゃあ音楽や美術の作品はどうでしょうか?
同じものは二つと無いし、独創性に富んでいるし、もう神わざとしか思えないような素晴らしい作品もあります。
この場合は生み出された作品が今までにない機能を持っていたら「想造」と言えるというのが生体エネルギーの考え方のようです。
人をえらく感動させたり、たまたまそれを見たり聴いたりした人に奇跡が起こってもダメです。
例えば或る絵画を10分眺め続けたら、どんな人も必ず視力がアップするという絵画があれば、それは今までこの世に無い働きが生み出されているので「想造」と言えるでしょう。
よく「飾っておくと金運がつく掛け軸」なんて広告がありますが、本当に全員にぞくぞくとお金が入ってきたらそれは「想造」でしょうねェ。
文明が発展し、昔にくらべて本当に便利な世の中になったのは、様々な発明という「想造」のお陰です。
しかし一般的に私たちが毎日していることは「創造」「想像」です。
・・・とこの様に書くと、
「想造」は素晴らしくて、「創造」「想像」はいかにも凡庸で劣ったことのような印象を持たれるかもしれませんが、
そういう意味ではありません。
たとえ今まで在る情報の繰り返しであっても、日々、目の前のやるべき事を誠実にこなしていくのは大切だと私共は思います。
ヘタに奇跡や超常現象的なことを追いかけて、本来やるべき事をおろそかにしたら本末転倒でしょう。
社会は凡庸な一人一人の努力で成り立っている部分が大きいのだと思います。
そこに少しの割合でも「想造」が起こされれば、文明は発展し人類は進化していくのでしょう。
生体エネルギーはその「想造」による進化を目指しています。
今回は「創造」「想像」も大切じゃないかという事を書きましたが、次回は「創造」「想像」をミスるとちょっと大変かも?という事を書きたいと思います。
続く・・・
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
15:51
2010年01月09日
想造・創造・想像(その2)
冬には気温が氷点下15度まで下がるこの辺りでは、光熱費の高さが頭痛のタネです。
そこで我が家では昨年から、「ずく」さえ出せば燃料代はタダという暖房器を導入しました。
注)「ずく」を出すとは長野の方言で、面倒がらずにこまめに動くという意味。
逆に「ずくなし」→面倒臭がり屋。
その暖房とは!
からまつストーブです。
長野県は戦後、建築用にと広範囲にカラマツが植林されましたが、いざ育ってみると、カラマツはヤニが多く、建築材には向かないことがわかりました。
またヤニの多さゆえに燃やせば非常に高温になり、一般の鋳物ストーブは壊れてしまうそうです。
そんな訳から使い道がないままカラマツ林が放置され、山が荒れることが問題となっていました。
カラマツの使い道さえ作り出せば、間伐が進んで手入れもされ、山の荒廃を防ぐことが出来ます。
そこで何とかカラマツを燃やせるストーブは作れないかと、茅野市の数人の人々が「カラマツストーブ普及有限責任事業組合」というグループを立ち上げ、近所の鉄工所に依頼して開発した・・・というものが、いま我が家で活躍してくれているストーブです。
見た目は四つん這いのイノシシの様で全然お洒落じゃないんですが、とにかく高温で燃えるので灰やススが少なく非常に機能的です。
そして、先ほども言ったように燃料代がタダ!
ただし黙って座っていたらタダになりません。
みずからチェーンソーを持って林に入り、間伐された丸太を切り出し、さらに斧をふるって薪にする・・・と、アイスホッケーの仮面をかぶればそのままホラー映画の主人公に見間違えられそうな作業が待っています。
注射器より重いものは持ったことのない(?)我々には難しそうな話ですが、
幸い地元の家具屋さんが中心になった森林保護の会があり、倒木なら自由に切り出せる林に月2回出かけ、指導を受けながら皆でジェイソンズになっています(笑)。
しかし近所の人にそれを言うと、
「そんな所に出かけないでも、うちの山に倒木がいっぱいあるに。」
という話になり、当分の間は燃料に事欠かなさそうです・・・。
さて燃料代がかからないのも良いのですが、そもそも我が家がカラマツストーブを導入した理由は、森林保護の一助になりたいと考えたからです。
月2回の作業では微々たるものですが、それでも倒木が片付けば・・・と思いますし、そういう意識が広がっていけばいいなぁと思っています。
森林保護は生体エネルギーの観点から言えば、本当はその様な物理的な作業に加え、森林の生体エネルギー自体を上げることも必要です。
土壌の生体エネルギーを吸って育った樹木が倒れ、腐って土に返るのだから生体エネルギーは循環されて問題ないんじゃない?と思われるかもしれませんが、現実はそうではなさそうです。
もしそうなら自然の砂漠化は起こらないはずですが、実際には自然豊かな長野県でも少しずつ砂漠化が進行しています。
我が家のそばにも枯れた沢がありますが、昔は水が流れていたとのことで、危機感を感じます。
生体エネルギーは私達が考えるほど単純なものではなく、無限の種類の「情報」から成り立っているもののようです。
なので土に返れば100%循環ではなく、その中でも複雑に消耗される要素、他へ移動していく要素を考えなければなりません。
生体エネルギー理論を基本とする「生態系生体システムプログラム農法」が、一般に言う「自然農法」ではなく、むしろ自然に対し人間が手を加える(『自然を科学する』と言います)必要性を唱えているのも、その理由からだと思われます。
生体エネルギー農業資材の中に、『底力』という名前の土壌の生体エネルギーを高める土があるので、薪取りに行ったときに少しずつ持参して撒いてくることにしています。
しかし不思議なもので、
昨年からその様な事を考えていた矢先、THDさんからのダイレクトメールに「三重県大台町水源の森トラスト基金寄付募集」のチラシが入ってきたではありませんか!
http://homepage2.nifty.com/kumamori/trust-oodai-top.htm
偶然とは言え、何というタイミング。
すぐに募金させてもらいました。
まずはこのような物理的な活動からスタートし、本来の「植物には生きるエネルギーが必要なんだよ!」という事を知ってもらえたらなぁと思っています。
今日は「想造・創造・想像」というテーマの続きを書く余裕がなくなったのでまた次回・・・。
そこで我が家では昨年から、「ずく」さえ出せば燃料代はタダという暖房器を導入しました。
注)「ずく」を出すとは長野の方言で、面倒がらずにこまめに動くという意味。
逆に「ずくなし」→面倒臭がり屋。
その暖房とは!
からまつストーブです。
長野県は戦後、建築用にと広範囲にカラマツが植林されましたが、いざ育ってみると、カラマツはヤニが多く、建築材には向かないことがわかりました。
またヤニの多さゆえに燃やせば非常に高温になり、一般の鋳物ストーブは壊れてしまうそうです。
そんな訳から使い道がないままカラマツ林が放置され、山が荒れることが問題となっていました。
カラマツの使い道さえ作り出せば、間伐が進んで手入れもされ、山の荒廃を防ぐことが出来ます。
そこで何とかカラマツを燃やせるストーブは作れないかと、茅野市の数人の人々が「カラマツストーブ普及有限責任事業組合」というグループを立ち上げ、近所の鉄工所に依頼して開発した・・・というものが、いま我が家で活躍してくれているストーブです。
見た目は四つん這いのイノシシの様で全然お洒落じゃないんですが、とにかく高温で燃えるので灰やススが少なく非常に機能的です。
そして、先ほども言ったように燃料代がタダ!
ただし黙って座っていたらタダになりません。
みずからチェーンソーを持って林に入り、間伐された丸太を切り出し、さらに斧をふるって薪にする・・・と、アイスホッケーの仮面をかぶればそのままホラー映画の主人公に見間違えられそうな作業が待っています。
注射器より重いものは持ったことのない(?)我々には難しそうな話ですが、
幸い地元の家具屋さんが中心になった森林保護の会があり、倒木なら自由に切り出せる林に月2回出かけ、指導を受けながら皆でジェイソンズになっています(笑)。
しかし近所の人にそれを言うと、
「そんな所に出かけないでも、うちの山に倒木がいっぱいあるに。」
という話になり、当分の間は燃料に事欠かなさそうです・・・。
さて燃料代がかからないのも良いのですが、そもそも我が家がカラマツストーブを導入した理由は、森林保護の一助になりたいと考えたからです。
月2回の作業では微々たるものですが、それでも倒木が片付けば・・・と思いますし、そういう意識が広がっていけばいいなぁと思っています。
森林保護は生体エネルギーの観点から言えば、本当はその様な物理的な作業に加え、森林の生体エネルギー自体を上げることも必要です。
土壌の生体エネルギーを吸って育った樹木が倒れ、腐って土に返るのだから生体エネルギーは循環されて問題ないんじゃない?と思われるかもしれませんが、現実はそうではなさそうです。
もしそうなら自然の砂漠化は起こらないはずですが、実際には自然豊かな長野県でも少しずつ砂漠化が進行しています。
我が家のそばにも枯れた沢がありますが、昔は水が流れていたとのことで、危機感を感じます。
生体エネルギーは私達が考えるほど単純なものではなく、無限の種類の「情報」から成り立っているもののようです。
なので土に返れば100%循環ではなく、その中でも複雑に消耗される要素、他へ移動していく要素を考えなければなりません。
生体エネルギー理論を基本とする「生態系生体システムプログラム農法」が、一般に言う「自然農法」ではなく、むしろ自然に対し人間が手を加える(『自然を科学する』と言います)必要性を唱えているのも、その理由からだと思われます。
生体エネルギー農業資材の中に、『底力』という名前の土壌の生体エネルギーを高める土があるので、薪取りに行ったときに少しずつ持参して撒いてくることにしています。
しかし不思議なもので、
昨年からその様な事を考えていた矢先、THDさんからのダイレクトメールに「三重県大台町水源の森トラスト基金寄付募集」のチラシが入ってきたではありませんか!
