2011年05月11日
原子を生き物としてとらえる
我が家から車で30分ほどの千曲川の河川敷では、毎年ゴールデンウィークに「佐久バルーンフェスティバル」という熱気球の競技会が行なわれます。ご覧の写真のように、たくさんの熱気球愛好家がエントリーし、河川敷は色とりどり華やかなバルーンで埋め尽くされます。
競技は3日間、早朝にスタートするため、私共も見物のため朝4時30分に早起き。
まだ肌寒い信州の朝もやの中、競技のスタートを待ちました。

空気を温めるガスバーナーの「ゴォー」という大きな音と共に、次々とバルーンがふくらんで行く様は圧巻です。
写真でその雰囲気が伝えられないのが残念ですが、まるで自分たちも一緒にこれから離陸するような、何とも言えないワクワク感があります。

バルーンが温まった空気で満たされると準備完了!
次々と離陸して行きます。
見物客からは一つ一つ離陸するごとに「おおーっ」という歓声が上がります。
人が何かを使って空を飛ぶのは、飛行機の類もあり珍しいことではないんですが、なぜか熱気球の場合は不思議なロマンを感じるからかも知れません。
温めた空気と、自然の風が原動力というローテクに、何とも言えない味わいがあるのです。
(勿論、競技には高い技術を要すると思いますが)

澄んだ青い空に舞い上がっていく沢山のバルーン。
この様な競技会を開催することの出来る環境が整っていることを、じわ~っとありがたく思う瞬間であります。

帰りの車から見えた景色。
民家の軒先のすぐそばをバルーンが通過して行く。
いいよね~(^o^)

高速道路の向こうにもバルーンが・・・。
不思議な風景。
震災からしばらくは各地で「自粛」されていた様々なイベントも、この様に少しずつ元通りに開催されるようになって来ました。
しかし日常が戻って来るのに合わせて、「喉元過ぎれば・・・」になってはならないと思います。
3月20日の記事に、2月の末頃にやって来た「今当たり前に在るものが、ある日突然無くなる」というインスピレーションを思い切り浅読みし、トイレットペーパーの大人買いに走ったという恥ずべき体験を書きました。
その後反省し、そのインスピレーションを深読みした結果、「今当たり前に在るものに対し感謝を忘れるな」と翻訳しています。
仕事がら命にかかわる重い病気の方々に接する事が多いのですが、これからは病気であろうと健康であろうと、今この瞬間に生きているということを当たり前とは考えずに、日々深く感謝しなければいけない時代に入っているのだろうと思います。
さて本日のタイトルは「原子を生き物としてとらえる」ということです。
生体エネルギー技術では、一般的に生き物とは考えられていない物質にも「命」があるととらえている事は今までにも書いてきました。
そして生体エネルギー技術では、それらの物質を我々と同様の生き物として尊重し、彼らにこちらの言う事を聞いてもらうことで物質を変化させる、という事をやって来たそうです。
例えば常識的には「合金」にならない金属どうしがあったとします。
その時に一方の金属に「もう一方が溶けるまで待っとって、一緒に合金になってくれや」とお願いし、「ええよー」と返事が来れば合金になってしまうという、絶対あり得ないことが起こるという様なワケです。
こんな事を書くと「気が狂ってるんじゃないか?!」と思われるかも知れませんが、敏感(特殊?)体質の私共としては「そんなバカな!」と一笑にはふせません。
何故なら、物から話しかけられるという事は何度か体験的にあるからです。
(やっぱりおかしい?)
日本の伝統的宗教である神道の「八百万(やおよろず)の神」には、すべての存在には神が宿っている考え方が根底にあります。
江戸時代の国学者で医者でもある本居宣長は、その神のことを「迦微(かみ)」と書いたそうだという話題は以前にこのブログにも書きましたが、伝統的に日本人には、物を単なる物としてだけとらえないという姿勢があったのです。
ですから昔の人々は本当に、物と会話するという事はあったかも知れません。
今回の震災のニュースで、津波で陸に流されてしまった自分の漁船を発見した漁業者が、「船を見た瞬間に、あ、こいつには魂があるんだと本当に実感しました」と話していましたが、非常時にはフツーの人でもそれを感じ取ることが出来るかも知れないと思いました。
・・・で、何を言いたいかと申しますと、
原子力を扱う人々が、もし原子や核子を「生き物」としてとらえていたら、今どうなっていただろう?という事です。
勿論、東大をはじめ各大学の教授先生方や、政府がそんなことを考えるはずはありませんが、もし考えていたら方向性は違っていただろうと思います。
もしかしたら人類が原子力を扱うことも無かったかも知れません。
まぁこれは極端な私共の空想話ですが、しかし自分たちが扱う物質に対し、人類はもっと謙虚な姿勢を取らなければいけないのではないか?という事は、近頃つくづくと思うところであります。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
16:34
2011年03月31日
生きようとする力を高める
大震災の発生から20日が経過し、月が変わろうとしています。
発生当日からしばらくと、大きな余震があった日などには、敏感体質の私共としては身体全体の強裂な重だるさと筋肉痛を感じていました。
その重だるさというのは、上から何かを乗せられたと言うよりは、地の底に引っ張り込まれるような今までにない感覚です。
地殻活動が活発なときには、地下から強い地磁気(電磁波)が発生しているとはよく言われていることですが、生身のからだにはこの様に反応するのだなと実感しました。
数年前に近所の浅間山が中規模爆発した際には、暗視野顕微鏡(特殊な光の当て方により、血液を染色しないで生のまま観察できる顕微鏡)で血液を見ると、多くの健康な人でも赤血球同士のイオン化による癒着が観察されたことがありました。
所詮、地球の上で生かされている人体。
大地の動きの影響をもろに受けるのは当然のことかも知れません。
では一方精神面は?と言うと、こちらは重い身体とは反対にむしろ高揚しているようです。
TVの報道で或る精神科医が「大きな災害があった後の人々の精神状態の変化過程」について解説しておられましたが、災害直後からしばらくは「助け合うために自分も何かをしなければ」という高揚期が続くということでした。
現実は美談ばかりではないでしょうが、確かに日本だけでなく世界中で多くの人が「被災した皆さんの為に何かをしたい」と心から思っていることは事実です。
今までもこのブログの中で「他人の役に立ちたい」といういわゆる「利他」の精神は生体エネルギーの位置をアップするらしいと書いて来ましたが、その観点からすると、どうも現在のこの「高揚感」は、単に災害体験に伴う精神状態だけではないような気がします。
日本国という一つの生命体の中で、何とかして生きようとする力が動いているように思えます。
日本国というジグゾーパズルの1つ1つのピースである我々が、他を思い遣るという気持ちを持ち(ACの宣伝ではありませんが)それを行動に移すという行為で、国の生体エネルギーを高めようとしているのではないかと思います。
完成したジグゾーパズルから1個のピースを取り除いてみて下さい。
そのピースが自分だと考え、再びジグゾーパズルに目をやると、空いた穴の形(すなわち自分)は、他のすべてのピースによって作られている事が分かります。
ですから他を良くすることは結果的に自分が良くなることにつながり、さらに一段階大きな存在(この場合はジグゾーパズル)を良くすることにつながるのです。
飽くまでも私共の個人的解釈ですが、何かその様なエネルギーの胎動を感じてなりません。
さて話は変わり、私共の長年の仕事上の取引先A氏が福島県の浪江町、福島原発から10Kmのところに居り、A氏を通じた知人が何人も周辺にいます。
A氏と御家族は今のところいわき市に仮避難をしておられ、宅配便の具合もある程度まで復活してきたので、何か必要なものがあれば送りたいと思い、本日携帯に電話をしました。
すると偶然にも知人の東電社員B氏がA氏のところに立ち寄っていたため、B氏とも話をして無事を確認することが出来ました。
B氏によれば現在数百名の東電関係者が原発の現場で必死の作業を続けているとのことで、B氏もわずかな休みをもらった後、明日からまた現場に戻るそうです。
ニュースで報じられている毛布1枚、わずかな食事というのは本当で、B氏が驚いたのはその様な環境の中で体温がものすごく低下した事と、交替休みのあいだに体温を上げようとしても、なかなか上がらなかった事だそうです。
これを聞いて私共は現場の過酷な環境を想像しました。
実は生体エネルギー技術と温度というものには密接な関係があり、人間や動物の場合は生体エネルギー準位が高くなれば体温が上がり、低くなると体温が低下するという傾向があると言われているのです。
(勿論、体温は東洋医学的な体質・気質によるところもあるので、一概にそればかりとは言えませんが)。
最近は一般にも若者の低体温の傾向が言われており、平均35度代が続くと免疫力が何十%も低下すると言われていますね。
生体エネルギーは一つの生命体を維持しようとする力ですから、体温が低下し、更にそれが戻りにくいという事は生体エネルギーの低下をあらわしており、生命活動が低迷していることを示していると思われます。
その様な環境の現場で、今この瞬間も働いている人々がいることを深く考えざるをえません。
「避難している方々のことを考えたら、自分の事など言っていられませんよ。とにかく一刻も早く事態を安全に収束させなければ」とB氏は電話のむこうで言われていましたが、現場の人々が何とか無事に持ちこたえられ、この危機を食い止め、その後しっかりと生命力を回復される事を祈らずにはおられません。
報道によればフランスやアメリカ、IAEAの原子力専門家が応援に入るとのこと。
出来る限りの応援をもらい、人間の手中に治めきれない物質の暴走を食い止めたいものです。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
発生当日からしばらくと、大きな余震があった日などには、敏感体質の私共としては身体全体の強裂な重だるさと筋肉痛を感じていました。
その重だるさというのは、上から何かを乗せられたと言うよりは、地の底に引っ張り込まれるような今までにない感覚です。
地殻活動が活発なときには、地下から強い地磁気(電磁波)が発生しているとはよく言われていることですが、生身のからだにはこの様に反応するのだなと実感しました。
数年前に近所の浅間山が中規模爆発した際には、暗視野顕微鏡(特殊な光の当て方により、血液を染色しないで生のまま観察できる顕微鏡)で血液を見ると、多くの健康な人でも赤血球同士のイオン化による癒着が観察されたことがありました。
所詮、地球の上で生かされている人体。
大地の動きの影響をもろに受けるのは当然のことかも知れません。
では一方精神面は?と言うと、こちらは重い身体とは反対にむしろ高揚しているようです。
TVの報道で或る精神科医が「大きな災害があった後の人々の精神状態の変化過程」について解説しておられましたが、災害直後からしばらくは「助け合うために自分も何かをしなければ」という高揚期が続くということでした。
現実は美談ばかりではないでしょうが、確かに日本だけでなく世界中で多くの人が「被災した皆さんの為に何かをしたい」と心から思っていることは事実です。
今までもこのブログの中で「他人の役に立ちたい」といういわゆる「利他」の精神は生体エネルギーの位置をアップするらしいと書いて来ましたが、その観点からすると、どうも現在のこの「高揚感」は、単に災害体験に伴う精神状態だけではないような気がします。
日本国という一つの生命体の中で、何とかして生きようとする力が動いているように思えます。
日本国というジグゾーパズルの1つ1つのピースである我々が、他を思い遣るという気持ちを持ち(ACの宣伝ではありませんが)それを行動に移すという行為で、国の生体エネルギーを高めようとしているのではないかと思います。
完成したジグゾーパズルから1個のピースを取り除いてみて下さい。
そのピースが自分だと考え、再びジグゾーパズルに目をやると、空いた穴の形(すなわち自分)は、他のすべてのピースによって作られている事が分かります。
ですから他を良くすることは結果的に自分が良くなることにつながり、さらに一段階大きな存在(この場合はジグゾーパズル)を良くすることにつながるのです。
飽くまでも私共の個人的解釈ですが、何かその様なエネルギーの胎動を感じてなりません。
さて話は変わり、私共の長年の仕事上の取引先A氏が福島県の浪江町、福島原発から10Kmのところに居り、A氏を通じた知人が何人も周辺にいます。
A氏と御家族は今のところいわき市に仮避難をしておられ、宅配便の具合もある程度まで復活してきたので、何か必要なものがあれば送りたいと思い、本日携帯に電話をしました。
すると偶然にも知人の東電社員B氏がA氏のところに立ち寄っていたため、B氏とも話をして無事を確認することが出来ました。
B氏によれば現在数百名の東電関係者が原発の現場で必死の作業を続けているとのことで、B氏もわずかな休みをもらった後、明日からまた現場に戻るそうです。
ニュースで報じられている毛布1枚、わずかな食事というのは本当で、B氏が驚いたのはその様な環境の中で体温がものすごく低下した事と、交替休みのあいだに体温を上げようとしても、なかなか上がらなかった事だそうです。
これを聞いて私共は現場の過酷な環境を想像しました。
実は生体エネルギー技術と温度というものには密接な関係があり、人間や動物の場合は生体エネルギー準位が高くなれば体温が上がり、低くなると体温が低下するという傾向があると言われているのです。
(勿論、体温は東洋医学的な体質・気質によるところもあるので、一概にそればかりとは言えませんが)。
最近は一般にも若者の低体温の傾向が言われており、平均35度代が続くと免疫力が何十%も低下すると言われていますね。
生体エネルギーは一つの生命体を維持しようとする力ですから、体温が低下し、更にそれが戻りにくいという事は生体エネルギーの低下をあらわしており、生命活動が低迷していることを示していると思われます。
その様な環境の現場で、今この瞬間も働いている人々がいることを深く考えざるをえません。
「避難している方々のことを考えたら、自分の事など言っていられませんよ。とにかく一刻も早く事態を安全に収束させなければ」とB氏は電話のむこうで言われていましたが、現場の人々が何とか無事に持ちこたえられ、この危機を食い止め、その後しっかりと生命力を回復される事を祈らずにはおられません。
報道によればフランスやアメリカ、IAEAの原子力専門家が応援に入るとのこと。
出来る限りの応援をもらい、人間の手中に治めきれない物質の暴走を食い止めたいものです。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
15:57
2011年03月20日
自然の声に耳を傾ける
東北関東大震災の発生から1週間が過ぎました。
被災された地域の皆様には心からお見舞い申し上げたいと思います。
そろそろブログを更新・・・と思った矢先に起こった未曾有の災害。
あまりのすさまじい現実に、何を書いても上滑りに感じられ、ずるずると今日になりました。
言葉が無い・・・というのはこういう事なんだろうと思います。
実は先月、2月の終わりごろ、何の根拠もなく急に「トイレットペーパーを買ってストックしておかねば・・・」という思いにとり憑かれ、ネットの事務用品通販会社から大箱5個を購入したという事がありました。
理由は分からないのですが「いま当たり前にある物が、ある日突然無くなる」という強迫観念にも似た思いが数日間頭から離れず、よく分からないがまずはトイレットペーパーでも買っておくか・・・となったのです。
そして今、近所のスーパーの棚からは現実にトイレットペーパーが消え、電池やカセットボンベやパン、ラーメンが消え・・・という現状を目の当たりにし、複雑な気持ちでおります。
「先走った買占めはやめましょう」と今さかんに注意されている事を、誰よりも先走ってやってしまった・・・という恥ずかしさを感じています。
その当時はまさか数週間後に大地震が起こるなどとは全く思わず、自分としては買い占めるつもりも無く、医院で当たり前に消費されている物を切らすわけにはいかないという気持ちから、頭に浮かんだことに素直に従っただけなのですが、結果的にはマズかったです。
さて、その時感じた「いま当たり前にある物が、ある日突然無くなる」という強迫観念にも似た感覚は、いったい本当は何を意味していたのだろう?と、この一週間震災の報道を聞きながら考え続けています。
スーパーの棚から消えた物は、しばらくすればまた十分に満たされるでしょう。
なので突きつけられている問題は「物がなくなる」という表面的な事ではないんじゃないか?と思います。
正しいかどうかは分かりませんが、むしろ考えなければならないのは、「今までの生活をこのまま続けていて果たしていいのか?」という事ではないかと今は思っています。
うまく言えませんが、まずは当たり前だと思って来たことを、これから一つ一つ見直すことから始めようと思っています。
あ~しかし、やはり何を言っても不適切なように思えますね・・・、このすさまじい現実の前には・・・。
とにかく自分が出来ることをやっていくしかない!
話題を変えます。
先月の記事に、生体エネルギーの技術は「広辞苑」という辞書にも載っている「宇宙論的証明」の考え方を基盤としており、その上で我々を造り出した「造り手」側のコンセプトを知るには、自然界を注意深く観察すべきだという立場に立っていると書きました。
「造り主」とか「造り手」とか言うと、世の中はすぐに宗教か!ということになってしまうのでやりにくいのですが、これは飽くまでもある種の「論理」だと私共は思います。
われわれ人間も色々な物を産業として造り出します。
そこには「造った側の人間」と、「造られた側の産物」が存在します。
ならばそれを一段階前に戻り、我々を産物とするならば、それを造った側というものがあると考えるのが自然ではないかという論理です。
そして先月も書いたように、造った側には造った意図というものが必ずあるはずで、その意図とは何かを推測し、出来るだけそれに沿うように努力するのが、人類が問題なく生きていく事の出来る方法ではないかと考えるわけです。
農業や林業、水産業といういわゆる第一次産業は、一般に言う自然界を相手にした産業です。
海、山、川、大地、そして動植物という一般に言うところの自然界は、実は「造られた産物」という立場では人間と「同列」にいる存在です。
ですから、それらの真っただ中にまみれて仕事をしていれば、造った側の意図というものを自ずから感じるチャンスに遭遇することもあるでしょう。
それを例えば日本の第一次産業の場合は、田の神、山の神、海の神という様に表現し、人間が抗う事の出来ない畏怖すべきものとして来たのではないかと思います。
ところが現代は多くの産業が一般に言うところの自然界から離れ、造った側の意図とは関係ないような環境の中にいます。
よく親が自分の子供が生意気を言うのに対して、「まるで一人で育ってきたような顔して!」と嘆きますが、それと似たようなものでしょう。
生体エネルギー技術はそのような現代の状況に対して警鐘を鳴らしています。
第一次産業である農業から生まれてきた技術だけに、人類が少しずつ造り手のコンセプトから外れていくのがよく分かるのでしょう。
今、問題になっている原子力も、もとはと言えば「原子」という、人間と「同列」に造られたものを扱う産業です。
その点では農林水産業と同じなのですが、大きく異なるのは「集合」の「階層」がちがうという事でしょう。
動植物は細胞が集合して出来ているという点で、人間と同じ階層の存在です。
海や川(水)、大地(土、鉱物、有機物)も細胞よりは一段階小さな分子の集まりですが、我々が比較的扱うことの出来る階層です。
しかし「原子」となると話がちがいます。
「階層」が大きく異なるうえに、原子力産業が扱っているのは、陽子・中性子・電子の数が多いタイプの反応です。
それだけに、それらを人間が「使いこなしている」と思ったら、それは少し違うのかも知れません。
人間は何でも目の前にあるものは人類が好きに使えるものだと思っていますが、「造った側」「造られた側」という視点で見れば、それらは飽くまでも人間と「同列」にあるものだということを忘れてはならないと感じます。
原子力のことを学問的にあまり知りもしないくせに偉そうな事は言えませんが、前述したような「視点」に立つとそう思わざるを得ないこの一週間でした。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
被災された地域の皆様には心からお見舞い申し上げたいと思います。
そろそろブログを更新・・・と思った矢先に起こった未曾有の災害。
あまりのすさまじい現実に、何を書いても上滑りに感じられ、ずるずると今日になりました。
言葉が無い・・・というのはこういう事なんだろうと思います。
実は先月、2月の終わりごろ、何の根拠もなく急に「トイレットペーパーを買ってストックしておかねば・・・」という思いにとり憑かれ、ネットの事務用品通販会社から大箱5個を購入したという事がありました。
理由は分からないのですが「いま当たり前にある物が、ある日突然無くなる」という強迫観念にも似た思いが数日間頭から離れず、よく分からないがまずはトイレットペーパーでも買っておくか・・・となったのです。
そして今、近所のスーパーの棚からは現実にトイレットペーパーが消え、電池やカセットボンベやパン、ラーメンが消え・・・という現状を目の当たりにし、複雑な気持ちでおります。
「先走った買占めはやめましょう」と今さかんに注意されている事を、誰よりも先走ってやってしまった・・・という恥ずかしさを感じています。
その当時はまさか数週間後に大地震が起こるなどとは全く思わず、自分としては買い占めるつもりも無く、医院で当たり前に消費されている物を切らすわけにはいかないという気持ちから、頭に浮かんだことに素直に従っただけなのですが、結果的にはマズかったです。
さて、その時感じた「いま当たり前にある物が、ある日突然無くなる」という強迫観念にも似た感覚は、いったい本当は何を意味していたのだろう?と、この一週間震災の報道を聞きながら考え続けています。
スーパーの棚から消えた物は、しばらくすればまた十分に満たされるでしょう。
なので突きつけられている問題は「物がなくなる」という表面的な事ではないんじゃないか?と思います。
正しいかどうかは分かりませんが、むしろ考えなければならないのは、「今までの生活をこのまま続けていて果たしていいのか?」という事ではないかと今は思っています。
うまく言えませんが、まずは当たり前だと思って来たことを、これから一つ一つ見直すことから始めようと思っています。
あ~しかし、やはり何を言っても不適切なように思えますね・・・、このすさまじい現実の前には・・・。
とにかく自分が出来ることをやっていくしかない!