http://homepage2.nifty.com/kumamori/trust-oodai-top.htm
偶然とは言え、何というタイミング。
すぐに募金させてもらいました。
まずはこのような物理的な活動からスタートし、本来の「植物には生きるエネルギーが必要なんだよ!」という事を知ってもらえたらなぁと思っています。
今日は「想造・創造・想像」というテーマの続きを書く余裕がなくなったのでまた次回・・・。
Posted by 渋谷夫婦 at
11:39
2010年01月05日
想造・創造・想像
新年明けましておめでとうございます。
新しい年の始まり、皆さんどの様な目標を立てられたでしょうか?
医農一如ブログの目標は、「マメな更新」でしょうねぇ、やはり・・・。
頑張ります・・・。
我が家の正月は神棚の神札を新しいものに入れ替えて始まります。
今、お祀りしてあるものは「伊勢神宮」「椿大神社」「白鳥神社(地元の氏神様)」です。
「椿大神社」は三重県鈴鹿市にある神社ですが、友人に紹介され、我が家ではここ数年「方災解除」のお祓いを受けに行き、神札を頂いてきます。
日本には昔から「方位方角」を重んじるという習慣があり、我が家も配慮はしているのですが、やはりうっかり方位を冒してしまうことがあるんですね。
例えば建物関連の修理など、どうしても職人さんに頼まねばならない作業の場合、この方角には手をつけないようにとお願いしてあっても、気にしない人は触っちゃうんですよ。
または自分達がうっかり障ってしまう場合もありますし。
そこで年に1回、その方面のエキスパートである「椿大神社」に出かけ、うっかりやってしまった方位方角の障りをお祓いして頂くわけです。
私共がそのお祓いの中で特に気に入っているのが「神楽鈴」です。
日本神道ではしばしば「音」で悪いものを祓うということがあるようですが、「椿大神社」では「大太鼓」と「神楽鈴」が使われています。
太鼓のドドーンという腹にひびく音も良いものですが、垂れた頭の上でシャリ~ン、シャリ~ンと神主さんに鈴を鳴らして頂くと、両肩がすーっと軽くなります。
いやぁ、本当に気持ちいいですよ、鈴は。
一説によると自宅でも毎朝神棚に手を合わせる前に、神楽鈴を鳴らすと良いそうです。
音の周波数の関係なんでしょうかネ?
(「方位方角」を気にするかしないかは個人の考え方の自由なので、とくにこのブログで皆さんにお勧めしているわけではありません。誤解のありませんように。)
さて昨年末、数人の方々から「最近、身の周りで立て続けに色んな事が起こるんだけど・・・」という声を聞きました。
まぁ、たまたま複数の出来事が偶然に重なったと言えばそうでしょうが、ご本人達が「何か自分が悪いことでもしてしまったからかなぁ?」と動揺されている為、
「今まで蓋をされていた事の、蓋が開いたからじゃないですか?もっと歳をとってから開くよりも、今開いて良かったじゃないですか。歳をとってからじゃキツイですよ」
と励ますようにしています。
パンドラの箱ではありませんが、70歳、80歳になってからの辛い経験は本人もキツイですし、周囲も見ていて辛いものです。
出来るだけ余力のあるうちに、しかも私たちの宇宙が大きな転機を迎えているこの時期に、学ぶべき事は学んでおいた方がよいような気がしています。
その時、ひとつのキーポイントになりそうな概念が生体エネルギーにあります。
それは「想造」「創造」「想像」です。
どれも読み方は同じ「そうぞう」ですが、違いがあります。
その違いが大きなキーポイントだと思われます。
創造と想像はふつうにある言葉です。
そして生体エネルギーの場合、この二つは「今までにある情報を使って何かを生み出すこと」という意味を持っています。
一方、想造は辞書にも出てこない、生体エネルギー独自の造語です。
このそうぞうが持っている意味は「今までにないまったく新しいものを生み出すこと」です。
ちょっと聞くとべつに大した違いではないように思えますが、
これが結構これからの時代に重要な意味をもつのではないかと、私共は思っています。
続く・・・
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
新しい年の始まり、皆さんどの様な目標を立てられたでしょうか?
医農一如ブログの目標は、「マメな更新」でしょうねぇ、やはり・・・。
頑張ります・・・。
我が家の正月は神棚の神札を新しいものに入れ替えて始まります。
今、お祀りしてあるものは「伊勢神宮」「椿大神社」「白鳥神社(地元の氏神様)」です。
「椿大神社」は三重県鈴鹿市にある神社ですが、友人に紹介され、我が家ではここ数年「方災解除」のお祓いを受けに行き、神札を頂いてきます。
日本には昔から「方位方角」を重んじるという習慣があり、我が家も配慮はしているのですが、やはりうっかり方位を冒してしまうことがあるんですね。
例えば建物関連の修理など、どうしても職人さんに頼まねばならない作業の場合、この方角には手をつけないようにとお願いしてあっても、気にしない人は触っちゃうんですよ。
または自分達がうっかり障ってしまう場合もありますし。
そこで年に1回、その方面のエキスパートである「椿大神社」に出かけ、うっかりやってしまった方位方角の障りをお祓いして頂くわけです。
私共がそのお祓いの中で特に気に入っているのが「神楽鈴」です。
日本神道ではしばしば「音」で悪いものを祓うということがあるようですが、「椿大神社」では「大太鼓」と「神楽鈴」が使われています。
太鼓のドドーンという腹にひびく音も良いものですが、垂れた頭の上でシャリ~ン、シャリ~ンと神主さんに鈴を鳴らして頂くと、両肩がすーっと軽くなります。
いやぁ、本当に気持ちいいですよ、鈴は。
一説によると自宅でも毎朝神棚に手を合わせる前に、神楽鈴を鳴らすと良いそうです。
音の周波数の関係なんでしょうかネ?
(「方位方角」を気にするかしないかは個人の考え方の自由なので、とくにこのブログで皆さんにお勧めしているわけではありません。誤解のありませんように。)
さて昨年末、数人の方々から「最近、身の周りで立て続けに色んな事が起こるんだけど・・・」という声を聞きました。
まぁ、たまたま複数の出来事が偶然に重なったと言えばそうでしょうが、ご本人達が「何か自分が悪いことでもしてしまったからかなぁ?」と動揺されている為、
「今まで蓋をされていた事の、蓋が開いたからじゃないですか?もっと歳をとってから開くよりも、今開いて良かったじゃないですか。歳をとってからじゃキツイですよ」
と励ますようにしています。
パンドラの箱ではありませんが、70歳、80歳になってからの辛い経験は本人もキツイですし、周囲も見ていて辛いものです。
出来るだけ余力のあるうちに、しかも私たちの宇宙が大きな転機を迎えているこの時期に、学ぶべき事は学んでおいた方がよいような気がしています。
その時、ひとつのキーポイントになりそうな概念が生体エネルギーにあります。
それは「想造」「創造」「想像」です。
どれも読み方は同じ「そうぞう」ですが、違いがあります。
その違いが大きなキーポイントだと思われます。
創造と想像はふつうにある言葉です。
そして生体エネルギーの場合、この二つは「今までにある情報を使って何かを生み出すこと」という意味を持っています。
一方、想造は辞書にも出てこない、生体エネルギー独自の造語です。
このそうぞうが持っている意味は「今までにないまったく新しいものを生み出すこと」です。
ちょっと聞くとべつに大した違いではないように思えますが、
これが結構これからの時代に重要な意味をもつのではないかと、私共は思っています。
続く・・・
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
18:07
2009年10月19日
存在の属性について(その5)
「このところブログが更新されていませんねぇ~」というお声をあちこちから頂戴し、恐る恐る前回の更新日を確認すると・・・
は、はちがつにじゅうににち!
確かに夏は畑と草取りに追われるけれど、これはいくら何でもサボリ過ぎだろうと反省・・・。
言い訳になりますが、このところ本当に時間の流れが速いんです。
感覚的には前回更新してからまだ1ヶ月くらいのつもりが、実際はその倍過ぎているんですね。
それに加えて集まってくる様々な情報の密度が濃い濃い。
とても頭の中で整理しきれないうちに、次の情報が押し寄せてくるといった状態でアップアップです。
それでもこの数ヶ月間に自分達自身や周囲の人々に起こっている現象の、底辺を流れるメッセージをなんとか整理してみると、
①宿題は今のうちに何とかしておけよーっ!
②「従う」と「逆らう」という究極のテーマのドーピング体験
の二つに絞られるように思います。
まずは①。
これは人間死んだら終わりではなく、死後の次元というものがどうもありそうだという前提に立っての話ですので、「そういうものは信じないっ!」という方は無視して頂いて結構です。
もっともそういうタイプの人がTHDさんの「希望の星」を読むとはあまり思えませんが・・・。
実は渋谷家は家族の中に、俗に言う「霊能者」がかつておりまして(亡くなったお祖母ちゃんです)、困った人の相談に乗ったり、警察の依頼で行方不明者の捜索・・・これがまたぴたりと当たるんです・・・などを日常フツーに行なっておりました。
ですから
「今日誰々さんちへ行ったら居間の畳の下からぞろぞろ人が出てきてねぇ、よくよく見たらそこは防空壕の跡で、ぞろぞろ出てきたのは空襲で防空壕が直撃されて亡くなった人達だったんだよね」
などという会話がフツーに夕食時などに話されておりました。
(これが日常会話だったと考えるとかなり普通の家族ではありませんが・・・)
そうなると家族の考え方としては当然、
人間死んだら終わりではなく、形態を変えてなのか、はたまた今とは異なる次元においてなのか、ともかく死後も存在しているらしい
・・・となるわけです。
そして仏教を文化の一部とする日本では「輪廻転生」という考え方があるため、
生まれて死んで、また生まれて死んで・・をどうも繰り返しているらしいよということになり、
じゃあ輪廻は何のため?と言うと、「何回も人間を経験して、ダメ人間だった自分を少しずつまともにしていく為だ」という結論で一致するわけです。
すると現在の人生には、前回から持ち越してきた「宿題」が必ずあるはずで、それを一生のうちで様々な辛い目や大変な経験を通じて学んでいくことが「生きる」ということではないだろうか!と思うわけです。
「いや、あいつはやる事なす事ラッキーで、いつも幸せそうだから宿題なんてないんだろう」
と傍目から見える人もいますが、
それは「隣りの芝生はいつも青く見える」という例に漏れず、他人には分からない問題や悩みはあっても、その人自身がそれを幸せやラッキーに変換するコツを学んだ結果ではないでしょうか。
・・・で、①に戻りますが、
今まではその宿題を少しずつ後回しにしておいても何とかなったのですが、自分達の感覚としてどうもこのところ
「宿題やってるかーっ!」
と背中をドツかれている気がするのです。
なぜそう感じるのかは分かりませんし、世間一般で言う科学的根拠も何もありません。
死んだら終わり!だから人生は出来るだけ上手に楽に生きて、自分の欲しいものをひたすら主張した方が得!
という立場の方々から見れば「馬ッ鹿みたい」に見えるかもしれません。
しかし「どう考えるか」は人それぞれでいいのだと思います。
・・・というワケでこの頃はちょっと嫌なこと、困ったことがあったときも「宿題、宿題」とつぶやくのが癖になっています。
コノヤローッ!と腹を立てたり、あ~嫌んなっちまうと感情に流される前に、この出来事を通じていったい何を学ばせようとしているのだろう?と考えるのです。(勿論、感情が先走るときも多いですが)
そうして見ると宿題のネタは日常生活の中にゴロゴロ転がっていますね。
そして宿題を意識すると、ただ流されて生きる、ただ時間を消化して生きるということが無くなります。
だから毎日が濃くて、ブログの更新が遅れて・・・コラッ!
さて②のドーピングについては長くなるのでまた次回として、
生体エネルギー学問の「存在の属性について」の続きを書きます。(まじめだなぁ)
前回は「思考態」が愚かさを生み出す根源ということを延べましたが、それでは「思考態」はどうしようもない属性なんでしょうか?
そうではありません。
生体エネルギーでは「思考態」こそが他の4つの属性を導いて、存在を「優性」に向かわせる属性のはずだと考えています。
優性に向かうとは今よりも優れること、つまり「進化」を言います。
人類がなぜ他の生物や物体とは異なり、飛びぬけて発達した知能を持ったのか?の意味がここにあると考えられています。
進化とは文字通り、進み変化することです。
つまり、止まっていないということです。
「いいじゃん、止まってたってー。
このままで十分生活便利だしー、ヘタに進化するとかえってヤバくね?」(ギャル風に読んで頂くと雰囲気出ます。)
とおっしゃる人も多いでしょう。
しかし「止まる」ということは存在が無くなるに等しいのです。
形ある世界は、形の無い「情報」が「動き」を持つことによって初めて「空間」と「時間」が生じて生まれたと生体エネルギーでは推理しています。
「情報」は動かなければただそこに「在る」だけで何も生まれず、「有る」にならないのです。
有形世界は情報の動き続けている結果であり、我々がとらえているのはその動きの「残像」だと言われています。
だから動き続けなければならないし、進み続けなければ存在が「無い」のです。
友人の鬼龍さんも7つの龍神さまから「風(かぜ)」という教えを頂いたとブログに書かれています。
そしてその意味は「同じところに止まることなかれ」だそうです。
現状にぬくぬくしていては、あなたの存在は無いに等しいということです。
では「進化」とは具体的にどういうことでしょうか?
それは「困った」を解決する方法を「生み出す」ことです。
生物が環境に応じて姿かたちを変えてきた進化も、生き残れないかも?という「困った」に生き残る方法を「生み出した」結果です。
その事を「そうぞう」と言います。
新しきを生み出すのです。
一般には「創造」と書きますが、生体エネルギーでは「想造」と書きます。
「想いが造る」と書きますが、実はここに例の「思考態」が関与しているのです。
人類がなぜ飛びぬけて発達した知能(思考態)を持ったのか?
それは思考による「論理」の組み立てで、「困った」を解決する方法を「生み出す」役割りを与えられたからだと生体エネルギーでは考えられています。
「想いがすべてを造る?あー知ってる知ってる、昔よく流行ったよね、ジョセフ・マーフィーの法則とか、カーネギーとか」
とおっしゃる人もいるでしょう。
生体エネルギーはそれとはちょっと違います。
確かに思考態は想いを具現する力を持っています。
「人は自分が思うとおりの人生を生きる」は真理だと思います。
しかしそれが「自分だけの希望をかなえる」「自分だけが利益をえる」「人の迷惑は関係ない」という内容の「生み出す」の場合は、最後に必ず「崩れる」というのが生体エネルギー学問の考え方です。
その様な「自分だけ」という「生み出す」のことを、「我為(がい)」と言います。
それに対し、自分の周囲にも喜んでもらえ、結果的に自分たちを生み出した存在に喜んでもらえる「生み出す」のことを「無為(むい)」と言います。
うまくいった!と思っても最後には崩れる「我為」よりは、出来れば「無為」を生み出したいものです。
そのネタが実は日常生活にもゴロゴロしているのです。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
は、はちがつにじゅうににち!
確かに夏は畑と草取りに追われるけれど、これはいくら何でもサボリ過ぎだろうと反省・・・。
言い訳になりますが、このところ本当に時間の流れが速いんです。
感覚的には前回更新してからまだ1ヶ月くらいのつもりが、実際はその倍過ぎているんですね。
それに加えて集まってくる様々な情報の密度が濃い濃い。
とても頭の中で整理しきれないうちに、次の情報が押し寄せてくるといった状態でアップアップです。
それでもこの数ヶ月間に自分達自身や周囲の人々に起こっている現象の、底辺を流れるメッセージをなんとか整理してみると、
①宿題は今のうちに何とかしておけよーっ!
②「従う」と「逆らう」という究極のテーマのドーピング体験
の二つに絞られるように思います。
まずは①。
これは人間死んだら終わりではなく、死後の次元というものがどうもありそうだという前提に立っての話ですので、「そういうものは信じないっ!」という方は無視して頂いて結構です。
もっともそういうタイプの人がTHDさんの「希望の星」を読むとはあまり思えませんが・・・。
実は渋谷家は家族の中に、俗に言う「霊能者」がかつておりまして(亡くなったお祖母ちゃんです)、困った人の相談に乗ったり、警察の依頼で行方不明者の捜索・・・これがまたぴたりと当たるんです・・・などを日常フツーに行なっておりました。
ですから
「今日誰々さんちへ行ったら居間の畳の下からぞろぞろ人が出てきてねぇ、よくよく見たらそこは防空壕の跡で、ぞろぞろ出てきたのは空襲で防空壕が直撃されて亡くなった人達だったんだよね」
などという会話がフツーに夕食時などに話されておりました。
(これが日常会話だったと考えるとかなり普通の家族ではありませんが・・・)
そうなると家族の考え方としては当然、
人間死んだら終わりではなく、形態を変えてなのか、はたまた今とは異なる次元においてなのか、ともかく死後も存在しているらしい
・・・となるわけです。
そして仏教を文化の一部とする日本では「輪廻転生」という考え方があるため、
生まれて死んで、また生まれて死んで・・をどうも繰り返しているらしいよということになり、
じゃあ輪廻は何のため?と言うと、「何回も人間を経験して、ダメ人間だった自分を少しずつまともにしていく為だ」という結論で一致するわけです。
すると現在の人生には、前回から持ち越してきた「宿題」が必ずあるはずで、それを一生のうちで様々な辛い目や大変な経験を通じて学んでいくことが「生きる」ということではないだろうか!と思うわけです。
「いや、あいつはやる事なす事ラッキーで、いつも幸せそうだから宿題なんてないんだろう」
と傍目から見える人もいますが、
それは「隣りの芝生はいつも青く見える」という例に漏れず、他人には分からない問題や悩みはあっても、その人自身がそれを幸せやラッキーに変換するコツを学んだ結果ではないでしょうか。
・・・で、①に戻りますが、
今まではその宿題を少しずつ後回しにしておいても何とかなったのですが、自分達の感覚としてどうもこのところ
「宿題やってるかーっ!」
と背中をドツかれている気がするのです。
なぜそう感じるのかは分かりませんし、世間一般で言う科学的根拠も何もありません。
死んだら終わり!だから人生は出来るだけ上手に楽に生きて、自分の欲しいものをひたすら主張した方が得!