話題を変えます。
先月の記事に、生体エネルギーの技術は「広辞苑」という辞書にも載っている「宇宙論的証明」の考え方を基盤としており、その上で我々を造り出した「造り手」側のコンセプトを知るには、自然界を注意深く観察すべきだという立場に立っていると書きました。
「造り主」とか「造り手」とか言うと、世の中はすぐに宗教か!ということになってしまうのでやりにくいのですが、これは飽くまでもある種の「論理」だと私共は思います。
われわれ人間も色々な物を産業として造り出します。
そこには「造った側の人間」と、「造られた側の産物」が存在します。
ならばそれを一段階前に戻り、我々を産物とするならば、それを造った側というものがあると考えるのが自然ではないかという論理です。
そして先月も書いたように、造った側には造った意図というものが必ずあるはずで、その意図とは何かを推測し、出来るだけそれに沿うように努力するのが、人類が問題なく生きていく事の出来る方法ではないかと考えるわけです。
農業や林業、水産業といういわゆる第一次産業は、一般に言う自然界を相手にした産業です。
海、山、川、大地、そして動植物という一般に言うところの自然界は、実は「造られた産物」という立場では人間と「同列」にいる存在です。
ですから、それらの真っただ中にまみれて仕事をしていれば、造った側の意図というものを自ずから感じるチャンスに遭遇することもあるでしょう。
それを例えば日本の第一次産業の場合は、田の神、山の神、海の神という様に表現し、人間が抗う事の出来ない畏怖すべきものとして来たのではないかと思います。
ところが現代は多くの産業が一般に言うところの自然界から離れ、造った側の意図とは関係ないような環境の中にいます。
よく親が自分の子供が生意気を言うのに対して、「まるで一人で育ってきたような顔して!」と嘆きますが、それと似たようなものでしょう。
生体エネルギー技術はそのような現代の状況に対して警鐘を鳴らしています。
第一次産業である農業から生まれてきた技術だけに、人類が少しずつ造り手のコンセプトから外れていくのがよく分かるのでしょう。
今、問題になっている原子力も、もとはと言えば「原子」という、人間と「同列」に造られたものを扱う産業です。
その点では農林水産業と同じなのですが、大きく異なるのは「集合」の「階層」がちがうという事でしょう。
動植物は細胞が集合して出来ているという点で、人間と同じ階層の存在です。
海や川(水)、大地(土、鉱物、有機物)も細胞よりは一段階小さな分子の集まりですが、我々が比較的扱うことの出来る階層です。
しかし「原子」となると話がちがいます。
「階層」が大きく異なるうえに、原子力産業が扱っているのは、陽子・中性子・電子の数が多いタイプの反応です。
それだけに、それらを人間が「使いこなしている」と思ったら、それは少し違うのかも知れません。
人間は何でも目の前にあるものは人類が好きに使えるものだと思っていますが、「造った側」「造られた側」という視点で見れば、それらは飽くまでも人間と「同列」にあるものだということを忘れてはならないと感じます。
原子力のことを学問的にあまり知りもしないくせに偉そうな事は言えませんが、前述したような「視点」に立つとそう思わざるを得ないこの一週間でした。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
16:32
2011年02月24日
自動掃除ロボットに思う
2月中旬に、写真のように一晩で40cmあまり降った雪も今はすっかり溶け、はるかに望む北アルプスの山々に春のかすみがかかるようになりました。長野県では、県内でも東京に近い地域を中心に雪が降ることを「上雪(かみゆき)」と呼び、春が近くなると見られる現象なのだそうです。
「上雪(かみゆき)」・・・なかなか味わいのある言い方ですね。
同じ自然現象を「とき」と「場合」でビミョーに言い分ける日本語を聞くと、日本人に生まれて良かったーと思いますね。

そして、そのような趣(おもむき)とは無関係な無機質な下の写真は「自動掃除ロボット」です。
医院の床掃除用に導入しました。
スイッチを入れれば勝手にあちこち動き回り、床上のゴミやホコリを吸引してくれるというシロモノ。
使う前は「果たしてどれだけ効果があるものか?」と疑心暗鬼でしたが、いやこれが中々の働き者で、玄関から待合室のソファの下、トイレ、点滴室の隅々まで、知らないあいだにきれいになっているのであります。
ただし狭くてあちこちに物が置いてあり段差のある「自宅」では使えない。
車椅子用にあまり障害物がなく、バリアフリーな医院だからこそ活躍する器械のように思います。
不思議なのは器械であるにもかかわらず、一生懸命働いている姿を見ると段々「生き物」のように見えてくるところ。
雰囲気的には映画スターウォーズに出てくるドロイド「R2-D2」に似ております。
先日も「ウィ~ンウィ~ン」とにぎやかに掃除をしているはずが突然シーンとなったので、「どうしたっ?!何かあったのか!」と慌てて様子を見に行ったところ、椅子の足に乗り上げてナナメに傾き、ウンウン言っているのを見つけました。
その様子がいかにも「お父さ~ん、お母さ~ん助けてぇ、動けないよー」と言っているようなのには思わず苦笑。
スタッフも掃除中に横を通ると「つい、人間みたいに声を掛けちゃうんですよねー」と言っています。
ちなみにひととおり掃除を終えると、自分でさっさとドック(充電器)に戻るのも可愛い。(写真はその充電器に戻っている状態です)
充電中(休憩中?)は本体中央のLEDがオレンジ色に点滅するのですが、その点滅のリズムがまたいかにも「疲れた~ゼーゼー」と言っている様で笑えます。
さて、生体エネルギー理論では、この掃除ロボットのような無機質な「物」にも「いのち」があると考えられています。
複数の材料が集まって連携し、新たな「機能」を作り出しているものはすべて命をもった「一個体」であり、「生き物」であると考えられています。
「細胞」が集まって「臓器」という機能を作り出し、その「臓器」が集まって「人間」という機能が作り出されているのが我々の命であるように、部品が集まって「掃除をする」という機能が生み出されているこの掃除ロボットも、やはり命を持っていると考えられるのです。
ではその「命(いのち)」とは何ぞや?ということですが・・・
例えば日本の宗教である神道においては、「すべての物には神が宿っている」と考えられています。
神とは「命を生み出す」存在ですから、すべての物に神が宿っているとは「神から与えられた、神と相似した命が宿っている」ということでしょう。
では命とは神さまから与えられたものとして、問題はその命の「準拠位置(じゅんきょいち)」だと生体エネルギー技術では考えられています。
「準拠(じゅんきょ)」とは「よりどころ」という意味で、何を基準(よりどころ)としているかが「準拠位置」の意味だとざっくり考えてもらえればいいでしょう。
神から造られた命は、その造り主が「よりどころ」のはずですから、その「よりどころ」さえ外さなければ神と相似した高貴なものであるはずです。
ところがいつのまにかその造り手を忘れ、造り手から遠く離れて「よりどころ」の位置を間違える為に高貴でなくなり、様々な問題が生じるのだと思われます。
この様に書くと「じゃああなたは神さまを信じ、神さまの言う通りにしなさいと言いたいんですか?」と言われそうですが、そうではありません。
そもそも神さまとは何処にいるどんな存在で、神さまが何を言っているかなど我々には分かりません。
ただ、明らかに我々が存在している以上はそれを作った製作者がいるはずで(その事を広辞苑という辞書では「宇宙論的証明」と言っています)、その製作者のコンセプトに沿った機能を我々が発揮しない限りは、結局は我々は「出来そこない」ということになってしまうと思われるのです。
あ、今、書いていて思ったんですが、先ほど言った「準拠位置」とは、製作者のコンセプトに沿っているか沿っていないかという言い方をしてもいいかも知れませんね。
例えば現代人の病気のトップに位置する「癌(ガン)」にしても、癌細胞は細胞を製作した人間の意図に沿っていないから嫌われるのです。
これはまさに人間とその製作者との関係に相似しています。
現代に癌という病気が増えてきたのも、人類の「準拠位置」の在り方に何か問題があると推理できるかも知れません。
生体エネルギー技術は、既存の宗教のような「神」という固定的な概念を持っていないと思われます。
ただ、先にのべた「我々という存在があるからには、それを造った側があるはずだ」という「宇宙論的証明」には則っています。
そしてその造った側のコンセプトを知るには「自然界」を注意深く観察すべきだという立場をとっています。
何故なら、生体エネルギー技術はまさにその「自然界」を舞台とした「農業」から生まれているからです。
自然界の営みの中に、造り手のコンセプトを観る・・・それが生体エネルギー技術の根底をなしていると思われます。
「自動掃除ロボット」から始まって、生体エネルギー技術の根幹の話になってしまいましたね。
神の相似である人間が作り出すロボットも、「準拠位置」をはずしたら大変です。
ハリウッド映画の「ターミネーター」は、あながち絵空事ではないかも知れませんよ!
神の「相似」である人類が「掃除」されたりして・・・(失礼しましたー)
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
17:52
2011年01月18日
2011年初更新

新年明けましておめでとう御座います・・・と言うにはかなり遅すぎますが、年が変わっての初更新でございます。
今年は卯(ウサギ)年であるにもかかわらず、いきなり温泉でまったりするサルの写真。
長野県下高井郡山ノ内町の、かの有名な、とくに外国人観光客に大人気の「地獄谷野猿公苑」の温泉ザルであります。
同じ長野県内なので、一度行ってみたいと思いながらなかなか行けず、今回やっと念願かないました。


「野猿公苑」は上林温泉郷というところに車をとめ、氷点下5度の凍てつく中、写真のような山道をもくもくと30分歩いたところにあります。
地獄谷の秘湯「後楽館」という一軒宿もあり、眼下の河原からは温泉の蒸気がいきおいよく噴き出し、なかなか趣のあるところです。

右の写真におさまっているのは、かなり高齢の婆ちゃんザル。
「私の姿を撮りんしゃい」と言わんばかりに近寄ってきて、しっかりポーズを取ってくれました。
たくさん子供を育てましたっ!という感じの、垂れたおっぱいに人生・・ならぬ猿生を感じさせる堂々の風格でした。

また、寒さの中、子ザルをしっかりと抱き抱える母ザルの姿も良かった・・・。
温泉に入っているのはどちらかと言うとメスか子ザルが多かったように思います。
オスは人が近寄れない場所で「何だよ~」「ケッ」という目つきで入浴していました。
ちなみに猿が入る温泉の温度というのはどれ位だろう?と思い、指先を入れてみたらかなりぬるかった。
そしてその直後、水面に猿がしたであろうウンコがプカプカ浮いているのを見たときは、手を入れた事を深く後悔しました・・・(-_-;)。
猿が温泉につかっているのを見たら、やはり人間も温泉につかりたい・・・という場合、長野県の有難いところは250円~500円くらいで入れる温泉があちこちにあるというところです。
そんな「源泉掛け流し」の地元温泉は、我が家のささやかな楽しみとなっております。
さて年頭の更新をこのままサルの話で終わるわけには参りませんので、本題に入ります。
「今年はどんな年になるだろうか?」とは年頭に誰もが思うことですが、大事なのは「今年をどんな年にしようか」ではないでしょうか。
世の中の大勢(たいせい)は、私たち一人一人の「意識」の集合で作られていくと思います。
たしかに景気は回復しないし、自然災害や凶悪事件は増える一方で不安要素はたくさんありますが、それらに流されるのではなく、自分たちが積極的に世の中を作っていくんだという姿勢が大切ではないでしょうか?
今ブームになっているタイガーマスク伊達直人現象も、「何か世の中の為になることをしたい」と思いながら、具体的に何をどうしたらいいのか分からなかった人々がいっせいにブームに乗っかったように思えます。
やり方や贈り物の内容などあれこれ賛否両論はあるようですが、しかし「何か役に立ちたい」というモチベーションそのものは歓迎されて良いのではないでしょうか。
素直なモチベーション、やる気がいかに大切かは、来院される患者さんを拝見していて痛感します。
先日は60代の女性患者さんが癌を克服され、帰りぎわに「これで今年1年の計画をまた立てられます!」とおっしゃり、「負けない事、投げ出さない事、逃げ出さない事、信じ抜く事、だめになりそうな時それが 一番大事~♪」と、昔流行った大事マンブラザーズの歌を口ずさみながら帰って行かれ、逆に私たちが励まされた気分になりました。
傍から見てどんなに健康で幸せそうに見える人でも、生きていれば嫌な事や辛い事はたくさんあります。
要はどんな時でもクサらないことでしょう。
気持ちがクサれば、細胞も腐りますからね。
・・・で、何か世の中の役に立ちたいんだけれど、何をしたらいいか分からないという人には、生体エネルギー技術による環境エネルギーアップをお勧めします。
生体エネルギー技術では、物質の生体エネルギー準位を高める生活用品が色々と作られています。
http://www.hou-wa.jp/
ン万円もするようなものを使わなければ環境のエネルギーが高められないというワケではありません。(勿論、ン万円もするようなものもありますが・・・)
例えば先に話の出た地元の「温泉」なら、生体エネルギー洗剤を水に溶かしたものを100円ショップのスプレーボトルに持参し、脱衣所の洗面台を使ったあと、ティッシュに吹き付けてちょっとひとぬぐいする。
これで洗面台は見た目にきれいになると同時に、洗面台周辺のエネルギーもアップするというささやかなボランティアが行なえます。
ただ、これをすると困るのは、その温泉場の清掃スタッフと間違えられることで、施設のことを何か質問されても答えられないんですよね~。
自分自身の生体エネルギーを高めることも、おおいに世の中の役に立つでしょう。
なにしろエネルギーというものは高い方から低い方へ流れる性質があるので、おのれの生体エネルギー準位が低ければ、歩くだけで周囲からエネルギーを奪う、いわゆる「歩く公害」になると考えられるのです。
「歩く公害」を卒業するだけでも世の中のためになるはずです。
・・・と、エラそうに申しましたが、私どもも歩く公害にならないよう、今年1年「目の前に現れる現象は自分の鏡」を合言葉に頑張りたいと思う今日この頃であります。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
15:05
2010年12月19日
2010年を振り返り

今年も残すところあと10日余りとなりました。生体エネルギー資材を使った「プログラム農法」で「いぐさ」を栽培されている九州の山浦さんが、そのいぐさを使った「注連縄(しめなわ)」を送って来て下さいました。
梱包された箱をあけてビックリ!
入っていた注連縄はエネルギーの質が高く、手に持つとたいへん気持ちが良いのです。
「注連縄」とは神道における神具の一種で、一般家庭で飾るものは正月に「年神さま」を迎えるための「依り代(よりしろ)」ですから、もともと神聖なものではあります。
しかしその材料の生体エネルギーが高いと、同じ注連縄でもこんなにも違うものかと驚きました。
一般に注連縄の材料は稲わらや麻ですが、山浦さんのものは「いぐさ」で出来ています。
なので堅くてしっかりとしており、全体から凛(りん)とした雰囲気がただよっています。
しかも香りがとても良い。
張り替えたばかりの青畳の匂いですね。
これを飾れば玄関の雰囲気も変わるだろうなぁと、今から年末が楽しみになります。
ネットで調べましたが、山浦さん個人のホームページは無いようです。
山浦さんの生産したいぐさを使った製品を販売しているショップのサイトは複数ありましたが、「注連縄」を売っているところはやはりありません。
生体エネルギーの高い「いぐさ注連縄」を飾ってみたいなぁと思う方は、山浦さんに直接FAXで問い合わせてみては如何でしょうか。
FAX番号は「0944-32-1994」です。
さて2010年を振り返ってみると、今年は久しぶりに執筆活動にいそしんだ年でありました。
執筆活動などと言うと格好よく聞こえますが、実態は予算がなくてハードカバーが作れず「本」と呼ぶには気の毒な体裁なので「冊子」と呼んでいる、そんなものを自費で作ったというワケです。
しかしながら皆さんのご協力のお陰さまで、今のところ1.000部ちょっと出させてもらっています。
冊子を作ったメインな理由は、弊院の治療の根幹をなしている、農業の現場から生まれた「生体エネルギー技術」についてもっと皆様に知って頂きたいということでした。
とくに患者さんに読んで頂き、自分で自分を治すためのヒントにしてもらえればと考えたんですねぇ。
ところが!(-_-;)
現実はそう甘くない。
冊子が出来上がり、た~いへん目立つ場所(医院の受付)に置いたにもかかわらず、患者さんにはほとんど気に止めてもらえなかったんですよ。
先に言った1.000部以上というのは、患者さんではなく、元気に生体エネルギー技術を勉強している皆さんが買って下さったというのが事実です。
「どうしてなんだろう~?」とアレコレ考えた結果、ある間違いに気づきました。
それは「自分自身ではなく患者さんの頭の中を変えようとしていた」という間違いです。
患者さんの考え方を教育(エラそうに・・・)すれば、もっと早く自己治癒力や免疫力を付けてもらえると考えていたのです。
この「THD希望の星」の多くのブロガーが言われているように、この宇宙には「自分の目の前に現れる人や現実はすべて自分の鏡である」という法則があります。
要するに「この人のココがちょっとマズいから変えたい」とか「この人にこの部分を改善して欲しい」と思うことは、全く同質の要素が自分の中にあるのだから、相手の事を言う前にまず自分自身が変われよなーっという法則です。
昨年あたりに大ヒットした「ホ・オポノポノ」のヒューレン博士も、「目の前に起こる事の原因はすべて自分にあると100%認めよ」と言われていますね。
ところが多くは「ありがとう、愛しています、ごめんなさい」という3つの魔法の言葉を唱え続けるだけで嫌な現実をクリーニング出来るという部分だけが、何か一人歩きしているように思えます。
私共もその例に漏れず、相手にこうなって欲しい、ああなって欲しいとばかり考えており、それを実行する為の手段として冊子を考えていたのではないか?と思ったのです。
例えば、他者を批判し続けるという情報はマイナスのエネルギーを生むために、自分の生体エネルギー位置が下がり免疫力や自己治癒力を落とします。
冊子にはその様な「人が生み出す情報と生体エネルギーの関係」についても書いたので、もしその様な状態にある患者さんが読んで、「ああ、そうだよな」と気が付いてくれれば病気の回復の一助になるだろうと考えます。
しかし大切なのはその前に、自分自身の中にある「他を批判する」という要素を改善することなのです。(言うは易く、行なうは難しですが・・・(^ ^;))
もしかしたら冊子を作ったのは、自分たちがそんな事に気づかせてもらうためだったんじゃないか?と、2010年を振り返って思う次弟です。
(気付くのが遅いって・・・)
さて来年は日本にとって、地球にとってどんな年になるでしょうか?