という立場の方々から見れば「馬ッ鹿みたい」に見えるかもしれません。
しかし「どう考えるか」は人それぞれでいいのだと思います。
・・・というワケでこの頃はちょっと嫌なこと、困ったことがあったときも「宿題、宿題」とつぶやくのが癖になっています。
コノヤローッ!と腹を立てたり、あ~嫌んなっちまうと感情に流される前に、この出来事を通じていったい何を学ばせようとしているのだろう?と考えるのです。(勿論、感情が先走るときも多いですが)
そうして見ると宿題のネタは日常生活の中にゴロゴロ転がっていますね。
そして宿題を意識すると、ただ流されて生きる、ただ時間を消化して生きるということが無くなります。
だから毎日が濃くて、ブログの更新が遅れて・・・コラッ!
さて②のドーピングについては長くなるのでまた次回として、
生体エネルギー学問の「存在の属性について」の続きを書きます。(まじめだなぁ)
前回は「思考態」が愚かさを生み出す根源ということを延べましたが、それでは「思考態」はどうしようもない属性なんでしょうか?
そうではありません。
生体エネルギーでは「思考態」こそが他の4つの属性を導いて、存在を「優性」に向かわせる属性のはずだと考えています。
優性に向かうとは今よりも優れること、つまり「進化」を言います。
人類がなぜ他の生物や物体とは異なり、飛びぬけて発達した知能を持ったのか?の意味がここにあると考えられています。
進化とは文字通り、進み変化することです。
つまり、止まっていないということです。
「いいじゃん、止まってたってー。
このままで十分生活便利だしー、ヘタに進化するとかえってヤバくね?」(ギャル風に読んで頂くと雰囲気出ます。)
とおっしゃる人も多いでしょう。
しかし「止まる」ということは存在が無くなるに等しいのです。
形ある世界は、形の無い「情報」が「動き」を持つことによって初めて「空間」と「時間」が生じて生まれたと生体エネルギーでは推理しています。
「情報」は動かなければただそこに「在る」だけで何も生まれず、「有る」にならないのです。
有形世界は情報の動き続けている結果であり、我々がとらえているのはその動きの「残像」だと言われています。
だから動き続けなければならないし、進み続けなければ存在が「無い」のです。
友人の鬼龍さんも7つの龍神さまから「風(かぜ)」という教えを頂いたとブログに書かれています。
そしてその意味は「同じところに止まることなかれ」だそうです。
現状にぬくぬくしていては、あなたの存在は無いに等しいということです。
では「進化」とは具体的にどういうことでしょうか?
それは「困った」を解決する方法を「生み出す」ことです。
生物が環境に応じて姿かたちを変えてきた進化も、生き残れないかも?という「困った」に生き残る方法を「生み出した」結果です。
その事を「そうぞう」と言います。
新しきを生み出すのです。
一般には「創造」と書きますが、生体エネルギーでは「想造」と書きます。
「想いが造る」と書きますが、実はここに例の「思考態」が関与しているのです。
人類がなぜ飛びぬけて発達した知能(思考態)を持ったのか?
それは思考による「論理」の組み立てで、「困った」を解決する方法を「生み出す」役割りを与えられたからだと生体エネルギーでは考えられています。
「想いがすべてを造る?あー知ってる知ってる、昔よく流行ったよね、ジョセフ・マーフィーの法則とか、カーネギーとか」
とおっしゃる人もいるでしょう。
生体エネルギーはそれとはちょっと違います。
確かに思考態は想いを具現する力を持っています。
「人は自分が思うとおりの人生を生きる」は真理だと思います。
しかしそれが「自分だけの希望をかなえる」「自分だけが利益をえる」「人の迷惑は関係ない」という内容の「生み出す」の場合は、最後に必ず「崩れる」というのが生体エネルギー学問の考え方です。
その様な「自分だけ」という「生み出す」のことを、「我為(がい)」と言います。
それに対し、自分の周囲にも喜んでもらえ、結果的に自分たちを生み出した存在に喜んでもらえる「生み出す」のことを「無為(むい)」と言います。
うまくいった!と思っても最後には崩れる「我為」よりは、出来れば「無為」を生み出したいものです。
そのネタが実は日常生活にもゴロゴロしているのです。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
16:24
2009年08月22日
存在の属性について(その4)
聖書に出てくる『ノアの箱舟』か?!と思われるほど、今年の夏は雨が多かったです。
しかも勢いがハンパではない、「バケツをひっくり返したような」という表現がありますがそんなもんじゃない降り方が多かったです。
我が家のある地域は日本でも上位に入るほど降雨量の少ない場所ですが、梅雨に入ってからお盆前まで、一日中雨が降らなかったという日が数えるほどしかありませんでした。
お陰で隣地との境いに石積みをした石の間から土が流れでて来てしまいました。
地球温暖化による気候変動のせいで、これからもっとこの様な傾向(内陸および沿岸部で局地的な豪雨)になると言われているので、いやはやどうしたものか・・・と思案中です。
さらに今年今までと違うのが、自宅背後にある山の頂上が、晴れていても雲や霧に包まれていることが多いことです。
我が家の背景には浅間連峰の一つの2.040mの山がありますが、晴れた日にはくっきりと稜線をあらわし、冬は白、春夏は緑、秋は茶色と変化してたいへんきれいです。
ところが最近その山が、晴れたときでも頂上をあらわさないことがあるのです。
しかも我が家までも山から下りてくる霧に包まれる日が多くなりました。
霧は山を守る『眷属(けんぞく)』であるという事を聞いたことがあります。
眷属(けんぞく)=従者。仏・菩薩につき従うもの。(広辞苑より)
日本神道でもそれぞれの神さまに眷属と呼ばれる従者がいます。
お稲荷様における狐などはその代表的な例ですね。
そして「霧」は「山の神」の「従者」だというワケです。
「なぜ今年はこんなに霧が多いのだろう?」と思ったときに、先月友人の鬼龍さんから言われたことを思い出しました。
7月の連休に岐阜県郡上市にある「白山中居神社」へ詣でる際に、足を伸ばして石川県と富山県境にある「医王山」へ登ることを鬼龍さんに伝えました。
「医王」という名称は真言宗の経典にも出てくる、現代語で言えば「名医」という意味なので、医療関係者としては一度登ってみたいと思っていた場所です。
また医王山は「白山」を開山した「泰澄大師」が修行をしていた山としても知られています。
さて医王山に登ることを伝えると鬼龍さんが言われたことが、「最近、龍神さまがお怒りで、どこの山も荒れているから気をつけた方がいいですよ」ということでした。
特に「霊山」と呼ばれる山は注意が必要で、山をナメてかかったり不敬な気持ちで登ると大変なことになるのだそうです。
実際、医王山に行ったときも、周囲は快晴なのに医王山だけが厚い霧に包まれていました。
鬼龍さんによれば我が家の背後の山にもしっかり龍神さまがおられ、我が家から数十メートルのところにある巨大なケヤキの木と祠(ほこら)には眷属がひかえているそうです。
(そのケヤキの木と祠ですが、アニメ映画「となりのトトロ」に出てくるトトロの住み家にそっくりです)
・・・ということはうちの裏山も龍神さまがご機嫌が悪く、それで雲や霧の発生が多いのでしょうか?
(考え過ぎだって意見もありますが・・・(^ ^;))
ちなみに龍神の活動が活発になると、地震になるそうです。
さて、龍神さまの話題が出たところで・・・
龍神さまは「地の神」系ですから、自然の法則にさからう者に対して厳しいと言われているそうです。
”自然の法則にさからう”とはどういうことかと言うと、自分さえ良ければ他人はどうでもよかったり、うまく行かない事や欲望が満たされない事を他人のせいにしたり、家族が自分の思い通りに動かないことにイラついたり、人を恨んだり妬んだり呪ったり、自己中心な理由で怒ったりキレたり、自分以外を否定したり拒否したり、他人を傷つけてでも欲しいものを手に入れようとしたり、理不尽なクレームを付けたり、他人の不幸が楽しかったり・・・等々、一般にマイナスと言われる思いや行為のことです。
(私共は凡人ですから、これは思い当たるふしが多く冷や汗ものです・・・)
一方、”自然の法則に準じる”とは一般にプラスと言われる思いや行為のことで、その代表が他を生(活)かそうとする『利他の行為』や、お釈迦様の説かれる『慈悲愛』ではないかと思われます。
自分を振り返ると自然の法則のさからっている事が多いのですが、今の社会もどう見ても自然の法則にさからう現象の方が多いようです。
・・・となれば、龍神さまが機嫌をそこねるのも当然かもしれませんね。
「地の神」系は自然の法則にさからう者にどのように厳しいのかと言うと、日常生活や仕事の中でうまく行かない、辛い思いをするような出来事を与えたり、極端な場合は魂と肉体をはく離させ肉体だけを地に返そうとするのだそうです。(病気や死の原因がすべてこの為だと言っているわけではありませんので、誤解されませんように。肉体が衰え死に至るのは現状の遺伝子では当たり前の事ですから。)
「地の神」系の対照にあるのが「天の神」系と言われていますね。
こちらは罰を与えるような導き方はされないようですが、罰を与える事がいけないのではなく、「地の神」も「天の神」もどちらも、すべての存在が自然の法則に添った生き方をするように導いていることに変わりはないそうです。
つまり天と地という対照的な存在が、「表裏一体」となって同じ目的に向かって働いているというワケです。
そういう意味では、嫌な出来事や病気などがすべて”悪”であるとは言い切れないかもしれません。
医療関係者が病気は”悪”でないと言うとは何事か!と怒られそうですが、病気はもちろん無い方が良いにきまっています。
ただ病気になったことをひたすら嘆くのでなく、病気を己に自然の法則を学ばせようとするキッカケととらえたらどうだろうかと言うことです。
生体エネルギー技術は宗教哲学ではありませんから、神々や眷属というような存在はその学問には出てきませんが、このところ紹介している生体エネルギーの「存在の属性」という考え方を、上記に述べた『自然の法則の原理』と関連づけて考えると、興味深いものがあるように思います。
6月の記事で、生体エネルギーでは存在一個体を5つの属性に分類して考えていると紹介しました。
人間だけでなく、動物、植物、すべての物質も同様に一個体として5つの属性(本質的な要素)で構成されていると考えています。
ではその5つの属性のそれぞれがどの様に自然の法則の原理と関わっているかを考えてみましょう。
まず
①思考態(しこうたい):
これは人間で言えば「知能」や「意識」という要素です。自分で認識できる「考え」や「思い」や「記憶」のことです。
思考態(知能)が発達している人間の場合はここがクセもので、とくに煩悩という欲望やマイナスの考え・思い・感情を生み出しやすく、”自然の法則にさからう”現象を作り出し易いのです。
勿論、思考態は悪者ではなく良いものも生み出しますが、パーセンテージで言ったらどうしてもマイナスを作る方が多いようです。
THDさんのセミナーでも大人気の『ホ・オポノポノ』のヒューレン博士は、「何も考えずにひたすら御免なさい、許して下さい、愛しています、有難うございますという4つの言葉を唱え続けよ」と言われているようですが、恐らく博士は思考態がマイナスを生み出す癖をよく知っておられるのだろうと思います。
日本の諺(ことわざ)でも「ヘタな考え休むに似たり」と言いますね。
思考態で生まれる考えや思いはどうしても今までの記録(記憶・データ)に基づいているため、そこを抜け出せない限りは何を考えてもまたドツボにはまるというわけです。
そこで先人たちが考えた方法の一つが「瞑想」なんでしょうね。
思考態をはずして「無」になろうと・・・。
(この方法については色々と考え方があるようですので今回は論じません)
さて、この思考態について先日おもしろい体験をしたので書いてみたいと思います。
「ヘタな考え休むに似たりなのは分かるが、悪あがきでもいいからちょっと考えてみよう!」とやったのです。
テーマは:
「臨時で医院の敷地の「雑草除去作業」に来てくれる派遣さんの中に、すぐ作業の手を休めては辺りをぼーっと見回したり煙草を吸ったり、その吸殻をポイ捨てする人が一人おり、どうしてもその人物に対してイライラがつのるのはどうしてか?」です。
えーっ?!一生懸命働かない人に対してイライラするのは当然だろー!
と言われるかもしれませんが、こういう人を見ても穏やかでいられる人も居るわけですから、イライラする原因は自分にあるわけですね。
そこで思考態で追求です。
イラつくのは何故か? → 自分だったら一生懸命働くのにこの人の態度は何だ!と思う → 自分が常に正しくて他人が間違っている → 他人を自分の基準に当てはめようとする。 → 反省 → しかし時給を払っているのだから一生懸命働いてもらわねば困るだろう → 時給を払ってるんだから働けよ! → 雇ってやってるんだぞという考え方 → 自分がエラくて他人は下 → 上から目線 → 結局は自分は傲慢だということじゃないか! → すみません・・・
・・・とここまで来て、結局はホ・オポノポノ式の「御免なさい・・・」に至るわけですが、不思議なことが一つありました。
「傲慢な自分」に行き着いたとたん、思考がパタッと停止したのです。
突然目の前にシャッターが降りたというような感覚で、それ以上何も考えられなくなったのです。
これはどういう事だろう?と後から考えてみたのですが、どうも自分自身に「反省」をそれ以上させないような仕組みが自動的に働いたような感覚です。
それが何なのか今のところ分かりませんが、もしかしたら「傲慢である自分」を認めたくない自分が強引にシャッターを降ろしたのかもしれませんね。
・・・としたら、思考態の範囲の中だけではどこまで行っても”愚か”ですね。
ということで、次回の記事も続けて「存在の属性」と「自然の法則」と関連させて考えてみようと思います。
・・・つづく
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
しかも勢いがハンパではない、「バケツをひっくり返したような」という表現がありますがそんなもんじゃない降り方が多かったです。
我が家のある地域は日本でも上位に入るほど降雨量の少ない場所ですが、梅雨に入ってからお盆前まで、一日中雨が降らなかったという日が数えるほどしかありませんでした。
お陰で隣地との境いに石積みをした石の間から土が流れでて来てしまいました。
地球温暖化による気候変動のせいで、これからもっとこの様な傾向(内陸および沿岸部で局地的な豪雨)になると言われているので、いやはやどうしたものか・・・と思案中です。
さらに今年今までと違うのが、自宅背後にある山の頂上が、晴れていても雲や霧に包まれていることが多いことです。
我が家の背景には浅間連峰の一つの2.040mの山がありますが、晴れた日にはくっきりと稜線をあらわし、冬は白、春夏は緑、秋は茶色と変化してたいへんきれいです。
ところが最近その山が、晴れたときでも頂上をあらわさないことがあるのです。
しかも我が家までも山から下りてくる霧に包まれる日が多くなりました。
霧は山を守る『眷属(けんぞく)』であるという事を聞いたことがあります。
眷属(けんぞく)=従者。仏・菩薩につき従うもの。(広辞苑より)
日本神道でもそれぞれの神さまに眷属と呼ばれる従者がいます。
お稲荷様における狐などはその代表的な例ですね。
そして「霧」は「山の神」の「従者」だというワケです。
「なぜ今年はこんなに霧が多いのだろう?」と思ったときに、先月友人の鬼龍さんから言われたことを思い出しました。
7月の連休に岐阜県郡上市にある「白山中居神社」へ詣でる際に、足を伸ばして石川県と富山県境にある「医王山」へ登ることを鬼龍さんに伝えました。
「医王」という名称は真言宗の経典にも出てくる、現代語で言えば「名医」という意味なので、医療関係者としては一度登ってみたいと思っていた場所です。
また医王山は「白山」を開山した「泰澄大師」が修行をしていた山としても知られています。
さて医王山に登ることを伝えると鬼龍さんが言われたことが、「最近、龍神さまがお怒りで、どこの山も荒れているから気をつけた方がいいですよ」ということでした。
特に「霊山」と呼ばれる山は注意が必要で、山をナメてかかったり不敬な気持ちで登ると大変なことになるのだそうです。
実際、医王山に行ったときも、周囲は快晴なのに医王山だけが厚い霧に包まれていました。
鬼龍さんによれば我が家の背後の山にもしっかり龍神さまがおられ、我が家から数十メートルのところにある巨大なケヤキの木と祠(ほこら)には眷属がひかえているそうです。
(そのケヤキの木と祠ですが、アニメ映画「となりのトトロ」に出てくるトトロの住み家にそっくりです)
・・・ということはうちの裏山も龍神さまがご機嫌が悪く、それで雲や霧の発生が多いのでしょうか?