時間は益々スピードアップし、自身の言ったこと、行なったことが現実に反映するスピードもどんどん速くなっているようです。
・・・ということは、やはり自己責任をきっちり意識しなければならないということですね!
ここらで一発、気を引き締めて、皆で良い新年を迎えましょう!
Posted by 渋谷夫婦 at
16:51
2010年11月29日
空間に仕事をさせる!?
『垣根の垣根の曲がり角~♪、たき火だ、たき火だ、落ち葉焚き~、あーたろうか、あたろうよ~、北風ぴーぷー吹いている~♪』なつかしい唱歌で歌われたたき火も、今は消防がうるさくて、おいそれと出来なくなったそうですね。
子供の頃は今ごろの季節になると、よく空き地や道路ばたで近所の人が落ち葉を焚く匂いがしたものですが、最近はそんな姿を見かけることもありません。
そこで「どうしても晩秋は落ち葉焚きがしたいっ!」という我が家は、良い物を入手しました。
それが右の写真にも写っている『たき火台』です。
薪ストーブを購入した「大丸家具店」さんで販売しているもので、なんと!廃品のガスボンベをリサイクルして作ったもので安いのです。

「たき火台」を使ったから果たしてたき火が許されるのかは分かりませんが、まあ少なくとも容器の中で燃やす分、安心感があります。
毎年、隣地のカラマツ林や自宅内の木々から、とんでもない量の枯葉が降り注ぐ我が家としては、すべての葉が落ち切るまではひたすら庭掃除の日々。
しかも年々、落ち葉の量が増えていくようなんです。
それは周辺の木々が順調に育っている証拠で、それはそれで喜ばしいことではありますが(苦笑)。
さて、大変な落ち葉掃除を少しでも楽しくしてくれるのが、たき火にサツマイモをくべて焼き芋を作ること。
「たき火台」の底にイモを並べ、その上で枯葉を燃やしたところ、ジャーン!ホクホクの焼き芋が出来あがりました。
「たき火台」の上に「飯ごう」をつるせば、懐かしい「飯ごう炊飯」も行なえます。(小学校のキャンプ以来じゃないかなぁ)
飯ごうの底に出来るおこげの味は格別ですよ~。
さて話は変わり、11月は毎年、生体エネルギー技術の最大イベントである「秋季特別セミナー」が行なわれる月であります。
今年も12日、13日と、長野県内の某ホールに全国から600名を超える参加者を集めて盛大に行なわれました。
そこで夜に行なわれた懇親パーティで、最新の生体エネルギー技術のデモンストレーションがあり、大変興味深かったので今回はその事を書こうと思います。
テーマは『空間に仕事をさせる!』。
何のこっちゃ?・・・と思われる方は、そうですねぇ、例えば「結界」をイメージしてみて下さい。
「結界」とは辞書(広辞苑)によると、①修行や修法のために一定区域を限ること。また、その区域に仏道修行の障害となるものの入ることを許さないこと。(後略)とあります。
つまりある一定の広さの空間を指定し、そこに「修行を邪魔するものは入ることを許さんゾ!」という特定のソフトウェアを記憶させて、バリアーを機能させるということですね。
敏感体質の私共は、仏教だけでなく力のある「神社」などにも結界的エネルギーを感じることがあります。
それはものすごくハッキリとした境界線を持っており、大体の場合は鳥居がその入口を表しているようです。
鳥居をくぐった瞬間に、「あ、ここからは不敬な態度で参拝するとキケンかも・・・」というエネルギーをまざまざと感じるのです。
以前にも山道を登っていたとき、ある場所から突然エネルギーが変化したのを感じ「ここから先はやたらに植物を採取してはいけないかも知れない」と思いさらに登ったところ、どの様な神様かは分かりませんが、丁寧に祀られた祠(ほこら)があったということもありました。
さてさて、これ以上「結界」の話を続けると、生体エネルギー技術の『空間に仕事をさせる・・・』は「結界」の事なんだぁと誤解されそうなのでこの辺で止めておきます。
「結界」というのは『空間が仕事をする』ことのあくまでも一例だと思って下さい。
生体エネルギー技術では、空間に悪いものを防ぐためのバリアー的働きだけでなく、様々な目的の情報(ソフトウェア)を設定出来る技術があり、今回の懇親パーティーでは犬小屋くらいの大きさの「家」の模型を使って、それがデモンストレーションされたのです。
「家」というものは一つの空間ですね。
家が建っている「敷地」というのも一つの空間です。
それらの空間に「この空間内に入った□□は○○になる」というソフトウェアを設定したとします。
例えば「物質が本来の健全な機能を取り戻す」というソフトウェアでもいいでしょう。
するとその「家」や「敷地」内に入った物はすべて、その様になるというワケです。
「うっそだろ~、そんなまじないみたいな事!」と思われそうですね。
ところが驚くべき事に、デモンストレーションでは一つのレモンを細かく切り分け、一方を家の中に入れ、家に入れていないレモンと味を比較したところ、とんでもない差が出たのです。
それはパーティの参加者の中から、数人の建築家の皆さんが代表して味見をし、「家に入れたレモンはまるでグレープフルーツのように美味しい!」「それに比べて家に入れていないレモンは酸っぱくて食べられない!」とびっくりしていた事から明らかでした。
「でも、単にレモンの味が変わった事にどんな意味があるわけ?」
と言われそうですね。
例えば「物質が本来の健全な機能を取り戻す」と言っても、それをすぐに体感することは難しいです。
例えば本来の働きを失っているビタミンCが瞬間にその機能を取り戻しても、それを人間は感知することは出来ません。
しかし「味」の変化なら余程の味覚オンチでない限り分かります。
少なくとも美味しくなったという事は、レモンの中の何かが良い方向に変化したと考えてよいでしょう。
ではレモンでなく人間なら、どんな風に変化するんだろう?と思いますね。
実は私共はこのデモンストレーションの時に、家の模型のすぐそばのテーブルに座っていた為、驚くような体験をしました。
デモンストレーションは模型に、ソフトウェアを仕込んだコンクリートの固まりを1つ1つ設置しながら行なわれました。
そして家の土台への設置が終わり、さらに家の周囲の敷地への設置に取りかかり、コンクリートの固まりの最後の一つが置かれて「空間」が完成した瞬間、からだがスーッと軽くなり非常に楽になったのです。
家や敷地の中に居たわけではなく、その「空間」の外に居たにもかかわらず、からだが楽になるとはどういう事でしょうか?
それは「空間」の中に設定された情報が、放射エネルギーとなって周囲にも強い影響を与えたと考えます。
外にこれだけの影響を与えるのだから、まして家や敷地の内部に入ったらどんな事になってしまうんだろう!と思わざるを得ません。
レモンがむちゃくちゃ美味しくなるのも当たり前ですね。
代表して味見をした建築家の皆さんは、「こういう空間の家づくりをしたい!」と切に思ったことでしょう。
今までも生体エネルギー準位の高い建築資材は開発され、販売されています。
勿論それらを使うだけでも素晴らしい環境の家を作ることは出来ています。
しかし今回のデモンストレーションは「空間に仕事をさせる」という、さらに進化した生体エネルギー技術を公開したものでした。
あなたなら、どんな空間にどんな仕事をさせたいと思いますか?
想像するだけでも楽しいですね。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
17:12
2010年10月08日
これからの「情報化社会」の意味(その2)
事情により9月28日にいったんアップした記事を削除しました。ふぅ~(-_-;)。
・・・とこのように書くと読んでいない人は「何があったんだ~?マズイこと書いたのか~?」と思いますよね。
別に大した事は書いてないですよ。
ただアップしたらその日のアクセス数が通常の10倍以上に跳ね上がっていたので、小心者の私共としてはワケが分からず、ともかく削除ボタンを押してみたという訳です。
ちなみに書いた内容は、ネコの額のような敷地に住んでいる上に、さらに隣りの住人からお前の敷地を譲れ~と言われている日本太郎君は、外へ外へという通常の考え方を止めて、中心に向かって無限という生体エネルギー技術の考え方に切り替えてみたらどうですかね?と書いただけなんです。
2007年10月5日の記事
http://zenclinic.thd-web.jp/d2007-10-05.html
にも書きましたが、すでに有る物質の持っている能力や価値を変えるということです。
「すべては「情報」で出来ている。だから「情報」で変えられる」というのが生体エネルギー技術の考え方ですから。
さて自然界は人間界のドロドロとは関係なく、太陽に対する地球の傾きが少し変われば季節が変わり、天高く馬肥ゆる秋。
青空が美しい季節であります。
長野県では県関連の財団と大学が中心となって、或る農業技術を研究する会が発足しました。
それはどんな事をする会かと言うと、天候や季節に左右されずに野菜・果物を生産する施設、すなわち「植物工場」における、技術開発の現状や課題を情報交換する会だそうです。
医農一如をブログのタイトルに掲げ、日本の農業の動向に関心を持っている私共としては、「植物工場」の研究は今後注目していきたい動きのひとつです。
「植物工場」に注目する理由は、一つには今年あたりから顕著になってきた地球気候の極端な変動があります。
猛暑や干ばつ、集中豪雨、冷害、寒波などの異常気象が毎年のことになり、露地での安定した食糧生産が難しくなれば、気候には影響を受けない屋内での食糧生産、すなわち植物工場がどうしても必要になるかも知れないと思うからです。
実際に今年の夏、ロシアでは干ばつにより穀類が被害を受け、穀物の輸出禁止措置がとられたことは我々の記憶に新しいところです。
それが直接自分の台所に大きな影響をおよぼさなかったので、私たちはのんびりと構えていますが、食糧自給率がカロリーベースで40%という日本はもっと切実にこの問題をとらえなければいけないのではないでしょうか。
・・・とこの様に書くと、私共が「植物工場推進派」のように聞こえますがそういう事ではありません。
自然のお日さまを浴び、大地に根ざした農業が出来ればそれが一番良いにきまっています。
ただ万が一露地栽培が出来なくなったときの事を考え、今から研究を進めておくことも人類の将来のために必要ではないかと考えているのです。
植物工場研究会発足のニュースを報じた地元紙によると、植物工場は現在、全国で80ヵ所ほどあるそうです。
そして課題としてコスト面とともに、光の特性が不十分なのでレタスなど葉もの中心の生産しか出来ていないという点があるそうです。
私共が植物工場に興味をもつ理由の二つ目が、この光の特性という点にあります。
現在、植物工場では太陽光の代わりとして、赤色光や青色光など植物が効率よく光合成出来るとされる波長のLEDが使われているようですが、実は本当にそれだけでいいのだろうか?と私共は疑問を持っているのです。
確かに植物の光合成にメインに使われる光の波長というのはあるだろうと思いますが、じゃあ太陽光線の他の波長の部分はまったく使われていないのだろうか?と思うのです。
もし我々が計測できない微細な量で、太陽光線のあらゆる部分が光合成に使われているとしたら、一定の波長だけを抜き出してそれをLEDに肩代わりさせるということは、もしかしたら情報の偏(かたよ)った植物を作ることにならないだろうか?と案ずるのです。
前回の記事で「エネルギー」=「情報」という生体エネルギーの考え方について記しました。
その意味では太陽光線、すなわち太陽の光エネルギーも情報のかたまりと考えます。
その情報のごく一部だけを真似して作物を作り、それを食べて人間が身体を作る・・・お~い大丈夫かい~?と思うのは考えすぎでしょうかね?
「すべての存在は生体エネルギーで出来ている」、「そして生体エネルギーは情報でもある」、「その情報の偏りがなく、おしなべてあらゆる情報がバランス良く機能していればいるほど、その存在の能力が高まる」・・・と、こんな風に生体エネルギー技術を解釈している私共としては、赤や青だけの光で育った野菜よりも、白い光(すべての色が混じると白になるんですよね~、つまり太陽光のことなんだけど)の方がいいなぁと思ってしまうのであります。
そこら辺りを考えて光の特性を研究したら、葉もの野菜だけでなく様々な作物の工場生産を可能に出来るのではないでしょうかね?
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
16:25
2010年09月18日
これからの「情報化社会」の意味
ところによっては日中の気温が30℃に達する地域もあるようですが、それでもやっと秋らしい気候になりました。3日前の夜はたいへん寒く、我が家では軽く石油ストーブをたいてしまいました。
え゛~っ!ストーブ!と言われそうですが、標高の高いこのあたりは昼夜の寒暖の差が激しく、今年のクソ暑さに慣れたからだには、急な冷え込みはひどく寒く感じたのであります。
夏の強烈な日差しに耐え切れず、実を青いままボタボタ落としていた庭の栗の木も、ここへ来て熟した実を収穫できるようになりました。
例年どおり我が家では食べきれないので、写真のように待合室に置いて患者さんに持って帰って頂いています。
いつまでも暑い暑いと思っていても季節の変化は確実にやって来るので、9月の頭から冬にそなえて薪ストーブ用のたきぎを用意し始めました。(本当はもっと前からやっておかねばならないんですがね・・・)
山から拾ってきた丸太を、借りてきたエンジン式薪割り機で割るのです。
我が家が薪ストーブを購入した大丸家具さん
http://www.shinshu-liveon.jp/www/topics/node_133660
はたいへん面倒見の良い店で、薪ストーブを売りっぱなしにしないところが良いですね。
注射器より重いものは持ったことがない?我が家のようなお客のために、エンジン式薪割り機を用意して貸し出してくれるだけでなく、間伐材拾いのグループを指揮したり、キャンプファイアーなどのイベントを行なったり・・・と、こまめなケアが素晴らしいです。
こまめなケアというのをこの辺りの方言で言うと「ずくが有る」と言うのですが、この「ずく」という言葉の語源は、大丸家具の依田社長の話によると、昔の「たたら製鉄」
http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/nnp01.htm
における銑鉄(せんてつ)のことだそうです。
そう言えば薪ストーブも思いっきり鉄のかたまり。
そこでかねてから「たたら」に興味を持っていた依田社長は、なんと出雲大社まで出掛けて行ってしまったとのことです。
「たたら」は宮崎アニメの「もののけ姫」にも出てきましたが、な~んか調べていくとおもしろいことがありそうですねぇ。
さてさて、
前回の記事で「生体エネルギー」は「情報」であるということを書きました。
私たちは「エネルギー」というものを「パワー」とか「力」というイメージだけでとらえがちですが、「エネルギー」とはそれだけではなく、実は「情報」のかたまりであると生体エネルギー技術では考えています。
例えば「水素」と「酸素」を結び付けて「水」を作っているのも生体エネルギーの働きですが、もし生体エネルギーが単なる結合力だけだったとしたら、「水素」と「酸素」という物語から、それらではない全く新しい「水」という物語を生み出すことは不可能でしょう。
エネルギーに情報という側面があるからこそ、新しい物語を作ることができるのだと考えられます。
また、もし60~80兆個の細胞をまとめて私たちを作っている生体エネルギーが単なる結合力だけだったら、私たちは 個性をもった人間ではなく、単なる細胞の寄り集まりに過ぎません。
そろそろ秋鮭のシーズンでスーパーマーケットの鮮魚コーナーに「筋子」が並びますが、私たちが単なる細胞の寄り集まりなら、ちょうどあのぶつぶつの「筋子」のようなものですね。
私たちが「筋子」ではなくA男君、B子さんであるのは、細胞をまとめて人間という新しい物語を作っている生体エネルギーの「情報」という側面があるからだと考えられます。
E=MC2乗、物質=エネルギーであるとアインシュタインは言いました。
また科学雑誌「ニュートン」の2010年2月号では、物質はエネルギーのかたまりであるという事を次のように述べています。
「現代の物理学では、あらゆる素粒子を『場』の概念で表現します。そして素粒子とは『もの』ではなく、『場』にエネルギーが集中して一つ二つと数えられる状態になる『こと』を指してそのように呼んでいるのです。つまり私たちが固い粒のようにイメージしがちな素粒子というものは、実際には空間を満たしている『場』が示す状態の一つにすぎないのです。」
つまり私たちが物質だと思っているものは、実はエネルギーがその場に集中して、ある意味「濃く」なったような状態だというワケです。
そしてエネルギー=情報ですから、私たちが物質だと思っているものは、実は情報のかたまりでもあるというワケです。
「すべては情報で出来ている」と生体エネルギー技術が言うのは、そういう事なのです。
そして生体エネルギー技術では、さらにこう言います。
「すべてが情報で出来ているなら、情報で変えられるはずだ」・・・と。
つまりソフトウエアを書き換えれば、その結果である物質も変わるということですね。
私たちはこの世界を非常に堅固で変わりようのないもののように思っていますが、実はそうではないということです。
よく「情報化社会」という言葉が使われますが、真の情報化社会とは良い意味で情報を使いこなすことで、マイナスな状態にあるものをプラスに変えることの出来る社会を言うのではないかなと思います。
Posted by 渋谷夫婦 at
17:13
2010年08月20日
ソメイヨシノが連作障害?!
信州はお盆を過ぎると急に涼しくなるのが普通なのに、この暑さは何だ!という今日この頃。
今まではクーラーなしで乗り切っていた我が家も、とうとうクーラー設置しました。
そんな暑い中、熱いメールを鹿児島からいただきました。
以前このブログでも紹介した(2月3日の記事)、水から液化ガスを作ることに成功したという(株)日本テクノの大政社長の講演会が鹿児島で開催されるそうです。
以下は、主催される(株)鹿児島超音波総合研究所の坂元氏からの熱~いメッセージです。
『水から酸素と水素ガスを取り出す。
そりゃ私の素人考えでもH20ですから・・・できるっしょ!
言うはやすし・・・・
ブラウンガスといって昔から概念はありましたが・・・
でも水素と酸素が混ざると爆発するし、貯蔵できないし・・・・・問題あり~
世界中で研究者が次々爆発で死ぬし・・・・・
そして世界は水素ガスの研究の時代へ・・・ところが世界中いまだにこれも出来ない
ところがところが、東京・大田区の中小企業の親父さんがつくってしもうた!
その日本テクノ㈱の大政龍普社長が鹿児島へやって来ます。
なんとなんと会場でその場で・・・・この水、作って見せてくれます。
鹿児島の皆様ぜひ会場へ来てご一緒にご覧いただけませんか!
しかもこの水エネルギーになるだけじゃない。
人間にも動物にも植物にも薬としても使えます。
ほとんどの産業で使えるのです。あなたの企業でも。
あなたのクリニックでも研究室でもご家庭でも。
温泉やプールの水も殺菌できる。しかも低コストで!
次亜塩素酸ソーダがいらんし・・・肌はつるつるになり塩素臭もなし
農業でまけば害虫がいなくなるし・・・・人間に無害・・飲めるし・・・・
家庭でも企業でも誰でも簡単に使える・・・・・
もうバイクは走っているし・・・・
金属溶接機は実用化されチタンでもタングステンでも・・・・バッチリ。
官僚も政治家も聞く耳もたんのです。
ご自分の目と耳で21世紀の新技術をご確認ください。
「水がエネルギーと薬に変わる日」
8月24日(火)18:00開場 18:30開演
鹿児島市与次郎ヶ浜「南日本新聞本社」みなみホール
前売り1,500円(当日2,000円)
先着300名・・・こんなでかい会場借りて、
こんな信じられないような講演会の案内するものですから動員できずに困っています。
人はチンケな嘘にはすぐ騙されますが、大きな真実には向き合えません。
どうか一人でも知り合いを連れてきてください。
あなたがお一人で見ても誰も信じてくれません。
「水からエネルギーや薬ができた!今日この目で見てきた」というと
「やはりこの人おかしくなってきた」と言われます。
あなたはこのメールを信じない!
それが普通です。
でもでも企業家にもドクターたちにも、家庭の主婦の皆様にも知って欲しい、見て欲しい・・・・
水からエネルギーは作れるのだ・・イやもう作っている
完成しているのです。
ドクターの皆様、ご協力が必要です。あなたの研究室、クリニックで「俺が実験してやる」とお申し出ください。
企業家の皆様、俺が使ってやる、売ってやるとお申し出ください。
ご家庭の主婦の皆様、まな板でも食べ物でも殺菌できて、アトピーも床ずれも吹きかけるだけで治っているのです。
お困りの方お申し出ください。
大政社長も「鹿児島には俺を呼ぶようなアホがいた」と喜んでいるのです。
わくわくします。
生きている間にフリーエネルギーを実際に、鹿児島で全国に先駆けて見れるとは思いませんでした。
鹿児島から人類を救いましょう!