(考え過ぎだって意見もありますが・・・(^ ^;))
ちなみに龍神の活動が活発になると、地震になるそうです。
さて、龍神さまの話題が出たところで・・・
龍神さまは「地の神」系ですから、自然の法則にさからう者に対して厳しいと言われているそうです。
”自然の法則にさからう”とはどういうことかと言うと、自分さえ良ければ他人はどうでもよかったり、うまく行かない事や欲望が満たされない事を他人のせいにしたり、家族が自分の思い通りに動かないことにイラついたり、人を恨んだり妬んだり呪ったり、自己中心な理由で怒ったりキレたり、自分以外を否定したり拒否したり、他人を傷つけてでも欲しいものを手に入れようとしたり、理不尽なクレームを付けたり、他人の不幸が楽しかったり・・・等々、一般にマイナスと言われる思いや行為のことです。
(私共は凡人ですから、これは思い当たるふしが多く冷や汗ものです・・・)
一方、”自然の法則に準じる”とは一般にプラスと言われる思いや行為のことで、その代表が他を生(活)かそうとする『利他の行為』や、お釈迦様の説かれる『慈悲愛』ではないかと思われます。
自分を振り返ると自然の法則のさからっている事が多いのですが、今の社会もどう見ても自然の法則にさからう現象の方が多いようです。
・・・となれば、龍神さまが機嫌をそこねるのも当然かもしれませんね。
「地の神」系は自然の法則にさからう者にどのように厳しいのかと言うと、日常生活や仕事の中でうまく行かない、辛い思いをするような出来事を与えたり、極端な場合は魂と肉体をはく離させ肉体だけを地に返そうとするのだそうです。(病気や死の原因がすべてこの為だと言っているわけではありませんので、誤解されませんように。肉体が衰え死に至るのは現状の遺伝子では当たり前の事ですから。)
「地の神」系の対照にあるのが「天の神」系と言われていますね。
こちらは罰を与えるような導き方はされないようですが、罰を与える事がいけないのではなく、「地の神」も「天の神」もどちらも、すべての存在が自然の法則に添った生き方をするように導いていることに変わりはないそうです。
つまり天と地という対照的な存在が、「表裏一体」となって同じ目的に向かって働いているというワケです。
そういう意味では、嫌な出来事や病気などがすべて”悪”であるとは言い切れないかもしれません。
医療関係者が病気は”悪”でないと言うとは何事か!と怒られそうですが、病気はもちろん無い方が良いにきまっています。
ただ病気になったことをひたすら嘆くのでなく、病気を己に自然の法則を学ばせようとするキッカケととらえたらどうだろうかと言うことです。
生体エネルギー技術は宗教哲学ではありませんから、神々や眷属というような存在はその学問には出てきませんが、このところ紹介している生体エネルギーの「存在の属性」という考え方を、上記に述べた『自然の法則の原理』と関連づけて考えると、興味深いものがあるように思います。
6月の記事で、生体エネルギーでは存在一個体を5つの属性に分類して考えていると紹介しました。
人間だけでなく、動物、植物、すべての物質も同様に一個体として5つの属性(本質的な要素)で構成されていると考えています。
ではその5つの属性のそれぞれがどの様に自然の法則の原理と関わっているかを考えてみましょう。
まず
①思考態(しこうたい):
これは人間で言えば「知能」や「意識」という要素です。自分で認識できる「考え」や「思い」や「記憶」のことです。
思考態(知能)が発達している人間の場合はここがクセもので、とくに煩悩という欲望やマイナスの考え・思い・感情を生み出しやすく、”自然の法則にさからう”現象を作り出し易いのです。
勿論、思考態は悪者ではなく良いものも生み出しますが、パーセンテージで言ったらどうしてもマイナスを作る方が多いようです。
THDさんのセミナーでも大人気の『ホ・オポノポノ』のヒューレン博士は、「何も考えずにひたすら御免なさい、許して下さい、愛しています、有難うございますという4つの言葉を唱え続けよ」と言われているようですが、恐らく博士は思考態がマイナスを生み出す癖をよく知っておられるのだろうと思います。
日本の諺(ことわざ)でも「ヘタな考え休むに似たり」と言いますね。
思考態で生まれる考えや思いはどうしても今までの記録(記憶・データ)に基づいているため、そこを抜け出せない限りは何を考えてもまたドツボにはまるというわけです。
そこで先人たちが考えた方法の一つが「瞑想」なんでしょうね。
思考態をはずして「無」になろうと・・・。
(この方法については色々と考え方があるようですので今回は論じません)
さて、この思考態について先日おもしろい体験をしたので書いてみたいと思います。
「ヘタな考え休むに似たりなのは分かるが、悪あがきでもいいからちょっと考えてみよう!」とやったのです。
テーマは:
「臨時で医院の敷地の「雑草除去作業」に来てくれる派遣さんの中に、すぐ作業の手を休めては辺りをぼーっと見回したり煙草を吸ったり、その吸殻をポイ捨てする人が一人おり、どうしてもその人物に対してイライラがつのるのはどうしてか?」です。
えーっ?!一生懸命働かない人に対してイライラするのは当然だろー!
と言われるかもしれませんが、こういう人を見ても穏やかでいられる人も居るわけですから、イライラする原因は自分にあるわけですね。
そこで思考態で追求です。
イラつくのは何故か? → 自分だったら一生懸命働くのにこの人の態度は何だ!と思う → 自分が常に正しくて他人が間違っている → 他人を自分の基準に当てはめようとする。 → 反省 → しかし時給を払っているのだから一生懸命働いてもらわねば困るだろう → 時給を払ってるんだから働けよ! → 雇ってやってるんだぞという考え方 → 自分がエラくて他人は下 → 上から目線 → 結局は自分は傲慢だということじゃないか! → すみません・・・
・・・とここまで来て、結局はホ・オポノポノ式の「御免なさい・・・」に至るわけですが、不思議なことが一つありました。
「傲慢な自分」に行き着いたとたん、思考がパタッと停止したのです。
突然目の前にシャッターが降りたというような感覚で、それ以上何も考えられなくなったのです。
これはどういう事だろう?と後から考えてみたのですが、どうも自分自身に「反省」をそれ以上させないような仕組みが自動的に働いたような感覚です。
それが何なのか今のところ分かりませんが、もしかしたら「傲慢である自分」を認めたくない自分が強引にシャッターを降ろしたのかもしれませんね。
・・・としたら、思考態の範囲の中だけではどこまで行っても”愚か”ですね。
ということで、次回の記事も続けて「存在の属性」と「自然の法則」と関連させて考えてみようと思います。
・・・つづく
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
11:57
2009年07月07日
存在の属性について(その3)
1週間ほど前、梅雨のあいまに玉ねぎの収穫をしました。
玉ねぎを作ったのは初めてなので何も知らず、スーパーマーケットで売っているあの状態にすればいいんだろうと、ハサミで根と茎をチョンチョン切り落としてネットに詰めていきました。
ところが後で農家の友人に聞いたところ、茎は切り落とさず、玉ねぎ2個ずつを残した茎どうしでしばり、物干しざおに引っ掛けて干すのだそうです。
家族が農業をしているスタッフにたずねても、茎でしばって干すのは常識らしく、「茎、切っちゃったんですかぁ~」と笑われました。(-_-;)
食卓で切り身の魚しか見たことのない子供は、魚とは切り身で海の中を泳いでいると思っているという話を聞いて「ウソだろ~?」と思ったことがありますが、今回の失敗はそれと遠からずのようです。
何でもスーパーで売っている状態しか知らなければ、そんなものなんですね。
仕方なく書斎の床にゴロゴロ並べ、今は玉ねぎの中でブログを更新しています。
(その前に事務所に並べて干したら、スタッフから大ひんしゅくを買いました。)
しかし土の生体エネルギーを高めて作った玉ねぎは、嫌な臭いがしないので助かります。
さて、前回の記事で「存在の属性」を生体エネルギーではこのように分類しているという事を書きましたが、①の「そみょう」が最近では「界命(かいみょう)」という呼び方をされています。
「界命(かいみょう)」とは境(さかい)を作っている命という意味です。
例えば美しい女優の吉永小百合さん(すみません、最近の若い女優さんを知らないもので)、
もし我々の眼がごく小さな細胞も見える能力を持っていたとしたら、小百合さんを見たときにどう見えるでしょうか?
恐らく小百合さんはそこには居らず、びっしりと並んだ細胞のかたまりしか見えないでしょう。(サユリストの方々怒らないで下さいね。)
幸い我々の視力が非常におおざっぱな為、小百合さんが小百合さんとして見えるんですよね。
では我々の視力が細胞より小さな分子が見えるようになったら?
そこには小百合さんも細胞もなく、分子がびっしり並んだかたまりがあるだけですね。
では視力が原子が見えるようになったら?
小百合さんも細胞も分子もなく、原子が山のように集まったかたまりがあるだけです。
つまり我々が在ると思っていたものは、実は無かったということなんです。
では何があるのか?と言うと、そこには集まったものをひとかたまりにして境いを作り、それぞれ分子という命、細胞という命、吉永小百合さんという命を営んでいる「境の命」、すなわち「界命」があるだけなのだ・・・と言われています。
それが前回の記事で紹介した「そみょう」の実態だというわけです。
そして生体エネルギーとは、「界命」がそれぞれ人を、細胞を、分子を、原子を・・・営むために使われているエネルギーだというわけです。
「界命」はどこまでさかのぼれるんでしょうか?
おそらく有形では一番最初の粒子までさかのぼれるのでしょう。
今はせいぜいクオークやレプトン位までしか分かっていませんが・・・。
普段、我々は色々な存在を「属性」という要素にわけて考えるということはしないだろうと思います。
そんな面倒なことをしなくても一応は生きていかれるからです。
しかしそれでは本当の意味で自主的に生きることは出来ないのではないか?と生体エネルギーでは考えられています。
次々と自分の周囲に起こる様々な現象にただ翻弄されて生きるしかなくなります。
そこでもっと積極的に現実を創り出すには?
その為には人や物という存在や、この宇宙がどのような属性でどんな仕組みで出来ているのかを推測する必要があるというわけです。
宇宙の仕組みと言えば、このブログでもしばしば紹介する友人の鬼龍さんから、最近非常に興味深いことを聞きました。
(本日の「天七ブログ」(http://ameblo.jp/jintuuriki/)で鬼龍さん自身がその事を書いていますので詳しくはそちらを読んでもらえればと思います。)
自分が人の相談にのっているつもりが、実は相談者との縁を通じて自分が気づかなければならないことがあったというんです。
人との縁やつながりだけでなく、すべては必ず何かを学ぶために用意されているという宇宙の仕組み、その奥深さに「一体誰がそれを仕組んでいるんだろう!?」と思わざるをえません。
(注:このブログで紹介している生体エネルギーの記述はあくまでも私共の解釈です。生体エネルギーについて正しく学んでみたいという方は、「お気に入り」の欄で紹介している生体システム実践研究会へ問い合わせられることをお勧めします。)
玉ねぎを作ったのは初めてなので何も知らず、スーパーマーケットで売っているあの状態にすればいいんだろうと、ハサミで根と茎をチョンチョン切り落としてネットに詰めていきました。
ところが後で農家の友人に聞いたところ、茎は切り落とさず、玉ねぎ2個ずつを残した茎どうしでしばり、物干しざおに引っ掛けて干すのだそうです。
家族が農業をしているスタッフにたずねても、茎でしばって干すのは常識らしく、「茎、切っちゃったんですかぁ~」と笑われました。(-_-;)
食卓で切り身の魚しか見たことのない子供は、魚とは切り身で海の中を泳いでいると思っているという話を聞いて「ウソだろ~?」と思ったことがありますが、今回の失敗はそれと遠からずのようです。
何でもスーパーで売っている状態しか知らなければ、そんなものなんですね。
仕方なく書斎の床にゴロゴロ並べ、今は玉ねぎの中でブログを更新しています。
(その前に事務所に並べて干したら、スタッフから大ひんしゅくを買いました。)
しかし土の生体エネルギーを高めて作った玉ねぎは、嫌な臭いがしないので助かります。
さて、前回の記事で「存在の属性」を生体エネルギーではこのように分類しているという事を書きましたが、①の「そみょう」が最近では「界命(かいみょう)」という呼び方をされています。
「界命(かいみょう)」とは境(さかい)を作っている命という意味です。
例えば美しい女優の吉永小百合さん(すみません、最近の若い女優さんを知らないもので)、
もし我々の眼がごく小さな細胞も見える能力を持っていたとしたら、小百合さんを見たときにどう見えるでしょうか?
恐らく小百合さんはそこには居らず、びっしりと並んだ細胞のかたまりしか見えないでしょう。(サユリストの方々怒らないで下さいね。)
幸い我々の視力が非常におおざっぱな為、小百合さんが小百合さんとして見えるんですよね。
では我々の視力が細胞より小さな分子が見えるようになったら?
そこには小百合さんも細胞もなく、分子がびっしり並んだかたまりがあるだけですね。
では視力が原子が見えるようになったら?
小百合さんも細胞も分子もなく、原子が山のように集まったかたまりがあるだけです。
つまり我々が在ると思っていたものは、実は無かったということなんです。
では何があるのか?と言うと、そこには集まったものをひとかたまりにして境いを作り、それぞれ分子という命、細胞という命、吉永小百合さんという命を営んでいる「境の命」、すなわち「界命」があるだけなのだ・・・と言われています。
それが前回の記事で紹介した「そみょう」の実態だというわけです。
そして生体エネルギーとは、「界命」がそれぞれ人を、細胞を、分子を、原子を・・・営むために使われているエネルギーだというわけです。
「界命」はどこまでさかのぼれるんでしょうか?
おそらく有形では一番最初の粒子までさかのぼれるのでしょう。
今はせいぜいクオークやレプトン位までしか分かっていませんが・・・。
普段、我々は色々な存在を「属性」という要素にわけて考えるということはしないだろうと思います。
そんな面倒なことをしなくても一応は生きていかれるからです。
しかしそれでは本当の意味で自主的に生きることは出来ないのではないか?と生体エネルギーでは考えられています。
次々と自分の周囲に起こる様々な現象にただ翻弄されて生きるしかなくなります。
そこでもっと積極的に現実を創り出すには?
その為には人や物という存在や、この宇宙がどのような属性でどんな仕組みで出来ているのかを推測する必要があるというわけです。
宇宙の仕組みと言えば、このブログでもしばしば紹介する友人の鬼龍さんから、最近非常に興味深いことを聞きました。
(本日の「天七ブログ」(http://ameblo.jp/jintuuriki/)で鬼龍さん自身がその事を書いていますので詳しくはそちらを読んでもらえればと思います。)
自分が人の相談にのっているつもりが、実は相談者との縁を通じて自分が気づかなければならないことがあったというんです。
人との縁やつながりだけでなく、すべては必ず何かを学ぶために用意されているという宇宙の仕組み、その奥深さに「一体誰がそれを仕組んでいるんだろう!?」と思わざるをえません。
(注:このブログで紹介している生体エネルギーの記述はあくまでも私共の解釈です。生体エネルギーについて正しく学んでみたいという方は、「お気に入り」の欄で紹介している生体システム実践研究会へ問い合わせられることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
21:25
2009年06月11日
存在の属性について(その2)

右の写真の花は「ウツギ」、別名を「卯の花」と言います。
「♪ 卯の花の匂う垣根に、ホトトギス早も来鳴きて、忍音もらす 夏は来ぬ ♪」
唱歌 夏は来ぬに唄われているアジサイ科の落葉低木です。
知人のOさんから自宅に咲いているのを頂きました。
こんなに満開なのを見たのは初めてですが、あまりの見事さに思わず写真を撮ってしまいました。
香りもまた最高で、部屋中がグリーンノートの香りで満たされます。
「夏は来ぬ」の唱歌のとおり、ここのところ毎日聞こえるのがホトトギスの鳴き声です。
畑仕事のために早朝外へ出ると、涼やかな空気を通って聞こえるカッコーの声。
また、夜は静けさの中に「ホーホー」とフクロウの鳴き声。
鳥たちが確実に季節の移り変わりを知らせてくれます。
今年もまた雑草との格闘の季節がやってきましたが、つくづく思うのは彼らの賢さです。
例えば芝刈り機で芝ごとタンポポを刈り取ります。
刈り取っただけで根っこを抜いていないので、当然また伸びてきます。
しかしその伸び方が、芝刈り機の刃に触れない範囲で、地面をはうように花をつけるのです。
茎がほとんど無く、葉からいきなり花が咲いているように見えるタンポポを想像してもらえばいいでしょう。
花を付けて我々に気がつかれないうちに種を飛ばしてしまえばタンポポの勝ちです。
「種の継続」という彼らの目的は達成されます。
タンポポに限らず、芝の中に生えた雑草はきちんと芝刈り機の刃をくぐりぬけるワザを習得しています。
人間のような脳みそが無い彼らの、いったい何処にそんな知恵があるのでしょうか。
生体エネルギー学問では、知恵は脳みそだけにあるのではないと考えています。
命そのものがイコール知恵であると考えられています。
この場合は「知恵」と書くより「智慧」と書いた方が適切でしょう。
「知恵」は私たちが認識できる部分、教育などで習得してきた部分を言います。
しかし「智慧」は命そのもの、存在そのものだと考えられています。
したがって脳みそが無い生き物、またあっても小指の先ぐらいの大きさしかなさそうな生き物でも、種の継続という重要な目的を果たすために様々な工夫をほどこす智慧をもっているのです。
最近THDさんから送られてきた「元気アップ通信」に近藤社長がウイルスの事を書かれていましたが、その記事によればウイルスの智慧などは単に種を継続する目的だけでなく、もっと高度な目的のために使われているようです。
では人間にも「知恵」だけでない「智慧」があるのでしょうか。
あると思います!(某お笑いの「○○詩吟」ではありませんが・・・)
一般には人間の『属性』を、「肉体」と「自分が認識できる意識(精神)」の2つだけであらわしています。
*属性とは「物がそれなしには考えられないような本質的な性質(広辞苑より)」のことです。
つまり人間というものは「肉体」と「精神」という二つの属性だけで十分言い表すことが出来る、とされているのが通常だということです。
一方、生体エネルギー学問では人間に限らずすべての存在の属性を2つだけでなく5つに考えています。
それは・・・
① そみょう (「そ」は当用漢字にない独自の文字なので外字エディターで作るしかありません。「みょう」は「命」という漢字を当てはめます)
② 自司機序(じしきじょ)
③ X智能意識体(Xちのういしきたい、放射エネルギーのこと)
④ 能支配系(のうしはいけい)
⑤ 思考態(しこうたい)
・・・の5つです。
それぞれの詳しい定義の説明はここでは省くとして、
先ほどの「自分でわかっている知恵」に当たるのが⑤の「思考態」です。
我々はまず自分という存在の殆どがこれしかないと思っています。
ああしよう、こうしよう、どうしよう、嬉しい、悲しい、憎らしい、頭にくる、足し算、引き算、記憶・・・その他もろもろの、自分で認識できる部分です。
しかし自分でわかる意識だけで人間は生きていません。
意識せずとも呼吸し、心臓が鼓動し、食物を消化し、免疫が働き・・・という智恵があります。
これを④の「能支配系」と呼んでいます。
ある意味、肉体を維持するための肉体内の智恵です。
では肉体の中の範囲の智恵だけで生きていられるでしょうか?