あたしゃアホですかね?
前売りあります。
お申し込みはinfo@ksl-net.com
願わくばこの大政社長の技術が人類を救い、地球からエネルギーを奪い合う馬鹿げた戦争がなくなり、真の平和が訪れますように!
8月24日(火)会場にてお会いしましょう! 』
・・・・ということでした。
さて、世界のあちこちで異常気象による異常現象が頻発しておりますが、おとといだったでしょうか、NHKテレビで『今、全国のソメイヨシノに異変が!』というテーマで番組をやっていました。
ソメイヨシノという桜は皆さんご存知ですよね。
今、この世にあるソメイヨシノはすべて、1本の木から始まったクローンだったって知ってました?
そのソメイヨシノが今、原因不明で枯れるという事態があちこちで起こり始めているそうです。
もともと生物は、雌の卵子からクローンを作って増やすことが出来るにもかかわらず、なぜオスとメスの両方による生殖が必要かと言えば、出来るだけ色々な情報を混ぜ合わせて種(しゅ)を増やした方が、何かあったときに絶滅の危機をまぬがれやすくなるからだと言われています。
しかし全く同じ遺伝子から増やしていくクローンは、情報が単一なために、危機があったときに全員がやられるという危険性を持っています。
その意味で、ソメイヨシノが今アブナイ状態なのだとテレビで解説者が話していました。
そしてなぜ枯れるのかの原因を、観光地などで大量の本数を密植したため、お互いに土の養分を奪い合ったからと、花見客によって土が踏み固められてしまったからではないかと話していました。
まぁそれも一因ではあるでしょうが、「生体エネルギー」という観点からは別の推測がされると思います。
ハッキリした原因がわからずに植物が枯れていったり、病害虫にやられ易くなる現象に「連作障害」があります。
農業では同じ土地に、同じ種類または近種の作物をくりかえし植えると、やがて収量が落ちたり育たなくなる現象があり、これが連作障害です。
ダイコンやナス科の植物はこれが起こりやすいので、毎年場所を変えて植えた方がいいと言われています。
我が家の近くでも今年の春から、背後の山を越えた群馬県側からやって来たキャベツ農家が、土地を借りてキャベツを作り始めました。
聞くところによると、今までの畑で連作障害が起こってしまったので、しばらく土地を休ませなければならないという事でした。
ところがその土地に、ちがう種類の作物を植えるときちんと育つということがあるそうです。
一般にはなぜ連作障害が起こるのか、なぜ違う種類の作物なら育つのかの理由は分かっていません。
これは生体エネルギーの観点からなら、原因は明らかです。
その土地から、ダイコンならダイコンを作るための『情報』、キャベツならキャベツを作るための『情報』が不足したために、それらが作れなくなったのだと生体エネルギーでは考えています。
そしてダイコンを作るための情報は不足しても、他の野菜を作るための情報が残っていれば、ダイコン以外は育つのだと考えられています。
土地から『情報』が不足する?なんだそりゃ!?
・・・・と思われるかも知れませんね。
植物が育つのに必要なのはチッソ、リン酸、カリ云々の栄養だろ?それと堆肥と微生物というのは聞いたことがあるけど、『情報』不足で作物が育たないなんて聞いたことがないゾと皆さん思われるでしょう。
連作障害を起こした土地を調べても、栄養や堆肥や微生物など今まで必要だと言われてきたものは不足していません。
しかし明らかに植物は育たない・・・。
となれば、化学分析には引っかからない何かが足りないんだよね?
と、生体エネルギー技術の創始者の佐藤政二氏は考えられました。
そう、土から不足していたのは『生体エネルギー』だったんです。
昔から土地が作物を育てる力のことを『地力』と言うではありませんか。
そういう力、すなわちエネルギーというものがあり、それが不足して連作障害が起こると考えられるのです。
なるほどエネルギー不足で作物が育たない、それは何となく考えられるけど、さっき連作障害は『情報』不足で起こると言ったんじゃないの?
ハイそうです。情報不足で連作障害がおこります。
なぜなら、生体エネルギー=情報だからです。
私たちはエネルギーと聞くと、何かをする為の力、パワーとしか思いません。
しかし生体エネルギー技術では、エネルギー=情報と考えているのです。
で、ソメイヨシノの話題に戻りますが、ソメイヨシノがクローンということは、同じ種類どころの話ではない!全く同じ遺伝子を持ったものが同じ場所に密植されているということですから、それはもう連作障害が起こっても不思議はないでしょう。
まったく同じ『情報』を、何本もの木で奪い合うわけですからね。
だから単に栄養不足とか、花見客に踏まれた土が固くなったからということではないと思うんですよ。
・・・で、植物の連作障害から我々が学べることをひとつ提案します。
もし「好き嫌い」のはげしい性格の人がおられたら、要注意です。
そういうタイプの人は、自分の好む情報は受け入れるが、嫌いなものは断固拒否!ですよね。
するといつの間にか自分を作っている情報がかたよってしまうため、色々な条件の場で生きることが出来にくくなってしまうと考えられます。
つまり連作障害を起こしやすい人間になってしまうということです。
会社勤めが続かなかったり、人間関係でトラブルを起こしやすかったり、最近あちこちで聞かれる様々な問題は、もしかしたら人間の連作障害かなぁ・・・と思う今日この頃でした。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
今まではクーラーなしで乗り切っていた我が家も、とうとうクーラー設置しました。
そんな暑い中、熱いメールを鹿児島からいただきました。
以前このブログでも紹介した(2月3日の記事)、水から液化ガスを作ることに成功したという(株)日本テクノの大政社長の講演会が鹿児島で開催されるそうです。
以下は、主催される(株)鹿児島超音波総合研究所の坂元氏からの熱~いメッセージです。
『水から酸素と水素ガスを取り出す。
そりゃ私の素人考えでもH20ですから・・・できるっしょ!
言うはやすし・・・・
ブラウンガスといって昔から概念はありましたが・・・
でも水素と酸素が混ざると爆発するし、貯蔵できないし・・・・・問題あり~
世界中で研究者が次々爆発で死ぬし・・・・・
そして世界は水素ガスの研究の時代へ・・・ところが世界中いまだにこれも出来ない
ところがところが、東京・大田区の中小企業の親父さんがつくってしもうた!
その日本テクノ㈱の大政龍普社長が鹿児島へやって来ます。
なんとなんと会場でその場で・・・・この水、作って見せてくれます。
鹿児島の皆様ぜひ会場へ来てご一緒にご覧いただけませんか!
しかもこの水エネルギーになるだけじゃない。
人間にも動物にも植物にも薬としても使えます。
ほとんどの産業で使えるのです。あなたの企業でも。
あなたのクリニックでも研究室でもご家庭でも。
温泉やプールの水も殺菌できる。しかも低コストで!
次亜塩素酸ソーダがいらんし・・・肌はつるつるになり塩素臭もなし
農業でまけば害虫がいなくなるし・・・・人間に無害・・飲めるし・・・・
家庭でも企業でも誰でも簡単に使える・・・・・
もうバイクは走っているし・・・・
金属溶接機は実用化されチタンでもタングステンでも・・・・バッチリ。
官僚も政治家も聞く耳もたんのです。
ご自分の目と耳で21世紀の新技術をご確認ください。
「水がエネルギーと薬に変わる日」
8月24日(火)18:00開場 18:30開演
鹿児島市与次郎ヶ浜「南日本新聞本社」みなみホール
前売り1,500円(当日2,000円)
先着300名・・・こんなでかい会場借りて、
こんな信じられないような講演会の案内するものですから動員できずに困っています。
人はチンケな嘘にはすぐ騙されますが、大きな真実には向き合えません。
どうか一人でも知り合いを連れてきてください。
あなたがお一人で見ても誰も信じてくれません。
「水からエネルギーや薬ができた!今日この目で見てきた」というと
「やはりこの人おかしくなってきた」と言われます。
あなたはこのメールを信じない!
それが普通です。
でもでも企業家にもドクターたちにも、家庭の主婦の皆様にも知って欲しい、見て欲しい・・・・
水からエネルギーは作れるのだ・・イやもう作っている
完成しているのです。
ドクターの皆様、ご協力が必要です。あなたの研究室、クリニックで「俺が実験してやる」とお申し出ください。
企業家の皆様、俺が使ってやる、売ってやるとお申し出ください。
ご家庭の主婦の皆様、まな板でも食べ物でも殺菌できて、アトピーも床ずれも吹きかけるだけで治っているのです。
お困りの方お申し出ください。
大政社長も「鹿児島には俺を呼ぶようなアホがいた」と喜んでいるのです。
わくわくします。
生きている間にフリーエネルギーを実際に、鹿児島で全国に先駆けて見れるとは思いませんでした。
鹿児島から人類を救いましょう!
あたしゃアホですかね?
前売りあります。
お申し込みはinfo@ksl-net.com
願わくばこの大政社長の技術が人類を救い、地球からエネルギーを奪い合う馬鹿げた戦争がなくなり、真の平和が訪れますように!
8月24日(火)会場にてお会いしましょう! 』
・・・・ということでした。
さて、世界のあちこちで異常気象による異常現象が頻発しておりますが、おとといだったでしょうか、NHKテレビで『今、全国のソメイヨシノに異変が!』というテーマで番組をやっていました。
ソメイヨシノという桜は皆さんご存知ですよね。
今、この世にあるソメイヨシノはすべて、1本の木から始まったクローンだったって知ってました?
そのソメイヨシノが今、原因不明で枯れるという事態があちこちで起こり始めているそうです。
もともと生物は、雌の卵子からクローンを作って増やすことが出来るにもかかわらず、なぜオスとメスの両方による生殖が必要かと言えば、出来るだけ色々な情報を混ぜ合わせて種(しゅ)を増やした方が、何かあったときに絶滅の危機をまぬがれやすくなるからだと言われています。
しかし全く同じ遺伝子から増やしていくクローンは、情報が単一なために、危機があったときに全員がやられるという危険性を持っています。
その意味で、ソメイヨシノが今アブナイ状態なのだとテレビで解説者が話していました。
そしてなぜ枯れるのかの原因を、観光地などで大量の本数を密植したため、お互いに土の養分を奪い合ったからと、花見客によって土が踏み固められてしまったからではないかと話していました。
まぁそれも一因ではあるでしょうが、「生体エネルギー」という観点からは別の推測がされると思います。
ハッキリした原因がわからずに植物が枯れていったり、病害虫にやられ易くなる現象に「連作障害」があります。
農業では同じ土地に、同じ種類または近種の作物をくりかえし植えると、やがて収量が落ちたり育たなくなる現象があり、これが連作障害です。
ダイコンやナス科の植物はこれが起こりやすいので、毎年場所を変えて植えた方がいいと言われています。
我が家の近くでも今年の春から、背後の山を越えた群馬県側からやって来たキャベツ農家が、土地を借りてキャベツを作り始めました。
聞くところによると、今までの畑で連作障害が起こってしまったので、しばらく土地を休ませなければならないという事でした。
ところがその土地に、ちがう種類の作物を植えるときちんと育つということがあるそうです。
一般にはなぜ連作障害が起こるのか、なぜ違う種類の作物なら育つのかの理由は分かっていません。
これは生体エネルギーの観点からなら、原因は明らかです。
その土地から、ダイコンならダイコンを作るための『情報』、キャベツならキャベツを作るための『情報』が不足したために、それらが作れなくなったのだと生体エネルギーでは考えています。
そしてダイコンを作るための情報は不足しても、他の野菜を作るための情報が残っていれば、ダイコン以外は育つのだと考えられています。
土地から『情報』が不足する?なんだそりゃ!?
・・・・と思われるかも知れませんね。
植物が育つのに必要なのはチッソ、リン酸、カリ云々の栄養だろ?それと堆肥と微生物というのは聞いたことがあるけど、『情報』不足で作物が育たないなんて聞いたことがないゾと皆さん思われるでしょう。
連作障害を起こした土地を調べても、栄養や堆肥や微生物など今まで必要だと言われてきたものは不足していません。
しかし明らかに植物は育たない・・・。
となれば、化学分析には引っかからない何かが足りないんだよね?
と、生体エネルギー技術の創始者の佐藤政二氏は考えられました。
そう、土から不足していたのは『生体エネルギー』だったんです。
昔から土地が作物を育てる力のことを『地力』と言うではありませんか。
そういう力、すなわちエネルギーというものがあり、それが不足して連作障害が起こると考えられるのです。
なるほどエネルギー不足で作物が育たない、それは何となく考えられるけど、さっき連作障害は『情報』不足で起こると言ったんじゃないの?
ハイそうです。情報不足で連作障害がおこります。
なぜなら、生体エネルギー=情報だからです。
私たちはエネルギーと聞くと、何かをする為の力、パワーとしか思いません。
しかし生体エネルギー技術では、エネルギー=情報と考えているのです。
で、ソメイヨシノの話題に戻りますが、ソメイヨシノがクローンということは、同じ種類どころの話ではない!全く同じ遺伝子を持ったものが同じ場所に密植されているということですから、それはもう連作障害が起こっても不思議はないでしょう。
まったく同じ『情報』を、何本もの木で奪い合うわけですからね。
だから単に栄養不足とか、花見客に踏まれた土が固くなったからということではないと思うんですよ。
・・・で、植物の連作障害から我々が学べることをひとつ提案します。
もし「好き嫌い」のはげしい性格の人がおられたら、要注意です。
そういうタイプの人は、自分の好む情報は受け入れるが、嫌いなものは断固拒否!ですよね。
するといつの間にか自分を作っている情報がかたよってしまうため、色々な条件の場で生きることが出来にくくなってしまうと考えられます。
つまり連作障害を起こしやすい人間になってしまうということです。
会社勤めが続かなかったり、人間関係でトラブルを起こしやすかったり、最近あちこちで聞かれる様々な問題は、もしかしたら人間の連作障害かなぁ・・・と思う今日この頃でした。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
15:18
2010年07月26日
医療財政破たんを防ぐ農業
例年にない雨量の多さの梅雨が終わったら、今度は容赦ないカンカン照りがやって来ました。庭のアマガエルも草花の陰に避難しています(写真)。
たいへん久しぶりに東京という大都会へ行って思ったのですが、どうも信州の太陽光線の強さはよそに比べて相当に強いらしいです。
多分、標高が高いせいと、空気が澄んでいるせいだと思うのですが、紫外線・熱線遮断フィルムを通過してくる強力な何かを感じます。
まあ地表にふりそそいで来るものは紫外線や熱線だけではないので、当然と言っちゃぁ当然ですが、以前はこんなもの感じなかっただけに気になるんですよねー。
「これは近い将来、宇宙服でも着ないと生きていけなくなるんじゃないか??」なーんて冗談も言いたくなります。
世間には、値段は高いが宇宙船の外壁に塗るような塗料を売っているそうで、実際に屋根に塗った知人もいます。
2.012年に向けて太陽活動が活発化することは、もうNASAが正式に発表しているので当たり前なんですが、それに加えて地球の放射エネルギーが弱体化していることが問題なんですよねー。
放射エネルギーというのはSF映画に出てくる電磁バリアーと同じようなもので、地球だけでなくどんな存在も持っているものです。
そしてこの放射エネルギーは、存在の生体エネルギーをベースに出てくるものなので、一個体の生体エネルギーが劣化すると放射エネルギーの力も弱まると言われているのです。
つまり地球が弱っているんですねー。
それで今まで地表に降りてこなかった内容の太陽電磁波が、やって来ていると考えられます。
いやはや・・・(-_-;)。
さて、4月からこのブログのタイトルの「医農一如」について少~しずつ書いているので、そちらへ話題を変えたいと思いますが、今日は日本の「医療財政破たん」を防ぐための提案をひとつ。
日本の医療財政危機に対処するため、政府はこれまでも下げてきた薬価をさらに下げています。
薬価とは医療機関が保険診療で患者さんに薬を処方したときに、医療機関がもらえるお金のことです。
保険診療で出す薬の値段を医療機関は勝手に決められず、厚生労働省がこの薬はいくら、あの薬はいくらと決めています。その薬価が下げられるとは、強制的に医療機関の収益が下がるということです。
私どもも医院を開業した当初は保険診療を行なっていたので、薬価がどのくらいのものなのかは知っていますが、月末に 各保険組合から頂くお金から薬の仕入れ代を引くと、残高は微々たるものです
。一般にはその事実はあまり知られていないので、「医院は患者さんに薬をたくさん出してガッポリ儲けてるんだろ~」などと思われがちですがとんでもない話です。
当時ですらそんな状況なので、さらに薬価が下がったら保険診療のみの医療機関はどうなるんだろうと思います。
さらに政府は薬価だけでなく一般開業医院の再診料も下げることに決めたというニュースも報道されました。
開業しているお医者さんは、大学病院などに勤めているお医者さんよりも収入が多いだろうからその格差を無くすためだそうですが、これも一体何を根拠にそう判断しているのかよくわかりません。
政府の言っていることは、自分で会社を経営している人はサラリーマンより収入が多いに決まっていると言っているのも同様で、不況で多くの経営者が苦しんでいるこのご時世にトンチンカンな判断だなぁと思います。
初診料や再診料は、医師が患者さんと会って症状などの話を聞き、色々な判断をする仕事に対して頂ける代金ですが、不思議なことに保険診療では、患者さんと5分話そうが30分話そうが頂ける金額は同じです。
また熟練した医師でも医学部を出たての医師でも同じです。
しかも薬価同様にびっくりするくらい安い値段です。
それをさらに下げようというのですから、保険診療の個人開業医は倒産しなさいと言っているようなものだと思います。
政府がこの様な政策をとる理由は、病人の増加で国の医療支出が増加の一途をたどり、医療財政が破綻の危機にあるからだということは分かります。
しかし末端の出て行くお金ばかりを節約するだけでは、根本的な解決にはならないでしょう。
まして医療機関を締め付けて、それでなくても医師不足の現状にさらに医療機関の倒産が増えれば、医療現場の荒廃が進むことは目に見えています。
日本は病人の数が増えて支出が多くなっているのですから、まず国民が病気にならない方法を考えなければ根本は変わりません。
そして万が一病気になっても、重症化しない方法を考えなければ何も変わりません。
「じゃあ病気にならない方法は?重症化しない方法は?」
それが簡単にわかれば苦労はしないのですが、困ったことに現代はアレルギーや癌などの自分が作り出す病気や、原因も治療法もわからない難病が増えています。
外から来る細菌やウイルスをやっつける薬を開発し、衛生面に気をつければある程度の成果を得られた昔とは今は違います。病気についての事情がたいへん複雑になっているのが現代なのです。
さてそれならば私どもが提案したいのは、ともかくまず原点にさかのぼって考えようという事です。
病気になるのは人間のからだです。ならばそのからだを作る根本は何かを考え、からだの作り方から改善していきましょうと言いたいのです。
一般に病気予防のためには食事の内容に気をつけ、ストレスを無くし、適度に運動をして睡眠もよく取り・・・などと言われますが、もっとずっとそれ以前の、細胞ひとつひとつを作る過程から考えるのです。
私たちは自分で自分のからだを日々作り変えています。
見た目があまり変わらないので分かりづらいのですが、古くなった細胞を捨て新しい細胞を作るという、いわゆる新陳代謝を昼夜休むことなく行なっています。
比較的ゆっくりとした肝臓でも四十日、骨にいたっては7年ですっかり入れ替わると言われています。
ならば新しく作り変えるときに、以前より質の良いものに作れば病気になりにくいからだが作れるでしょう。
それにはどうすればよいでしょうか?