「能支配系」の智恵は純然たる「体内」の智恵です。
人間にとって「体内」はある意味の聖域です。
腸管や皮膚のような「体外」には無数の微生物がいてもOKですが、「体内」に侵入することは許されません。
ということは、智恵が体内にあるだけでは防御が足りないことになります。
当然、肉体の外のエリアにも智恵が必要です。
これが③の放射エネルギーです。
体内の手前で外から来る情報を察知し、吟味し、自分以外の存在と情報交換し、バリアー的役目も果たし、情報蓄積の仕事もする・・・「X智能意識体」と呼ばれている、目に見えない放射エネルギーという智恵です。
ここまで来ると「智恵」と「智慧」の中間くらいかな?と勝手に考えています。
そして②の「自司機序」。自らをつかさどるシステム(機序)。
この定義についてはまだまだ私共の理解が足りないのであえて書くことをしませんが、ここには私という存在が生まれるにあたって、前もって「天から頂いた承認」的要素があると言われています。
精神世界系ブログランキング上位の「伊勢白山道」さんもたびたびこのように言われています。
輪廻転生をくり返してきた己の魂が神界に「もう一度人生をやるチャンスを下さい」とプランを提出し、審査の結果まぁいいでしょうと承認を頂いて、己の魂と「産土神」がドッキングして胎内に宿ったのが人間である・・・と。
つまり②の自司機序とは、承認のハンコをもらった事業計画書という智慧のようなものではないかと理解しています。
そして①の「そみょう」については、これも私共の理解がまだまだ追いつかないエリアですが、さらに高尚な智慧(いのち)だろうと推測しています。
生体エネルギー学問がなぜこのように、存在というものを複雑な属性に分けて考えるのか。
それは人類として進化をめざすには、存在というものをざっくりおおざっぱに考えていてはソフトウエアが書けないからだと思います。
有形、形あるものはもともと全て無形、形のない情報から出来ているというのが生体エネルギーの考え方です。
そして形の無い情報とはまさにソフトウエアそのものです。
目的のソフトウエアを構築するには、自然界や存在というものの仕組み、属性などを細かく定義することが必要だというわけです。
難しい話になってしまいましたが、要は自分でわかっている範囲の考えや思いや知恵というものは、自分を構成している全体のごく一部でしかない、という考え方があるんだということですね。
また一方で、自分を構成している全体のごく一部でしかない「思考態」が全体に与える影響が強力なのが人間という生き物の特徴でもあります。
「思考態」で病気を作り出すこともできるのです。
人間として生まれ、発達した思考態を与えられたことを感謝しつつ、雑草刈りをしながら、全身の智慧をひたすら一生懸命生きることに使っている植物たちの姿にも驚く今日この頃であります。
Posted by 渋谷夫婦 at
16:53
2009年05月26日
東京に「気の家」オープン
カッコーが鳴き始めました。
田んぼではカエルがケロケロ、周囲の森では春ゼミがカナカナ(ひぐらしに似た鳴き声です)、一日中鳥たちがピーチクパーチク。
冬の間の静寂とは打って変わったにぎやかさです。
畑も庭も忙しく、ついブログ更新が後回しになってしまっています。反省(-_-;)。
知人のF氏が東京で「気の家」をオープンされました。
「道場開き」の案内を頂いたのでご紹介します。
F氏は「ハーテック・ラボラトリーズ」という「学習塾」と、「理数系思考を広める活動」と、「気の道場」を主催されています。(詳しくは下記サイトをご覧下さい)
http://homepage2.nifty.com/heartec/index.html
私共も上京したときに塾へお邪魔したことがあり、その際におもしろい歩き方を教えて頂きました。
足を1歩前に出したときに、出したほうのお尻から太ももの裏側にかけて体重をかけて体を支えます。
ふつう歩くときは身体が前に傾斜するものですが、この場合はむしろ後ろに傾斜する感じです。
次に反対の足を1歩前へ出して、同様にその足側のお尻から太ももの裏側にかけて体重をかけます。
これを繰り返しながら歩きます。
慣れないと身体が支えにくくヨロヨロしますが、ゆっくりと歩きます。
ゆるい上り坂でおこなうと、より効果的だそうです。
何に効果があるかというと、運動神経が変わるのだそうです。
言われてみると確かに、動きが変わってきます。
それだけでなく、色々な効果があるそうです。
F氏から頂戴した「スカイ・ウオーク」という歩き方の画像を拝見すると、この歩き方で生徒さん達がゆるゆると歩いています。
上半身の力を抜いて肩を落とし、ほうけた様に(失礼!)歩いています。
しばらく画面を観ていると、観ている側も何やら全身の力がゆるんでくるような気がします。
そして、無意識に肩をいからせていた事や、ストレスで胃の辺りがぎゅっと固まっていたことが感じられるようになります。
F氏は道場で、屈強な若者数人に身体を押さえられても、「はっ」とかけ声一発でその若者たちがぐにゃぐにゃにその場へへたり込んでしまいます。
相手に「気」を送るとそうなるのだそうで、観ていて本当に不思議です。
「学習塾」と「理数系思考の勧め」と「気」、ふしぎな取り合わせですが、これからの子供たちを育てるのに必要なキーポイントがたくさん隠れているように思います。
子供のお尻をたたいて「勉強しなさーい!!」と毎日叫んでいるお母さん、一度「ハーテック・ラボラトリーズ」さんを覗いてみてはいかがですか?
田んぼではカエルがケロケロ、周囲の森では春ゼミがカナカナ(ひぐらしに似た鳴き声です)、一日中鳥たちがピーチクパーチク。
冬の間の静寂とは打って変わったにぎやかさです。
畑も庭も忙しく、ついブログ更新が後回しになってしまっています。反省(-_-;)。
知人のF氏が東京で「気の家」をオープンされました。
「道場開き」の案内を頂いたのでご紹介します。
F氏は「ハーテック・ラボラトリーズ」という「学習塾」と、「理数系思考を広める活動」と、「気の道場」を主催されています。(詳しくは下記サイトをご覧下さい)
http://homepage2.nifty.com/heartec/index.html
私共も上京したときに塾へお邪魔したことがあり、その際におもしろい歩き方を教えて頂きました。
足を1歩前に出したときに、出したほうのお尻から太ももの裏側にかけて体重をかけて体を支えます。
ふつう歩くときは身体が前に傾斜するものですが、この場合はむしろ後ろに傾斜する感じです。
次に反対の足を1歩前へ出して、同様にその足側のお尻から太ももの裏側にかけて体重をかけます。
これを繰り返しながら歩きます。
慣れないと身体が支えにくくヨロヨロしますが、ゆっくりと歩きます。
ゆるい上り坂でおこなうと、より効果的だそうです。
何に効果があるかというと、運動神経が変わるのだそうです。
言われてみると確かに、動きが変わってきます。
それだけでなく、色々な効果があるそうです。
F氏から頂戴した「スカイ・ウオーク」という歩き方の画像を拝見すると、この歩き方で生徒さん達がゆるゆると歩いています。
上半身の力を抜いて肩を落とし、ほうけた様に(失礼!)歩いています。
しばらく画面を観ていると、観ている側も何やら全身の力がゆるんでくるような気がします。
そして、無意識に肩をいからせていた事や、ストレスで胃の辺りがぎゅっと固まっていたことが感じられるようになります。
F氏は道場で、屈強な若者数人に身体を押さえられても、「はっ」とかけ声一発でその若者たちがぐにゃぐにゃにその場へへたり込んでしまいます。
相手に「気」を送るとそうなるのだそうで、観ていて本当に不思議です。
「学習塾」と「理数系思考の勧め」と「気」、ふしぎな取り合わせですが、これからの子供たちを育てるのに必要なキーポイントがたくさん隠れているように思います。
子供のお尻をたたいて「勉強しなさーい!!」と毎日叫んでいるお母さん、一度「ハーテック・ラボラトリーズ」さんを覗いてみてはいかがですか?
Posted by 渋谷夫婦 at
10:18