質の良い細胞を作るには、それを作る材料を質の良いものにすればいいのです。
細胞を作る材料とは、食べ物です。
私たちの細胞は、私たちが口から食べたもの以外からは出来ていません。
大統領だろうが庶民だろうが、どんな人間も間違いなく食べたものから細胞を作っています。
「じゃあ食べる物を注意して選べばいいんだよね?」
はい、それはそうなんですが、もっとそれ以前から考えなければならないというのが、私どもが提唱している「医農一如」の考え方です。
食べるものを作る根本の産業は農業です。
農業のあり方を整えることが質の良い食べ物を作ることになり、それが健康な細胞を作ることにつながり、病気になりにくいからだを作ることにつながると考えています。
ですから予防医療、未病医療を根本から可能にするのは医療現場だけでなく、実は農業がそのカギを握っているのです。
従って「医農一如」なのです。
大げさな言い方かも知れませんが、日本の医療財政破綻を防ぐのは農業であると言ってもよいのではないかと思っています。
ただし予防医療・未病医療につながる為の作物作りは、最近流行りの「無農薬有機農法」だけでは足りません。
また人間が出来るだけ手を加えない「自然農法」でも足りません。
どちらの農法も考え方は悪くないのですが、足りないものがあるのです。
その足りないものとは、生き物の命を作るのに必要な「原動力」です。
「原動力」とはすなわち「生きている体を作っているエネルギー」です。
「無農薬有機農法」も「自然農法」も、どちらかと言えば引き算の農法ですね。
化学肥料、農薬という、人体に害となりそうなものを排除するという引き算です。
しかし引き算だけでは農業は足りません。
植物が朽ちて土に返る自然界とは異なり、農業では育ったものを畑から「持ち去る」ことをします。
ですから持ち去った分をあえて足し算しなければ成り立ちません。
しかも足すのは肥料だけでなく、次の命を作るためのエネルギーを足さねばならないのです。
予防医療・未病医療になり得る農業の確立には、まず農業に対する考え方から整備しなければならないでしょう。
農業とは腹を満たす為の食物を作るだけでなく、国民の「命」を作る産業であることを、農業従事者だけでなくすべての人が自覚することです。
そして実際に命を作るための足し算を実践することです。
時間はかかっても、原点から国民一人一人のからだを作り直していかない限り、医療財政の立て直しは難しいでしょう。
そして命を作るとは健康を作ることだけではありません。
より質の高い人間づくりでもあります。
地球や宇宙から「もう必要ないよ」と言われない人類になるためにも、農業のあり方を変えていく必要があるのではないかと考えています。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
16:22
2010年06月04日
浄化と準拠位置
東北の某県で岩魚(イワナ)の養殖をしているIさんからこんな話を聞きました。
今年は飼っている岩魚(イワナ)の中に、やけにからだが大きいヤツが多いのだそうです。
Iさんは「水や餌のせいで大きくなったんかなぁ?でも何かちょっと変だよなぁ・・・」と感じ、岩魚について色々と情報を集めたそうです。
すると分かったことが、岩魚という魚は大雨で水流が激しくなるなど、いわゆる「環境」がキビシくなると川底の小石を呑み込んで自重を重くし、川底に沈んで流されないようにする性質を持っているということでした。
そこでI さんが推測したのは、もしかしたら岩魚たちは小石の代わりに、いけすにまかれた餌をたくさん呑み込んだのではないかという事です。
小石では太らないが、餌なら確実に身になって大きくなります。
しかし自然の川ではなく、養殖用のいけすの中でどうしてイワナがその様な行動を取るのでしょうか?
Iさんのいけすは湧き水を利用しているそうですが、今年はその湧き水の温度が1時間のあいだに0.5度も変化するという、今までには無い現象が起こっているそうです。
また、自然の湧き水は「自浄能力」が高いので今まではいけすが汚れなかったのに、最近は汚れるようになったのだそうです。
つまり自然の川ではないいけすの中においても、岩魚たちは湧き水の変化を通じて「何か環境がおかしい」という事を感じ取り、本能で自重を重くすることをやったのではないか?とIさんは考えたのだそうです。
友人の霊能者で、毎週滝行をして常に自然の水に触れている天七氏も「自然の浄化能力が落ちて来ているのを感じる」と今盛んに言われていますが、今回Iさんの岩魚の話を聞いて「感じるだけでなく目に見える現象としても現れてきているんだ・・・」と危機感を新たにしました。
「浄化」とは穢れを取り除いて清らかにすることを言いますが、もともと自然界にはそういう力があるのだそうです。
しかし近年はあまりにも人間の自己チューな想念のエネルギー(穢れ)が地球上に蓄積しすぎて、自然界の浄化能力が追いつかないと天七氏は言っています。
「浄化」というテーマを生体エネルギー概念から考えると、「生体エネルギー準拠位置」という概念に結び付けられるんじゃないかナと思います。
この「準拠位置」という概念は非常に奥が深く、私どももなかなか理解が追いつかないのですが、一言で言うと「準拠位置」とは「よりどころ位置」であると言われています。
「よりどころ」は拠って立つもの、すなわち「基準」や「標準」のことです。
私たちは日常生活の中でつねに色々な判断をして生きています。
仕事における難しい判断だけでなく、たとえば買い物に行ってコレを買うべきか否か、今アレをすべきか否かなど、睡眠中以外は絶えず判断の連続です。
そしてその判断は、必ずその人なりの「基準」や「標準」を元に行なわれています。
それが「よりどころ」です。
ということは、「よりどころ」「準拠」とはその人そのものを表しているとも言えるでしょう。
そして「よりどころ」「準拠」には「位置」というものがあり、実はそれが重要だというのが生体エネルギーの考え方です。
例えば「金がすべてだ」というのもよりどころ、「自分さえ満足すれば他人などどうでもいい」というのもよりどころです。
それを基準に行動するAさんもいるでしょう。
一方、その反対に「金より大事なものがある」というのも、「自分のことより人様のお役に立ちたい」というのもよりどころ(準拠)で、すべてその基準で考え行動するBさんもいるでしょう。
またその中間のようなよりどころを持った人もおり・・・と言うように、よりどころ(準拠)の種類というのは無限にあると言えるでしょう。
それはそれでいいのですが、問題は人類全体が不幸になるようなよりどころ(基準)が地球上に蔓延しては困ります。
そのためには、よりどころの種類だけでなく、その「位置」ということも考えに入れないといけないんじゃないかというのが「生体エネルギー準拠位置」というものです。
じゃあ例えばAさんとBさん、どっちのよりどころが「位置」が高いんだ?ということになると、存在というものはどこまで行っても自分を中心にものを考えるため、決めることが出来ません。
それならともかく何をしたらあらゆる存在が命を継続でき、共存共栄できるのかを考え、その方向性をもったよりどころを「位置が高い」とし、そうでない方向性、すなわち他を傷つけたり滅亡、衰退などの方向性をもつようなよりどころを「位置が低い」としようという訳です。
(・・・「よりどころ位置」とはそんな感じじゃないのかなぁ・・・と、コレは飽くまでも我々の理解ですから悪しからず)。
・・・で、「浄化」とそれがどんな関係があるんだよ!ということですが、
とくに人間を中心に「穢れ」が蓄積されて来ているということは、人類の、また自然界の「生体エネルギー準拠位置」が下がって来ているということなんです。
つまり衰退の方向性ですね・・・(ヤバイ)。
確かに政治経済や産業、環境の現状を見ていると、その方向性が大ですね。
で、「浄化」とは「生体エネルギー準拠位置」を高める(貴めるとも書きます)ことと言いかえられるんじゃないかと思うのです。
今までの自然界にはその力があったので、多少落ちても復活できたのですが、冒頭にも書いたように近年はそれが無くなってきたようなのです。
同じとは言えませんが、ヒューレン博士のホ・オポノポノが大好きな人は、博士の言っている「クリーニング」という概念を考えられれば分かりやすいでしょう。
自然界によるクリーニングが追いつかないなら、ともかく人間自身が心を入れ替えて自己のクリーニングに努めるしかないということでしょうね。
以前、京セラ創業者で名誉会長の稲森和夫氏が「どんな事業を行なうにしても、その動機に私心なかりしか?とまず考える」と言われていたことを書きましたが、これは生体エネルギー概念で言ったら高い判断基準、つまり準拠位置が高いということです。
ほとんどは「私心(私欲)」で動くのが人間ですから。
「いやぁ~俺は稲森氏のような大人物じゃないから、そんな高い準拠位置をめざすなんて、とてもとても・・・」と思わなくても大丈夫です。
生体エネルギー準拠位置(略して「準位」)のネタは毎日の生活にゴロゴロ転がっています。
頂き物の美味しそ~うなケーキ、兄弟の分と自分の分とどちらを大きく切り分けるか・・・なーんて判断ひとつとっても、自分の「準拠位置」で決まるのですから。
もしこっそり自分の方を大き目に切ってしまったら、早速「ごめんなさい、ごめんなさい」と浄化しましょう(笑)。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
今年は飼っている岩魚(イワナ)の中に、やけにからだが大きいヤツが多いのだそうです。
Iさんは「水や餌のせいで大きくなったんかなぁ?でも何かちょっと変だよなぁ・・・」と感じ、岩魚について色々と情報を集めたそうです。
すると分かったことが、岩魚という魚は大雨で水流が激しくなるなど、いわゆる「環境」がキビシくなると川底の小石を呑み込んで自重を重くし、川底に沈んで流されないようにする性質を持っているということでした。
そこでI さんが推測したのは、もしかしたら岩魚たちは小石の代わりに、いけすにまかれた餌をたくさん呑み込んだのではないかという事です。
小石では太らないが、餌なら確実に身になって大きくなります。
しかし自然の川ではなく、養殖用のいけすの中でどうしてイワナがその様な行動を取るのでしょうか?
Iさんのいけすは湧き水を利用しているそうですが、今年はその湧き水の温度が1時間のあいだに0.5度も変化するという、今までには無い現象が起こっているそうです。
また、自然の湧き水は「自浄能力」が高いので今まではいけすが汚れなかったのに、最近は汚れるようになったのだそうです。
つまり自然の川ではないいけすの中においても、岩魚たちは湧き水の変化を通じて「何か環境がおかしい」という事を感じ取り、本能で自重を重くすることをやったのではないか?とIさんは考えたのだそうです。
友人の霊能者で、毎週滝行をして常に自然の水に触れている天七氏も「自然の浄化能力が落ちて来ているのを感じる」と今盛んに言われていますが、今回Iさんの岩魚の話を聞いて「感じるだけでなく目に見える現象としても現れてきているんだ・・・」と危機感を新たにしました。
「浄化」とは穢れを取り除いて清らかにすることを言いますが、もともと自然界にはそういう力があるのだそうです。
しかし近年はあまりにも人間の自己チューな想念のエネルギー(穢れ)が地球上に蓄積しすぎて、自然界の浄化能力が追いつかないと天七氏は言っています。
「浄化」というテーマを生体エネルギー概念から考えると、「生体エネルギー準拠位置」という概念に結び付けられるんじゃないかナと思います。
この「準拠位置」という概念は非常に奥が深く、私どももなかなか理解が追いつかないのですが、一言で言うと「準拠位置」とは「よりどころ位置」であると言われています。
「よりどころ」は拠って立つもの、すなわち「基準」や「標準」のことです。
私たちは日常生活の中でつねに色々な判断をして生きています。
仕事における難しい判断だけでなく、たとえば買い物に行ってコレを買うべきか否か、今アレをすべきか否かなど、睡眠中以外は絶えず判断の連続です。
そしてその判断は、必ずその人なりの「基準」や「標準」を元に行なわれています。
それが「よりどころ」です。
ということは、「よりどころ」「準拠」とはその人そのものを表しているとも言えるでしょう。
そして「よりどころ」「準拠」には「位置」というものがあり、実はそれが重要だというのが生体エネルギーの考え方です。
例えば「金がすべてだ」というのもよりどころ、「自分さえ満足すれば他人などどうでもいい」というのもよりどころです。
それを基準に行動するAさんもいるでしょう。
一方、その反対に「金より大事なものがある」というのも、「自分のことより人様のお役に立ちたい」というのもよりどころ(準拠)で、すべてその基準で考え行動するBさんもいるでしょう。
またその中間のようなよりどころを持った人もおり・・・と言うように、よりどころ(準拠)の種類というのは無限にあると言えるでしょう。
それはそれでいいのですが、問題は人類全体が不幸になるようなよりどころ(基準)が地球上に蔓延しては困ります。
そのためには、よりどころの種類だけでなく、その「位置」ということも考えに入れないといけないんじゃないかというのが「生体エネルギー準拠位置」というものです。
じゃあ例えばAさんとBさん、どっちのよりどころが「位置」が高いんだ?ということになると、存在というものはどこまで行っても自分を中心にものを考えるため、決めることが出来ません。
それならともかく何をしたらあらゆる存在が命を継続でき、共存共栄できるのかを考え、その方向性をもったよりどころを「位置が高い」とし、そうでない方向性、すなわち他を傷つけたり滅亡、衰退などの方向性をもつようなよりどころを「位置が低い」としようという訳です。
(・・・「よりどころ位置」とはそんな感じじゃないのかなぁ・・・と、コレは飽くまでも我々の理解ですから悪しからず)。
・・・で、「浄化」とそれがどんな関係があるんだよ!ということですが、
とくに人間を中心に「穢れ」が蓄積されて来ているということは、人類の、また自然界の「生体エネルギー準拠位置」が下がって来ているということなんです。
つまり衰退の方向性ですね・・・(ヤバイ)。
確かに政治経済や産業、環境の現状を見ていると、その方向性が大ですね。
で、「浄化」とは「生体エネルギー準拠位置」を高める(貴めるとも書きます)ことと言いかえられるんじゃないかと思うのです。
今までの自然界にはその力があったので、多少落ちても復活できたのですが、冒頭にも書いたように近年はそれが無くなってきたようなのです。
同じとは言えませんが、ヒューレン博士のホ・オポノポノが大好きな人は、博士の言っている「クリーニング」という概念を考えられれば分かりやすいでしょう。
自然界によるクリーニングが追いつかないなら、ともかく人間自身が心を入れ替えて自己のクリーニングに努めるしかないということでしょうね。
以前、京セラ創業者で名誉会長の稲森和夫氏が「どんな事業を行なうにしても、その動機に私心なかりしか?とまず考える」と言われていたことを書きましたが、これは生体エネルギー概念で言ったら高い判断基準、つまり準拠位置が高いということです。
ほとんどは「私心(私欲)」で動くのが人間ですから。
「いやぁ~俺は稲森氏のような大人物じゃないから、そんな高い準拠位置をめざすなんて、とてもとても・・・」と思わなくても大丈夫です。
生体エネルギー準拠位置(略して「準位」)のネタは毎日の生活にゴロゴロ転がっています。
頂き物の美味しそ~うなケーキ、兄弟の分と自分の分とどちらを大きく切り分けるか・・・なーんて判断ひとつとっても、自分の「準拠位置」で決まるのですから。
もしこっそり自分の方を大き目に切ってしまったら、早速「ごめんなさい、ごめんなさい」と浄化しましょう(笑)。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
15:19
2010年05月13日
宇宙生態系という視点が大切
前回の記事にも書いたように、今年の異常な寒さに対応するために、畑にビニールハウスを建てました。
・・・と言っても建てる作業のほとんどは地元で農業を営むOさん夫妻がやって下さり、ド素人の私共はOさんの指示に従って手伝うといった具合です。
この様に助けてくれる方々がおられるからこそ成り立つ「田舎暮らし」だとつくづく思います。
ありがたいことです。
しかしビニールハウスを建てて大正解だったと思います。
ゴールデンウィーク中の30℃に達する暑さとは打って変わり、ここ数日は震えるような寒さ。
朝晩はストーブを焚くような始末なので、作物の苗にとってはハウスがなければ厳しかったかも知れません。
興味深いのは、ゴールデンウイークの夏日のときは太陽の黒点数が異様に多く、その後ぐっと寒くなった今は黒点数がゼロという日が続いていることです。
http://swc.nict.go.jp/sunspot/
やはり地球は太陽系に属している以上、太陽の活動に支配されるのだろうなぁという感を強くしました。
ところで知人からおもしろいサイト情報が送られてきたので紹介します。
ギリシャの経済破たんに関したニュースです。
http://sakamoto.esthe-keieijuku.com/
新聞・テレビやインターネットで世の中の動きは知ることが出来ても、どうしても静かな田舎暮らしは、つい世界の情勢にうとくなってしまいます。
その様な時にポンと送られてくる情報には、ハッと刺激を与えられるものです。
さて地球上でどの様な事が起こっているのかを知る視点は非常に大切ですが、同時に宇宙規模でものを考える視点も大切でしょう。(どこかの首相夫人のように『金星から来た』というのは少々困りますが・・・)
本日は前回の続きで、生態系生体システムという概念の、とくに生態系ということについて書きたいと思います。
前回は人間を「生体システム」としてとらえる重要性について述べましたが、さらに重要なのが「生態系の中の」ということです。
世の中が環境問題に関心が向くようになってから、「生態系」という言葉をしばしば耳にするようになりましたが、生きている体というシステムもたった一人で生きているのではなく、必ず「生態系」の中の一部として生きています。
したがって「生態系生体システム」として考える必要があるのです。
「生態系」という言葉の意味を辞書で引いてみると、「ある地域の生物の群集とその背景となる無機的環境をひとまとめにし、物質循環・エネルギー流などに注目して機能系としてとらえたもの。地域により海洋生態系、都市生態系、地球生態系などに分ける」とあります。
簡単に言えば、ある地域の生物とそのまわりの環境を見たときに、両者の間には生物が生きるために必要な物やエネルギーの受け渡しが必ずあります。
それがどの様な働きでどの様に行なわれているかなどに注目しながら、それら全体を「系」としてとらえたものを生態系と言うわけです。
そして海洋という環境とそこに住む生物を中心に見るなら海洋生態系、都市という環境とそこに住む人間や動植物を中心に見るなら都市生態系・・・というように、どの地域で見るかで生態系の枠が変わるというわけです。
ではここで言う「生態系生体システム」における生態系の枠とは、一体どこを指すのでしょうか?日本でしょうか?それとも世界あるいは地球でしょうか?
実は「生態系生体システム」の生態系とは、「宇宙生態系」を指しています。
私たちの住む地球だけでなく地球が属している太陽系、その太陽系が属している銀河系、その銀河系が属している私たちの宇宙、私たちの宇宙が属しているその上の宇宙、その上の宇宙が属しているそのまた上の宇宙・・・と何処まで続くのかはわかりませんが、そういう「宇宙生態系」を意味しています。
そしてその中で、太陽系、銀河系というそれぞれの段階が、それぞれ生体システムを成していると考えられています。
例えば太陽系は、「複数の惑星が有機的に関係しあい、全体としてまとまった『太陽系』という機能を発揮している要素の集合体」です。
ですから一つの生体システムです。
そして銀河系は「複数の太陽系の集合体」という生体システムです。
そして私たちの見ている宇宙は、「複数の銀河系の集合体」という生体システムです。
つまり宇宙生態系というものは生体システムが幾重にも重なった状態で、それらの間に物質やエネルギー循環が存在すると考えられるのです。
「でも生体システムとは『生きている体をもったシステム』なんでしょう?太陽系や銀河系は生物じゃないのに、何で生体システムなの?」と思われる方もいるかも知れませんが、そもそも「生きている体」とは一般的に考えられているものだけなのでしょうか?
生体システムという概念では、生理活動や繁殖活動をするものだけを生物とは考えていません。
先に述べたように複数の要素が関係しあい、全体としてまとまった機能を発揮している一つのシステムは、りっぱな生物であるととらえるのです。
ですから惑星の集まりである太陽系も生物、太陽系の集まりである銀河系も生物です。
また「宇宙生態系」は人間より大きな範囲を言うだけではありません。
私たちのからだの内側にも目を向けてみましょう。
人間を作っている要素の一つである臓器は、細胞の集合体です。
細胞は分子の集合体、分子は原子の・・・という様にやはり幾重もの生体システムの重なりが続いており、人間より大きい方向と同様に生態系を成しています。
ですから「宇宙生態系」とはマクロからミクロへ無限に続く領域を包括しているのです。
「まあ、言いたいことは分かった。だけど医療でたった一人の人間のからだを治そうというのに、そんな途方もない範囲を考えていったいどうするの?」という声が聞こえてきそうですね。
「それにそんなはるか彼方と実際に何かのやり取りをしているとは思えないし・・・」。
でもよく考えてみましょう。
植物という生き物は、光合成を通じて宇宙とのエネルギー循環をおこなっているという事実が現にあるのです。
そして人間のからだはその植物なしには作れないという事実が存在します。
たった一人の人間を治療するときに、この途方も無い範囲の「視点」を持つことがたいへん重要です。
逆に言えばこの母親と胎児をつなぐへその緒のような、宇宙生態系との「つながり」を見過ごしていることが、現代医療のさまざまな問題を生み出しているのではないでしょうか。
現在の日本の医療財政危機もまた、へその緒が希薄になり、生態系としてではなく人間という部分でしか物事を見られなくなった結果ではないかと考えます。
先に、生体システムとは「生きている体というシステム」だと言いましたが、この「宇宙生態系」とのつながりの中で考えたときには、それは「生かされている体というシステム」という言い方に変わります。
私たちが生かされているという事実、それが「生態系生体システム」のすべてを言い表しています。
そしてこの視点が、現代の医療に一番失われているものではないかと思うのです。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
・・・と言っても建てる作業のほとんどは地元で農業を営むOさん夫妻がやって下さり、ド素人の私共はOさんの指示に従って手伝うといった具合です。
この様に助けてくれる方々がおられるからこそ成り立つ「田舎暮らし」だとつくづく思います。
ありがたいことです。
しかしビニールハウスを建てて大正解だったと思います。
ゴールデンウィーク中の30℃に達する暑さとは打って変わり、ここ数日は震えるような寒さ。
朝晩はストーブを焚くような始末なので、作物の苗にとってはハウスがなければ厳しかったかも知れません。
興味深いのは、ゴールデンウイークの夏日のときは太陽の黒点数が異様に多く、その後ぐっと寒くなった今は黒点数がゼロという日が続いていることです。
http://swc.nict.go.jp/sunspot/
やはり地球は太陽系に属している以上、太陽の活動に支配されるのだろうなぁという感を強くしました。
ところで知人からおもしろいサイト情報が送られてきたので紹介します。
ギリシャの経済破たんに関したニュースです。
http://sakamoto.esthe-keieijuku.com/
新聞・テレビやインターネットで世の中の動きは知ることが出来ても、どうしても静かな田舎暮らしは、つい世界の情勢にうとくなってしまいます。
その様な時にポンと送られてくる情報には、ハッと刺激を与えられるものです。
さて地球上でどの様な事が起こっているのかを知る視点は非常に大切ですが、同時に宇宙規模でものを考える視点も大切でしょう。(どこかの首相夫人のように『金星から来た』というのは少々困りますが・・・)
本日は前回の続きで、生態系生体システムという概念の、とくに生態系ということについて書きたいと思います。
前回は人間を「生体システム」としてとらえる重要性について述べましたが、さらに重要なのが「生態系の中の」ということです。
世の中が環境問題に関心が向くようになってから、「生態系」という言葉をしばしば耳にするようになりましたが、生きている体というシステムもたった一人で生きているのではなく、必ず「生態系」の中の一部として生きています。
したがって「生態系生体システム」として考える必要があるのです。
「生態系」という言葉の意味を辞書で引いてみると、「ある地域の生物の群集とその背景となる無機的環境をひとまとめにし、物質循環・エネルギー流などに注目して機能系としてとらえたもの。地域により海洋生態系、都市生態系、地球生態系などに分ける」とあります。
簡単に言えば、ある地域の生物とそのまわりの環境を見たときに、両者の間には生物が生きるために必要な物やエネルギーの受け渡しが必ずあります。
それがどの様な働きでどの様に行なわれているかなどに注目しながら、それら全体を「系」としてとらえたものを生態系と言うわけです。
そして海洋という環境とそこに住む生物を中心に見るなら海洋生態系、都市という環境とそこに住む人間や動植物を中心に見るなら都市生態系・・・というように、どの地域で見るかで生態系の枠が変わるというわけです。
ではここで言う「生態系生体システム」における生態系の枠とは、一体どこを指すのでしょうか?日本でしょうか?それとも世界あるいは地球でしょうか?
実は「生態系生体システム」の生態系とは、「宇宙生態系」を指しています。
私たちの住む地球だけでなく地球が属している太陽系、その太陽系が属している銀河系、その銀河系が属している私たちの宇宙、私たちの宇宙が属しているその上の宇宙、その上の宇宙が属しているそのまた上の宇宙・・・と何処まで続くのかはわかりませんが、そういう「宇宙生態系」を意味しています。
そしてその中で、太陽系、銀河系というそれぞれの段階が、それぞれ生体システムを成していると考えられています。
例えば太陽系は、「複数の惑星が有機的に関係しあい、全体としてまとまった『太陽系』という機能を発揮している要素の集合体」です。
ですから一つの生体システムです。
そして銀河系は「複数の太陽系の集合体」という生体システムです。
そして私たちの見ている宇宙は、「複数の銀河系の集合体」という生体システムです。
つまり宇宙生態系というものは生体システムが幾重にも重なった状態で、それらの間に物質やエネルギー循環が存在すると考えられるのです。
「でも生体システムとは『生きている体をもったシステム』なんでしょう?太陽系や銀河系は生物じゃないのに、何で生体システムなの?」と思われる方もいるかも知れませんが、そもそも「生きている体」とは一般的に考えられているものだけなのでしょうか?
生体システムという概念では、生理活動や繁殖活動をするものだけを生物とは考えていません。
先に述べたように複数の要素が関係しあい、全体としてまとまった機能を発揮している一つのシステムは、りっぱな生物であるととらえるのです。
ですから惑星の集まりである太陽系も生物、太陽系の集まりである銀河系も生物です。
また「宇宙生態系」は人間より大きな範囲を言うだけではありません。
私たちのからだの内側にも目を向けてみましょう。
人間を作っている要素の一つである臓器は、細胞の集合体です。
細胞は分子の集合体、分子は原子の・・・という様にやはり幾重もの生体システムの重なりが続いており、人間より大きい方向と同様に生態系を成しています。
ですから「宇宙生態系」とはマクロからミクロへ無限に続く領域を包括しているのです。
「まあ、言いたいことは分かった。だけど医療でたった一人の人間のからだを治そうというのに、そんな途方もない範囲を考えていったいどうするの?」という声が聞こえてきそうですね。
「それにそんなはるか彼方と実際に何かのやり取りをしているとは思えないし・・・」。
でもよく考えてみましょう。
植物という生き物は、光合成を通じて宇宙とのエネルギー循環をおこなっているという事実が現にあるのです。
そして人間のからだはその植物なしには作れないという事実が存在します。
たった一人の人間を治療するときに、この途方も無い範囲の「視点」を持つことがたいへん重要です。
逆に言えばこの母親と胎児をつなぐへその緒のような、宇宙生態系との「つながり」を見過ごしていることが、現代医療のさまざまな問題を生み出しているのではないでしょうか。
現在の日本の医療財政危機もまた、へその緒が希薄になり、生態系としてではなく人間という部分でしか物事を見られなくなった結果ではないかと考えます。
先に、生体システムとは「生きている体というシステム」だと言いましたが、この「宇宙生態系」とのつながりの中で考えたときには、それは「生かされている体というシステム」という言い方に変わります。
私たちが生かされているという事実、それが「生態系生体システム」のすべてを言い表しています。
そしてこの視点が、現代の医療に一番失われているものではないかと思うのです。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
16:16
2010年04月27日
生態系生体システム
5月になろうというのに気温の低い日が続いています。
種苗店を営んでいる患者さんが「予想はしていたが、予想以上の売上不振だ」とおっしゃっていました。
農家だけでなく、さまざまな産業が異常気象の影響をうけているようです。
当地は普通でも夜間の温度が低くトマトなどは赤くなれないのですが、このままの状態が続けばキュウリやその他の野菜も生育が難しくなるでしょう。
そこで地元で農業を営んでいるOさんが、我々のようなしろうとでも建てられるミニビニールハウスの作り方を教えてくれました。
ビニールハウスで少しでも温度を確保し、多雨による病害を防ごうというワケです。
「このような天候の年は突風が吹くことがあるから、支柱の根元はかすがいを咬ませて飛ばされないようにした方がいい」
という事も教えてもらいました。
長年の経験によるアドバイスは何よりも有難いです。
それにしても今年に入ってから世界各地の大地震、火山噴火と、この異様な気象状況はどうしたものでしょうか。
A県から毎月来院下さる患者さんがこんな事を言われていました。
「俺が子供のころ近所の拝み屋の婆っ様が言ってたことを覚えてるんだけどよ、日本という国土が養える人間の数より、今の人口は多すぎるんだって言うんだ。それでじゃあ何人ならいいんだ?って聞いたら、まあ7~8千万人だなって。」
国土という生き物が養える範囲の人間の数を超えているとは、生体エネルギーの過剰な消費を意味しています。
人口が増えただけでなく、昔にくらべ現代は贅沢になっている分、一人の人間が生活するのに消費するエネルギーの量も多くなっており、それも生体エネルギーの過剰消費につながっていると思われます。
日本という国土だけでなく地球それ自体も生き物ですから、自分の表面に寄生する生物がすごい勢いで生体エネルギーを消費していけば、これは少々考えざるをえない・・・となるのも当たり前かも知れません。
一定のサイクルで繰り返される氷河期や、恐竜の絶滅などは、この生体エネルギーの急速な消耗に歯止めをかける為の地球の営みのひとつとも考えられています。
友人の天七さんは10年以上前からこの状況を予告されていた(天七ブログタイトル『エネルギーが・・!』 http://ameblo.jp/jintuuriki/day-20100414.html )そうですが、
今さら遅いカモと思いつつも、目の前の自分が出来る事を一生懸命やっていくしかないでしょうね。
そして今まで自分の希望を満足させることだけにしか向いていなかった視点を、もっと広く生態系という範囲で物事をとらえるようにする必要があるかと思います。
前回の記事で『人類が真に「万物の霊長」と呼ばれるようになるためには、農業、医療をはじめすべての産業を通じてまず地球上の生体エネルギーを回復し、あらゆる命を育て高(貴)め直さなくてはならないと生体エネルギー概念では考えています』と書きましたが、
その為に大切なのが「生態系生体システム」という視点です。
この「生態系」は一般に言われるような地球生態系だけではありません。
人体内部のミクロの方向に向かった生態系と、人体から宇宙というマクロの方向に向かった生態系の両方を含んでいます。
そしてその中で視点をダイナミックに移動して、人類のあり方を考えるものです。この視点が医療だけでなくあらゆる産業に今、求められています。
この生態系に関する考え方については次回書くとして、今日はまず生態系生体システムの中の「生体システム」という事について考えたいと思います。
生体エネルギーについて勉強する生体システム実践研究会という会がありますが、その会員さんも、普段あまり「生体システムとは何ぞや?」と考えることは少ないのではないでしょうか?
生体システムとは「生きている体というシステム」のことです。・・・と言われても何のこっちゃ?ですね。
でも難しいことではありません。例えばあなたという存在はまさに「生きている体というシステム」です。
「システム」という言葉を辞書で引いてみると、「複数の要素が有機的に関係しあい、全体としてまとまった機能を発揮している要素の集合体。組織。系統。仕組み」とあります。
あなたは心臓や肺や胃などの臓器、また骨や血管や筋肉などの組織・・・と複数の要素が有機的に関係しあい、全体としてまとまった「あなた」という機能を発揮している集合体です。
従ってあなたを始め、すべての人間は「生きている体を持ったシステム」なのです。
実はこの「生体システム」という概念が、これからの医療にとって大変重要になってくると私どもは考えています。
「いや、からだの中の仕組みなどはもうとっくに医学で解明されているよ」と言われる方もいるかも知れません。
確かにそれぞれの臓器や組織の働きとお互いの関係性は現代医学でかなり解明されています。
しかし私どもが言いたいのはそういう事ではなく、「それら全体がまとまり、ひとりの人間として生きているとはどういうことか?」なのです。
言い換えれば「命とは何か?」と言ってもいいでしょう。
大学の医学部では有機的部品としての個々の臓器・組織・器官の働きや、互いの関係性は教えてくれます。
しかしそれらがなぜ見事に全体としてまとまり、一つの「命」としての動きをするのかは教えてくれません。
あなたの中の一体何が司令官として彼らをまとめているのでしょうか?
全身からフィードバックされてくる膨大な量のデータを逐次管理し、それに基づいて必要な情報や指令を流し、問題があれば即座に解決しようと動く、まるで地球上で一番精密なソフトウェアを持ったコンピューターのような存在は一体何なのでしょうか?
どんな最先端の医学でも、まだこの謎めいたシステムの全貌を解明していません。
ですから将来のお医者さんを育てる医学部でも教えてくれないのは当然でしょう。
医学部で教えるのは有機的部品としての人体の仕組みと、その病気の種類と治療法だけです。
「命」という生きている体のシステムや、逆に「死」とは何かというテーマについて教わったり考えたりすることは殆どありません。
生と死のどちらにも一番近いところにいる医療の現場でそれが無いということは、ある意味大きな欠損だろうと思われます。
その欠損とは単に人間としての思索が足りないとか、知識の狭い医者が育ってしまうという様な意味だけでなく、純粋に医学の発展の上でも足かせになっていると思います。
なぜならどんなにそれぞれの部品のことを知っていても、それらを一人の人間として生かしているのは生体システムだからです。
生きている体というシステムが何かという事が学問や技術として分からなければ、本当の意味の健康を確立することは難しいでしょう。
続く・・・
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
種苗店を営んでいる患者さんが「予想はしていたが、予想以上の売上不振だ」とおっしゃっていました。
農家だけでなく、さまざまな産業が異常気象の影響をうけているようです。
当地は普通でも夜間の温度が低くトマトなどは赤くなれないのですが、このままの状態が続けばキュウリやその他の野菜も生育が難しくなるでしょう。
そこで地元で農業を営んでいるOさんが、我々のようなしろうとでも建てられるミニビニールハウスの作り方を教えてくれました。
ビニールハウスで少しでも温度を確保し、多雨による病害を防ごうというワケです。
「このような天候の年は突風が吹くことがあるから、支柱の根元はかすがいを咬ませて飛ばされないようにした方がいい」
という事も教えてもらいました。
長年の経験によるアドバイスは何よりも有難いです。
それにしても今年に入ってから世界各地の大地震、火山噴火と、この異様な気象状況はどうしたものでしょうか。
A県から毎月来院下さる患者さんがこんな事を言われていました。
「俺が子供のころ近所の拝み屋の婆っ様が言ってたことを覚えてるんだけどよ、日本という国土が養える人間の数より、今の人口は多すぎるんだって言うんだ。それでじゃあ何人ならいいんだ?って聞いたら、まあ7~8千万人だなって。」
国土という生き物が養える範囲の人間の数を超えているとは、生体エネルギーの過剰な消費を意味しています。
人口が増えただけでなく、昔にくらべ現代は贅沢になっている分、一人の人間が生活するのに消費するエネルギーの量も多くなっており、それも生体エネルギーの過剰消費につながっていると思われます。
日本という国土だけでなく地球それ自体も生き物ですから、自分の表面に寄生する生物がすごい勢いで生体エネルギーを消費していけば、これは少々考えざるをえない・・・となるのも当たり前かも知れません。
一定のサイクルで繰り返される氷河期や、恐竜の絶滅などは、この生体エネルギーの急速な消耗に歯止めをかける為の地球の営みのひとつとも考えられています。
友人の天七さんは10年以上前からこの状況を予告されていた(天七ブログタイトル『エネルギーが・・!』 http://ameblo.jp/jintuuriki/day-20100414.html )そうですが、
今さら遅いカモと思いつつも、目の前の自分が出来る事を一生懸命やっていくしかないでしょうね。
そして今まで自分の希望を満足させることだけにしか向いていなかった視点を、もっと広く生態系という範囲で物事をとらえるようにする必要があるかと思います。
前回の記事で『人類が真に「万物の霊長」と呼ばれるようになるためには、農業、医療をはじめすべての産業を通じてまず地球上の生体エネルギーを回復し、あらゆる命を育て高(貴)め直さなくてはならないと生体エネルギー概念では考えています』と書きましたが、
その為に大切なのが「生態系生体システム」という視点です。
この「生態系」は一般に言われるような地球生態系だけではありません。
人体内部のミクロの方向に向かった生態系と、人体から宇宙というマクロの方向に向かった生態系の両方を含んでいます。
そしてその中で視点をダイナミックに移動して、人類のあり方を考えるものです。この視点が医療だけでなくあらゆる産業に今、求められています。
この生態系に関する考え方については次回書くとして、今日はまず生態系生体システムの中の「生体システム」という事について考えたいと思います。
生体エネルギーについて勉強する生体システム実践研究会という会がありますが、その会員さんも、普段あまり「生体システムとは何ぞや?」と考えることは少ないのではないでしょうか?
生体システムとは「生きている体というシステム」のことです。・・・と言われても何のこっちゃ?ですね。
でも難しいことではありません。例えばあなたという存在はまさに「生きている体というシステム」です。
「システム」という言葉を辞書で引いてみると、「複数の要素が有機的に関係しあい、全体としてまとまった機能を発揮している要素の集合体。組織。系統。仕組み」とあります。
あなたは心臓や肺や胃などの臓器、また骨や血管や筋肉などの組織・・・と複数の要素が有機的に関係しあい、全体としてまとまった「あなた」という機能を発揮している集合体です。
従ってあなたを始め、すべての人間は「生きている体を持ったシステム」なのです。
実はこの「生体システム」という概念が、これからの医療にとって大変重要になってくると私どもは考えています。
「いや、からだの中の仕組みなどはもうとっくに医学で解明されているよ」と言われる方もいるかも知れません。
確かにそれぞれの臓器や組織の働きとお互いの関係性は現代医学でかなり解明されています。
しかし私どもが言いたいのはそういう事ではなく、「それら全体がまとまり、ひとりの人間として生きているとはどういうことか?」なのです。
言い換えれば「命とは何か?」と言ってもいいでしょう。
大学の医学部では有機的部品としての個々の臓器・組織・器官の働きや、互いの関係性は教えてくれます。
しかしそれらがなぜ見事に全体としてまとまり、一つの「命」としての動きをするのかは教えてくれません。
あなたの中の一体何が司令官として彼らをまとめているのでしょうか?
全身からフィードバックされてくる膨大な量のデータを逐次管理し、それに基づいて必要な情報や指令を流し、問題があれば即座に解決しようと動く、まるで地球上で一番精密なソフトウェアを持ったコンピューターのような存在は一体何なのでしょうか?
どんな最先端の医学でも、まだこの謎めいたシステムの全貌を解明していません。
ですから将来のお医者さんを育てる医学部でも教えてくれないのは当然でしょう。
医学部で教えるのは有機的部品としての人体の仕組みと、その病気の種類と治療法だけです。
「命」という生きている体のシステムや、逆に「死」とは何かというテーマについて教わったり考えたりすることは殆どありません。
生と死のどちらにも一番近いところにいる医療の現場でそれが無いということは、ある意味大きな欠損だろうと思われます。
その欠損とは単に人間としての思索が足りないとか、知識の狭い医者が育ってしまうという様な意味だけでなく、純粋に医学の発展の上でも足かせになっていると思います。
なぜならどんなにそれぞれの部品のことを知っていても、それらを一人の人間として生かしているのは生体システムだからです。
生きている体というシステムが何かという事が学問や技術として分からなければ、本当の意味の健康を確立することは難しいでしょう。
続く・・・
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
14:56
2010年04月12日
医農一如
考えてみればもう2年半以上もTHDさんの「希望の星」ブログ集でお世話になっていますが、肝心の私どものタイトルである「医農一如」に焦点を合わせて書いたことがありませんでした。
そこで今回からそこら辺りをテーマにしばらく更新して行きたいと思います。
まず「医療」と「農業」は一体である。
それが「医農一如」という言葉に込められた意味です。
いま全国のお医者さんに「医療と農業はひとつなんですよ」と申し上げても、多くの人が「???」という反応を示されるでしょう。
実際に私どもも、土壌や植物生理など農業理論を勉強する前は、自分のかかわる医療が農業と深い関わりがあるなどとは思ってもみませんでした。
しかし「食餌療法」を通じて「食」というものに興味を持ち、さらにその「食」を支える産業である農業について知るようになると、農業のあり方が根本的に人の健康を左右することを痛感するようになりました。
その意味で、農業のあり方を考えることなしに日本の未来の医療はあり得ないと思っています。
そしてそのきっかけを作ってくれたのが、「生体エネルギー」概念による「生態系生体システムプログラム農法(通称プログラム農法)」です。
そこでしばらくは「医農一如」という私どもの考え方についてお話するとともに、「プログラム農法」について私どもなりの理解で紹介させて頂きながら、どのように健康や若さを維持していくかを提案したいと思います。
またそれだけでなく、「医農一如」の「一如」という言葉に秘められた深い意味についても、皆さんにご理解頂ければと思います。
本来「一如」という言葉の意味は、辞書によると「真理はひとつ」だそうです。
ではどんな真理で医療と農業はひとつなのでしょうか?
それは「すべての命を育て、高める働きが、万物の霊長としての人類に求められている役割だ」という真理です。
農業と医療はともに「すべての命を育て高める」大切な役割をになう産業なのです。
さてここで大切なことがあります。
それは「すべての命」の「命」とは、どれだけ長く生きたかという意味の命のことだけではないということです。
命とはその存在の持っている性質や品格、またどんな行動をするかなど、その存在の「あり方」すべてを命と考えます。
ですから「命を育て高める」とは、健康で長く生きさせることだけでなく、あらゆる角度から「生き方のレベルを上げる」ことを言うと思います。
よって「高める」を同時に「貴める」と書き、すべてのものをより尊い存在になるよう向上させることを言うのです。
そしてこの真理は、実は農業や医療だけでなくすべての産業に共通する真理です。
今の世の中を見まわしてみると、経済不安はもとより、地球温暖化や頻発する大規模な自然災害など、私たちの存在を根源から脅かすような現象が進行しています。
そしてそのような危機には関心がないかのように、地球上のどこかでいつも争いが起こっています。
また医療技術の発達にもかかわらず病人の数は減らず、むしろ昔にはなかった種類の病気も増えてきました。そして何でもすぐに訴訟を起こすなど人の心は殺伐とし、昔に比べて凶悪な事件も増えました。
たしかに生活は豊かで便利になりましたが、果たして「今は昔より確実に良い時代になった!」と自信を持って言えるでしょうか。
「すべての命を育て高(貴)める」という意味では、むしろ現代はあらゆるものの命が脅かされ、質が低下させられているように思えます。
そしてその責任の一端をになってきたのが、今日の便利な生活を生み出したすべての産業です。
産業とは産み出す業(わざ)と書きますが、多くの産業が優れた技術で便利な製品を生み出す一方で、ある「大切なキーポイント」を知らないが為に、あらゆるものの命を結果的に脅かしているのではないでしょうか。
ある大切なキーポイント、それは医療、農業を含めたあらゆる産業でいま決定的に不足している「生体エネルギー」です。
生体エネルギーとは、「生」きている「体」を作っている「エネルギー」のことです。
あらゆる産業が生み出した製品の生体エネルギーの劣化が、地球上のあらゆるものの生命を脅かし、存在の質を低下させていると考えられるのです。
人類が真に「万物の霊長」と呼ばれるようになるためには、農業、医療をはじめすべての産業を通じてまず地球上の生体エネルギーを回復し、あらゆる命を育て高(貴)め直さなくてはならないと「生体エネルギー」概念では考えています。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
そこで今回からそこら辺りをテーマにしばらく更新して行きたいと思います。
まず「医療」と「農業」は一体である。
それが「医農一如」という言葉に込められた意味です。
いま全国のお医者さんに「医療と農業はひとつなんですよ」と申し上げても、多くの人が「???」という反応を示されるでしょう。
実際に私どもも、土壌や植物生理など農業理論を勉強する前は、自分のかかわる医療が農業と深い関わりがあるなどとは思ってもみませんでした。
しかし「食餌療法」を通じて「食」というものに興味を持ち、さらにその「食」を支える産業である農業について知るようになると、農業のあり方が根本的に人の健康を左右することを痛感するようになりました。
その意味で、農業のあり方を考えることなしに日本の未来の医療はあり得ないと思っています。
そしてそのきっかけを作ってくれたのが、「生体エネルギー」概念による「生態系生体システムプログラム農法(通称プログラム農法)」です。
そこでしばらくは「医農一如」という私どもの考え方についてお話するとともに、「プログラム農法」について私どもなりの理解で紹介させて頂きながら、どのように健康や若さを維持していくかを提案したいと思います。
またそれだけでなく、「医農一如」の「一如」という言葉に秘められた深い意味についても、皆さんにご理解頂ければと思います。
本来「一如」という言葉の意味は、辞書によると「真理はひとつ」だそうです。
ではどんな真理で医療と農業はひとつなのでしょうか?
それは「すべての命を育て、高める働きが、万物の霊長としての人類に求められている役割だ」という真理です。
農業と医療はともに「すべての命を育て高める」大切な役割をになう産業なのです。
さてここで大切なことがあります。
それは「すべての命」の「命」とは、どれだけ長く生きたかという意味の命のことだけではないということです。
命とはその存在の持っている性質や品格、またどんな行動をするかなど、その存在の「あり方」すべてを命と考えます。
ですから「命を育て高める」とは、健康で長く生きさせることだけでなく、あらゆる角度から「生き方のレベルを上げる」ことを言うと思います。
よって「高める」を同時に「貴める」と書き、すべてのものをより尊い存在になるよう向上させることを言うのです。
そしてこの真理は、実は農業や医療だけでなくすべての産業に共通する真理です。
今の世の中を見まわしてみると、経済不安はもとより、地球温暖化や頻発する大規模な自然災害など、私たちの存在を根源から脅かすような現象が進行しています。
そしてそのような危機には関心がないかのように、地球上のどこかでいつも争いが起こっています。
また医療技術の発達にもかかわらず病人の数は減らず、むしろ昔にはなかった種類の病気も増えてきました。そして何でもすぐに訴訟を起こすなど人の心は殺伐とし、昔に比べて凶悪な事件も増えました。
たしかに生活は豊かで便利になりましたが、果たして「今は昔より確実に良い時代になった!」と自信を持って言えるでしょうか。
「すべての命を育て高(貴)める」という意味では、むしろ現代はあらゆるものの命が脅かされ、質が低下させられているように思えます。
そしてその責任の一端をになってきたのが、今日の便利な生活を生み出したすべての産業です。
産業とは産み出す業(わざ)と書きますが、多くの産業が優れた技術で便利な製品を生み出す一方で、ある「大切なキーポイント」を知らないが為に、あらゆるものの命を結果的に脅かしているのではないでしょうか。
ある大切なキーポイント、それは医療、農業を含めたあらゆる産業でいま決定的に不足している「生体エネルギー」です。
生体エネルギーとは、「生」きている「体」を作っている「エネルギー」のことです。
あらゆる産業が生み出した製品の生体エネルギーの劣化が、地球上のあらゆるものの生命を脅かし、存在の質を低下させていると考えられるのです。
人類が真に「万物の霊長」と呼ばれるようになるためには、農業、医療をはじめすべての産業を通じてまず地球上の生体エネルギーを回復し、あらゆる命を育て高(貴)め直さなくてはならないと「生体エネルギー」概念では考えています。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
16:56
2010年03月16日
性質(人間性・社会人性・産業人性)
以前このブログに、私どもがお世話になっている美容師さんの話を書いたことがありました。
Fさんという60歳代の女性ですが、「包丁1本~さらしに巻いて♪」(古い演歌なので若い人は知らないだろうな)の唄のごとく、カットばさみを手にはるばる長野まで来て、私どもの仲間の頭をスッキリさせてくれる人です。
スッキリというのは髪を切ってさっぱりする意味だけでなく、皆のこころの中も、肩の荷も軽くしてくれるという意味です。
そのFさんが今回みんなの髪を切って言ったことが、
「この1カ月の皆さんの髪の伸び方が普通じゃない!」
ということでした。
つまり今までよりも髪の伸びる速度が速いということです。
私どもがよく覗く伊勢白山道氏のブログに、最近は爪の伸び方が速いと書いてありましたが、今回ヘアーのプロが実感したくらい、爪と同様に髪の伸びる速度も速くなったというワケです。
Fさんは帰りぎわにこう言っていました。
「これからは多分、自分の役割をきちんと果たさない人は老化が加速すると思います」と。
いま時間の進み方が加速しているのはすべての人に共通ですが、その加速の度合いは共通ではないという意味でしょう。
自分のなすべき事を意識しないまま、ただ流されて生きる人にとっては、意識している人よりも時間はどんどん加速していくということだと思います。
Fさんはいつもこんな風に、自分の生活を振り返って考えさせられるヒントをちょこっと言ってくれるので助かるんですよね~。
「だけどさぁ、自分の役割とかなすべき事とか言われてもわかんないんだよねー。だってそんな才能も無いし」
いやいや、自分の役割とかなすべき事というのは、何も大それたことではないと思います。
勿論、優れた才能や仕事を通じて世の中の役に立っている人も多くいるでしょうが、世の中はむしろ私達のようなごくフツーの庶民がほとんどです。
ただ、ごくフツーの庶民でも父親、母親、夫、妻、子供、上司、部下、経営者、社員、etc.etc....というそれぞれの立場があり、その立場で当たり前にやるべき事をきちんとやっているか?という話だと思います。
自分で言いながら、耳が痛っ・・・。
以前知人からスティーブン・R・コビーという人の「8つの習慣」という本を頂戴したことがあります。
コビー氏は、全世界で成功した人物に共通している要素を調べ上げ、それを8つの習慣という形にまとめ、あなたもそれを行えば彼らの様に人生の成功者になれますよと本の中で説いています。
いかにもアメリカ人らしい合理主義だなぁと微笑ましく思いましたが、
その中でコビー氏もやはり、自分の立場を再確認し、その中でやるべき事を毎日少しでもやれと言っています。
少なくとも世界の成功者はそれをやっていたということですね。
私共は別に有名になろうとも成功者になろうとも思っていませんが、コビー氏の言っている成功者とは「人生を幸せに生きた人」という意味で受け取っています。
どんな人も皆、いくつもの役割(立場)を同時に持っています。
例えばある人は経営者という役割、父親という役割、夫という役割、そして親に対しては子供という役割、子供が結婚していたら舅という役割、親戚では、町内会では、友人同士では・・・と数えきれないくらいの役割(立場)を同時に持っています。
そして限られた時間の中では、ついつい自分が好む立場を優先してしまい、他の立場をおろそかにしてしまうのだ・・・とコビー氏は言っています。
例えば、仕事が好きな人は仕事に打ち込むあまり、家族に対して「オレがこんなに一生懸命働いているのにお前らは文句があるのかっ!」となってしまい、父親とか夫という立場を放棄してしまうんですね。
また奥さんは奥さんで子供の受験やら何やらで頭がいっぱいで、離れて住んでいる両親のことをすっかり忘れ、親にとっての子供という立場を放棄していたり・・・。
また経営者は稼ぐことに夢中でお客様の利益には関心が薄く、ほんらい経営者とは何かということを忘れていたり・・・とか。
まぁ誰もみな忙しくて大変なんですが、何も大それたことでなくとも、やるべき事というのは目の前にゴロゴロしているんですね。
だから才能が無くても大丈夫です、チャンスはいっぱいあります(笑)。
世の中に貢献しなければいけない!!と張り切って、かえってそういう事を忘れていることって多いんじゃないかなぁ。
そんな事を考えていたら、たまたまうちの医院の建物の設備関連でこんな事がありました。
今まで入っていた業者と競合する会社の営業マンがやって来て、今の会社よりもずっと安くすると言われたんです。
私共は安さよりも安全面が大切だと思っているので、どうしようか迷ったんですね。
そして念のため現在入っている業者に、安全面のサービス状況を確認したところ、建築当時に説明を受けたはずのシステムが全く機能していなかったことが分かりました。
それは業者側の怠慢によるものでした。(住んでいる側にはわからないんですよ)
そこで競合社の営業が売り込みに来たことをチラッと告げると、あわてて担当者がやってきてシステムを稼働する作業を行いました。
びっくりしたのはその作業を行っている最中に、競合社がどういう方法で接近してきたのかをしきりに尋ねるんです。
そして競合社は組合に入っていないので、行政からきびしく指導が行くはずだと言うんですね。
つまり、自分たちがおろそかにしていたという事実にはあまり関心がなく、競合社が売り込みに来たという事実を騒いでいるワケです。
担当者が帰ってから思いました。
「人の振り見て我が振り直せ」という教えかな・・・と。
自分達も自営業者として、お客様に対して成すべき事をしていない点が多々あるかもしれないと思ったんです。
マズイ。
生体エネルギーには、エネルギーを高める要素の一つとして「性質」という考え方があります。
その性質とは生まれ持っての性格という意味だけでなく、ここまで述べたような「立場をきちんとこなしているか?」という意味があります。
人間性、社会人性、産業人性と言います。
人間としてやるべき事をやっているか?
社会人としてはどうか?
産業人としてはどうか?ということですね。
ですから当たり前にすべきことをするのは時間の加速による老化を防ぐだけでなく、積極的に生体エネルギーをアップする手段でもあったんです。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Fさんという60歳代の女性ですが、「包丁1本~さらしに巻いて♪」(古い演歌なので若い人は知らないだろうな)の唄のごとく、カットばさみを手にはるばる長野まで来て、私どもの仲間の頭をスッキリさせてくれる人です。
スッキリというのは髪を切ってさっぱりする意味だけでなく、皆のこころの中も、肩の荷も軽くしてくれるという意味です。
そのFさんが今回みんなの髪を切って言ったことが、
「この1カ月の皆さんの髪の伸び方が普通じゃない!」
ということでした。
つまり今までよりも髪の伸びる速度が速いということです。
私どもがよく覗く伊勢白山道氏のブログに、最近は爪の伸び方が速いと書いてありましたが、今回ヘアーのプロが実感したくらい、爪と同様に髪の伸びる速度も速くなったというワケです。
Fさんは帰りぎわにこう言っていました。
「これからは多分、自分の役割をきちんと果たさない人は老化が加速すると思います」と。
いま時間の進み方が加速しているのはすべての人に共通ですが、その加速の度合いは共通ではないという意味でしょう。
自分のなすべき事を意識しないまま、ただ流されて生きる人にとっては、意識している人よりも時間はどんどん加速していくということだと思います。
Fさんはいつもこんな風に、自分の生活を振り返って考えさせられるヒントをちょこっと言ってくれるので助かるんですよね~。
「だけどさぁ、自分の役割とかなすべき事とか言われてもわかんないんだよねー。だってそんな才能も無いし」
いやいや、自分の役割とかなすべき事というのは、何も大それたことではないと思います。
勿論、優れた才能や仕事を通じて世の中の役に立っている人も多くいるでしょうが、世の中はむしろ私達のようなごくフツーの庶民がほとんどです。
ただ、ごくフツーの庶民でも父親、母親、夫、妻、子供、上司、部下、経営者、社員、etc.etc....というそれぞれの立場があり、その立場で当たり前にやるべき事をきちんとやっているか?という話だと思います。
自分で言いながら、耳が痛っ・・・。
以前知人からスティーブン・R・コビーという人の「8つの習慣」という本を頂戴したことがあります。
コビー氏は、全世界で成功した人物に共通している要素を調べ上げ、それを8つの習慣という形にまとめ、あなたもそれを行えば彼らの様に人生の成功者になれますよと本の中で説いています。
いかにもアメリカ人らしい合理主義だなぁと微笑ましく思いましたが、
その中でコビー氏もやはり、自分の立場を再確認し、その中でやるべき事を毎日少しでもやれと言っています。
少なくとも世界の成功者はそれをやっていたということですね。
私共は別に有名になろうとも成功者になろうとも思っていませんが、コビー氏の言っている成功者とは「人生を幸せに生きた人」という意味で受け取っています。
どんな人も皆、いくつもの役割(立場)を同時に持っています。
例えばある人は経営者という役割、父親という役割、夫という役割、そして親に対しては子供という役割、子供が結婚していたら舅という役割、親戚では、町内会では、友人同士では・・・と数えきれないくらいの役割(立場)を同時に持っています。
そして限られた時間の中では、ついつい自分が好む立場を優先してしまい、他の立場をおろそかにしてしまうのだ・・・とコビー氏は言っています。
例えば、仕事が好きな人は仕事に打ち込むあまり、家族に対して「オレがこんなに一生懸命働いているのにお前らは文句があるのかっ!」となってしまい、父親とか夫という立場を放棄してしまうんですね。
また奥さんは奥さんで子供の受験やら何やらで頭がいっぱいで、離れて住んでいる両親のことをすっかり忘れ、親にとっての子供という立場を放棄していたり・・・。
また経営者は稼ぐことに夢中でお客様の利益には関心が薄く、ほんらい経営者とは何かということを忘れていたり・・・とか。
まぁ誰もみな忙しくて大変なんですが、何も大それたことでなくとも、やるべき事というのは目の前にゴロゴロしているんですね。
だから才能が無くても大丈夫です、チャンスはいっぱいあります(笑)。
世の中に貢献しなければいけない!!と張り切って、かえってそういう事を忘れていることって多いんじゃないかなぁ。
そんな事を考えていたら、たまたまうちの医院の建物の設備関連でこんな事がありました。
今まで入っていた業者と競合する会社の営業マンがやって来て、今の会社よりもずっと安くすると言われたんです。
私共は安さよりも安全面が大切だと思っているので、どうしようか迷ったんですね。
そして念のため現在入っている業者に、安全面のサービス状況を確認したところ、建築当時に説明を受けたはずのシステムが全く機能していなかったことが分かりました。
それは業者側の怠慢によるものでした。(住んでいる側にはわからないんですよ)
そこで競合社の営業が売り込みに来たことをチラッと告げると、あわてて担当者がやってきてシステムを稼働する作業を行いました。
びっくりしたのはその作業を行っている最中に、競合社がどういう方法で接近してきたのかをしきりに尋ねるんです。
そして競合社は組合に入っていないので、行政からきびしく指導が行くはずだと言うんですね。
つまり、自分たちがおろそかにしていたという事実にはあまり関心がなく、競合社が売り込みに来たという事実を騒いでいるワケです。
担当者が帰ってから思いました。
「人の振り見て我が振り直せ」という教えかな・・・と。
自分達も自営業者として、お客様に対して成すべき事をしていない点が多々あるかもしれないと思ったんです。
マズイ。
生体エネルギーには、エネルギーを高める要素の一つとして「性質」という考え方があります。
その性質とは生まれ持っての性格という意味だけでなく、ここまで述べたような「立場をきちんとこなしているか?」という意味があります。
人間性、社会人性、産業人性と言います。
人間としてやるべき事をやっているか?
社会人としてはどうか?
産業人としてはどうか?ということですね。
ですから当たり前にすべきことをするのは時間の加速による老化を防ぐだけでなく、積極的に生体エネルギーをアップする手段でもあったんです。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
14:54
2010年03月07日
想造・創造・想像(その6)
昨日は気温20℃。
ぽかぽか春の陽気と思ったら!
今朝、起きてみたら雪景色。
いったいコレは何なんじゃーっ!
またハイチで大地震が起こったばかりなのに、すぐにチリでもそれを上回る大地震。
これもいったいどういう事だろう??
一説には、太陽からの電磁波が強力なときは、それによって地球の地殻も刺激を受け活動が活発になるという話がありますが。
相変わらず黒点の数は多いようです・・・。
さて年初よりのテーマ「想造・創造・想像」、今回は『想造』の解釈について。
『創造・想像』が「すでにある情報を元に何かを生み出すこと」であるのに対し、『想造』は「今までに全く無かったものを生み出すこと」と言われています。
この世に全く無かったものを生み出すとはどういう事だろう?と言うと、
例えば生体エネルギー技術では金属の融点を変える!ということをやってしまっています。
一般科学の常識では、金属の融点はゼッタイに変わらないとされています。
ですから生体エネルギー技術で実現した、金属の融点を自由に変えるという事実は、この世に今まで無かったことを生み出したことになります。
実際に、融点を高める処理をした金属を使い、高岡市の某工場が「鈴」を作ったことがありました。
その際作業者が通常どおりの作業をしたら、溶かした金属が「湯口」に近い所で固まってしまい、金型にまで流れていかず難儀したそうです。
「湯流れ」不良ってやつですね。
なぜそうなるかと言えば、
金属の融点(融ける温度)を高めたということは、逆に冷めたときは通常より高い温度で固まることを意味しているため、金型へ流れつく前に固まってしまうというワケです。
作業性が変ってしまうのは少々とまどいますが、融点が明らかに変わっていることを示した事例と言えるでしょう。
また生体エネルギー技術では、通常なら合金にならない組み合わせの金属どうしで、合金を作っています。
融点や沸点が大きく異なる金属どうしは合金に出来ないのですが、一方の金属が溶けるまで、もう一方の金属に「おまえ蒸発しないで待っとれや」が出来るのだそうです。
これも今までは不可能だったことを可能にしたのですから『想造』ですね。
その他にも化学組成をまったく変えることなく毒性のあるものを無害化したり、驚くような『想造』を次々と実現しています。
そしてその『想造』なることは誰か特殊な一人だけが出来るのではなく、私たち一般ピープルも全員ができるはずなのだそうで、その為の勉強会が生体エネルギー研究所主催で行われています。
ちなみに勉強会の名称は「想造量子宇宙論講座」と言います。
その様な常識をくつがえすような『想造』が実現するのは素晴らしい事ですが、私共はまた、我々一般ピープルが自分の生活の中にあってなかなか解決できなかった問題をもし努力して解決できたら、それもりっぱな『想造』だろうと考えています。
THDさんが紹介されているヒューレン博士の「ホ・オポノポノ」などは、日常レベルでの『想造』を実現するためのとても分かりやすい方法論だと思います。
(本当の意味で実践するのはムツカシイですが・・・)
ヒューレン博士がおっしゃっている事は、
「目の前に起こるあらゆる問題は、すべてあなたの『記憶』が引き起こしているものです。その事を認め、『ご免なさい、許して下さい、愛しています、ありがとうございます』の4つの言葉をひたすら繰り返すことで記憶のクリーニングを行えば問題は解決します」
という事だろうと思います。
あれ?コレ、何所かで聞いたような・・・。
そうなんです。
年初からこのブログで紹介してきた、生体エネルギーで言うところの『創造・想像』なんですね。
『創造・想像』は「すでにある情報を元に何かを生み出すこと」で、日常生活の殆どはこの繰り返しだと述べてきました。
ですから『創造・想像』=『記録・記憶』を無くしたら、日常生活は成り立ちません。
『創造・想像』=『記録・記憶』がいけないのではなく、問題はそこから何を「生み出す」かなのです・・・とコレも以前書きましたが。
私共の勝手な解釈ですが、ヒューレン博士も多分、そういう事をおっしゃっているのではないかなぁ。
で、「ホ・オポノポノ」では記憶のクリーニングが出来ると、今まで閉ざされていた「神聖なる知恵」へのルートが開いて、問題解決のためのひらめきが降りてくると確か言っていたと思いますが、これが生体エネルギー的に言うと『想造』だと思うんですよ。
だから今までに全く無かったものを生み出すという『想造』は、ノーベル賞ものの発明やとんでもない奇跡を生み出す事だけではなく、我々のような凡人が生活の中で生み出すことも出来るんじゃないかと思うワケですね。
ただ、言うは易く行うは難し。
近藤会長の一冊目のパンクシアブックのホ・オポノポノにもずばり書いてありましたが、
神聖なる知恵からのひらめき、すなわち『想造』を起こすまず最初の条件は、
「目の前の現実はすべて自分が引き起こしている」と100%認めること。
(99%ではダメですというところがミソですね)
これが出来ないんですねー、なかなか。
ジョーダンじゃねーよ、どう見たってあいつが悪いに決まってるのに、何で自分が引き起こしてるなんて思わなきゃいけねーんだよっ!
・・・となりますねー。
で、腹の底はそう思いながら「ご免なさい、許して下さい、愛しています、ありがとうございます」って、
それじゃうまく行かないのは当然だ。
しかも4つの言葉でクリーニングしているつもりが、気がつくとじくじくと記憶・記録を引っ張り出して考えていたりして!
・・・とまぁこんな調子なので、本当の意味での実践はムツカシイですよ本当に。
ヒューレン博士は本当に出来ているから精神病の犯罪者をすべて改善させたんでしょうねぇ。
ちなみに友人の天七さん(霊能者です)が博士を霊視したら、素晴らしい大自然の景色そのもののように見えたそうですよ。
ところで宇宙には「作用・反作用」という法則があり、何かをすれば必ずそれに対する反作用がもれなく起こるものだと言われている事は、皆さんご存知だと思います。
すると『想造』でとんでもない現象を生み出したら、それに対する「反作用」はどうなってしまうんだろう?と私共はフト考えました。
生体エネルギーで言うところの『想造』は「天からの承認」がないと起こらないと言われています。
(ホ・オポノポノで言うとことの「神聖なる知恵」と同様でしょうかね)
それは逆に言えば、『想造』が起きたらそれはすでに天から承認されたということです。
では、反作用は?
たぶん、その『想造』を使って何をするかで決まってくるんじゃないのかなぁ?というのが私共二人で考えた結論でした。
2月3日の記事で紹介した大政さんの酸水素ガスにしても、偶然とはいえ、天からの承認があっての『想造』の産物ですよね。
ですからあとはそれを使って何をするかで「反作用」が決まるのだと思うのです。
生体エネルギー技術による様々な『想造』の産物にしても、我々一人一人がそれをどう使うかが重要ではないか・・・と思う今日この頃でした。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
ぽかぽか春の陽気と思ったら!
今朝、起きてみたら雪景色。
いったいコレは何なんじゃーっ!
またハイチで大地震が起こったばかりなのに、すぐにチリでもそれを上回る大地震。
これもいったいどういう事だろう??
一説には、太陽からの電磁波が強力なときは、それによって地球の地殻も刺激を受け活動が活発になるという話がありますが。
相変わらず黒点の数は多いようです・・・。
さて年初よりのテーマ「想造・創造・想像」、今回は『想造』の解釈について。
『創造・想像』が「すでにある情報を元に何かを生み出すこと」であるのに対し、『想造』は「今までに全く無かったものを生み出すこと」と言われています。
この世に全く無かったものを生み出すとはどういう事だろう?と言うと、
例えば生体エネルギー技術では金属の融点を変える!ということをやってしまっています。
一般科学の常識では、金属の融点はゼッタイに変わらないとされています。
ですから生体エネルギー技術で実現した、金属の融点を自由に変えるという事実は、この世に今まで無かったことを生み出したことになります。
実際に、融点を高める処理をした金属を使い、高岡市の某工場が「鈴」を作ったことがありました。
その際作業者が通常どおりの作業をしたら、溶かした金属が「湯口」に近い所で固まってしまい、金型にまで流れていかず難儀したそうです。
「湯流れ」不良ってやつですね。
なぜそうなるかと言えば、
金属の融点(融ける温度)を高めたということは、逆に冷めたときは通常より高い温度で固まることを意味しているため、金型へ流れつく前に固まってしまうというワケです。
作業性が変ってしまうのは少々とまどいますが、融点が明らかに変わっていることを示した事例と言えるでしょう。
また生体エネルギー技術では、通常なら合金にならない組み合わせの金属どうしで、合金を作っています。
融点や沸点が大きく異なる金属どうしは合金に出来ないのですが、一方の金属が溶けるまで、もう一方の金属に「おまえ蒸発しないで待っとれや」が出来るのだそうです。
これも今までは不可能だったことを可能にしたのですから『想造』ですね。
その他にも化学組成をまったく変えることなく毒性のあるものを無害化したり、驚くような『想造』を次々と実現しています。
そしてその『想造』なることは誰か特殊な一人だけが出来るのではなく、私たち一般ピープルも全員ができるはずなのだそうで、その為の勉強会が生体エネルギー研究所主催で行われています。
ちなみに勉強会の名称は「想造量子宇宙論講座」と言います。
その様な常識をくつがえすような『想造』が実現するのは素晴らしい事ですが、私共はまた、我々一般ピープルが自分の生活の中にあってなかなか解決できなかった問題をもし努力して解決できたら、それもりっぱな『想造』だろうと考えています。
THDさんが紹介されているヒューレン博士の「ホ・オポノポノ」などは、日常レベルでの『想造』を実現するためのとても分かりやすい方法論だと思います。
(本当の意味で実践するのはムツカシイですが・・・)
ヒューレン博士がおっしゃっている事は、
「目の前に起こるあらゆる問題は、すべてあなたの『記憶』が引き起こしているものです。その事を認め、『ご免なさい、許して下さい、愛しています、ありがとうございます』の4つの言葉をひたすら繰り返すことで記憶のクリーニングを行えば問題は解決します」
という事だろうと思います。
あれ?コレ、何所かで聞いたような・・・。
そうなんです。
年初からこのブログで紹介してきた、生体エネルギーで言うところの『創造・想像』なんですね。
『創造・想像』は「すでにある情報を元に何かを生み出すこと」で、日常生活の殆どはこの繰り返しだと述べてきました。
ですから『創造・想像』=『記録・記憶』を無くしたら、日常生活は成り立ちません。
『創造・想像』=『記録・記憶』がいけないのではなく、問題はそこから何を「生み出す」かなのです・・・とコレも以前書きましたが。
私共の勝手な解釈ですが、ヒューレン博士も多分、そういう事をおっしゃっているのではないかなぁ。
で、「ホ・オポノポノ」では記憶のクリーニングが出来ると、今まで閉ざされていた「神聖なる知恵」へのルートが開いて、問題解決のためのひらめきが降りてくると確か言っていたと思いますが、これが生体エネルギー的に言うと『想造』だと思うんですよ。
だから今までに全く無かったものを生み出すという『想造』は、ノーベル賞ものの発明やとんでもない奇跡を生み出す事だけではなく、我々のような凡人が生活の中で生み出すことも出来るんじゃないかと思うワケですね。
ただ、言うは易く行うは難し。
近藤会長の一冊目のパンクシアブックのホ・オポノポノにもずばり書いてありましたが、
神聖なる知恵からのひらめき、すなわち『想造』を起こすまず最初の条件は、
「目の前の現実はすべて自分が引き起こしている」と100%認めること。
(99%ではダメですというところがミソですね)
これが出来ないんですねー、なかなか。
ジョーダンじゃねーよ、どう見たってあいつが悪いに決まってるのに、何で自分が引き起こしてるなんて思わなきゃいけねーんだよっ!
・・・となりますねー。
で、腹の底はそう思いながら「ご免なさい、許して下さい、愛しています、ありがとうございます」って、
それじゃうまく行かないのは当然だ。
しかも4つの言葉でクリーニングしているつもりが、気がつくとじくじくと記憶・記録を引っ張り出して考えていたりして!
・・・とまぁこんな調子なので、本当の意味での実践はムツカシイですよ本当に。
ヒューレン博士は本当に出来ているから精神病の犯罪者をすべて改善させたんでしょうねぇ。
ちなみに友人の天七さん(霊能者です)が博士を霊視したら、素晴らしい大自然の景色そのもののように見えたそうですよ。
ところで宇宙には「作用・反作用」という法則があり、何かをすれば必ずそれに対する反作用がもれなく起こるものだと言われている事は、皆さんご存知だと思います。
すると『想造』でとんでもない現象を生み出したら、それに対する「反作用」はどうなってしまうんだろう?と私共はフト考えました。
生体エネルギーで言うところの『想造』は「天からの承認」がないと起こらないと言われています。
(ホ・オポノポノで言うとことの「神聖なる知恵」と同様でしょうかね)
それは逆に言えば、『想造』が起きたらそれはすでに天から承認されたということです。
では、反作用は?
たぶん、その『想造』を使って何をするかで決まってくるんじゃないのかなぁ?というのが私共二人で考えた結論でした。
2月3日の記事で紹介した大政さんの酸水素ガスにしても、偶然とはいえ、天からの承認があっての『想造』の産物ですよね。
ですからあとはそれを使って何をするかで「反作用」が決まるのだと思うのです。
生体エネルギー技術による様々な『想造』の産物にしても、我々一人一人がそれをどう使うかが重要ではないか・・・と思う今日この頃でした。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
16:35
2010年02月22日
変動因果律ということ
前回の記事の最後に『宇宙の劣化が引き起こしているサイクルの変動により、今までは自己チューな生き方をしていても何とかやって来れたが、これからはキビシイかも知れない』と言われているという事を書きました。
「何だよ~脅すような事言うなよ」
と思う人もいるかも知れませんが、別に脅している訳ではなく、救われたかったらこの壷を買いなさいと言ってる訳でもなく、そういう考え方があると言ってるだけの事です。
考え方というのは一人一人別々ですからね。
ビッグバンで宇宙が生まれた後、宇宙は膨張し続けているというのが一般の説ですね。
この「膨張し続けている」すなわち「広がり続けている」とは、生体エネルギーの観点から言うと「徐々に劣化している」ということなんです。
別の言い方では「ゆるくなって来ている」とでも言いましょうか・・・。
人間も、歳をとるとあちこちゆるみますよね。
逆に若いとき、すなわち生体エネルギーが高いときは引き締まっています。
例えば現実に、四国地方にある屋根瓦の製造をしている人が、同じ種類の同じ量の材料で、使う水だけ生体エネルギーの高い水と、普通の水という違いで2種類の瓦を焼いてみたそうです。
すると全く同じ条件で焼いたにもかかわらず、生体エネルギーの高い水を使った方が、普通の水のものよりサイズがひと回り小さくなり、しかし重量が増したのだそうです。
ひと回りと言っても素人には分かりにくいかも知れませんが、毎日焼いているプロの目から見れば明らかに違ったということです。
これは何を意味しているかと言うと、物の生体エネルギーが高いと内側に向かって引き付ける力が強くなり(万有引力が増し)、重さが増すということなんです。
人間が歳をとって、身体のあちこちがたるむなんていうのはまさにこの逆ですね。
生体エネルギーの低下で自分の細胞どうしが引き付けあう力が無くなり、地球の引力に逆らえなくなった証拠ですね。
したがって、宇宙が広がり続けているとは、宇宙も歳をとって劣化しているということなんだと生体エネルギーの観点では考えられている訳です。
けして宇宙が成長しているのではないと・・・。
・・・で、いったん話を『時間の単位』というテーマに切り替えましょう。
生体エネルギー学問では、物質の単位が変わると時間の単位も変わると考えられています。
私達の細胞は分子が集まって出来ています。
よって細胞という単位から一段階小さいのが分子という単位ですね。
分子より一段階小さいのが原子という単位、原子より一段階小さいのが素粒子という単位・・・というように、この物質世界は幾段階もの「集合単位」が「入れ子」状態になって出来ています。
で、その「単位ごとに使われている時間の単位がちがう」と生体エネルギーでは考えているんです。
例えば、水分子たちが使っている時間の単位と、我々人間が使っている時間の単位は違うというワケですね。
水分子は、自由水では10のマイナス12乗秒に1回場所を移動すると言われています。
10のマイナス12乗秒に1回などと言ったら、我々人間から見たらとんでもない速さですが、水たちにしたら別に全然速くも何ともないというワケです。
ちょうど私たちがフツーにヨッコラショと動いて隣りの人と場所を入れ替わるのと同じように、水たちは感じているのだと推測されるのです。
何故なら時間の単位がまったく違うから・・・。
では今は人間からミクロの方向へ時間の単位を考えましたが、これをマクロの方向に考えてみましょう。
分子が原子を内包し、細胞が分子を内包し、人間が細胞を内包している様に、もし人類を、または我々の宇宙を手のひらに乗せている存在がいたとしたら・・・。
(孫悟空の話では、お釈迦様がこの世界を手のひらに乗せていましたね。)
やはり我々とは使っている時間の単位が違うと推測されます。
手のひらの方が多分ゆっくりで、我々人間は水分子のような速さなんでしょう。
以前「私たちを内包している存在が普通に動いたとしたら、中にいる私たちは振り回されて大変だよな」と思っていたのですが、時間の単位がまったく違えば「手のひら」の運動などは我々から見れば超スローモーションですから、影響は無いんですよね。
・・・で、話を最初に戻しまして、
宇宙単位の劣化ということは、イコール我々の宇宙を手のひらに乗せている存在の劣化ということですね。
あちらさんの単位にしてみればスローな劣化でも、こちらにしてみれば劣化の速度が早いんですよ。
世の中が急速に悪くなっているというのは、何も地球環境の悪化のせいだけじゃない、時間の単位のせいで、手のひら側のわずかな劣化がこちらにはガツンと来ているんだと考えられるというワケです。
説明が長くなりましたが、その事を生体エネルギーでは「変動因果律」と呼んでいます。
前回の記事で「記録を元に自分が何を『そうぞう』するかが問題」ということで、「8割が煩悩というそうぞう」と言われていると書きましたが、
そういう自己チューな『そうぞう』をしている最中というのは、自分を作っている生体エネルギーがずるずると漏れて無くなって行ってる状態なんですね。
で、今まではその調子で漏れ失っていってもまぁ普通に歳をとるか、普通に病気をするくらいのテンポだったんですが、これから少々事情が異なり、いきなりガツンと来るかも知れないと予想されているワケです。
「因果律」というのは、自分が『そうぞう』したものが「因子」となり、それが「縁」を結んで「果」となり自分に返って来るという、宇宙の当たり前の法則のことです。
そのテンポが実は過去から未来へずーっと一定ではなく、手のひらの事情により大幅に変動することもあるらしい、だからダラダラ甘ったれてんなヨと言われているという事を、今回は紹介しました。
気を引き締めて、反省!
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
「何だよ~脅すような事言うなよ」
と思う人もいるかも知れませんが、別に脅している訳ではなく、救われたかったらこの壷を買いなさいと言ってる訳でもなく、そういう考え方があると言ってるだけの事です。
考え方というのは一人一人別々ですからね。
ビッグバンで宇宙が生まれた後、宇宙は膨張し続けているというのが一般の説ですね。
この「膨張し続けている」すなわち「広がり続けている」とは、生体エネルギーの観点から言うと「徐々に劣化している」ということなんです。
別の言い方では「ゆるくなって来ている」とでも言いましょうか・・・。
人間も、歳をとるとあちこちゆるみますよね。
逆に若いとき、すなわち生体エネルギーが高いときは引き締まっています。
例えば現実に、四国地方にある屋根瓦の製造をしている人が、同じ種類の同じ量の材料で、使う水だけ生体エネルギーの高い水と、普通の水という違いで2種類の瓦を焼いてみたそうです。
すると全く同じ条件で焼いたにもかかわらず、生体エネルギーの高い水を使った方が、普通の水のものよりサイズがひと回り小さくなり、しかし重量が増したのだそうです。
ひと回りと言っても素人には分かりにくいかも知れませんが、毎日焼いているプロの目から見れば明らかに違ったということです。
これは何を意味しているかと言うと、物の生体エネルギーが高いと内側に向かって引き付ける力が強くなり(万有引力が増し)、重さが増すということなんです。
人間が歳をとって、身体のあちこちがたるむなんていうのはまさにこの逆ですね。
生体エネルギーの低下で自分の細胞どうしが引き付けあう力が無くなり、地球の引力に逆らえなくなった証拠ですね。
したがって、宇宙が広がり続けているとは、宇宙も歳をとって劣化しているということなんだと生体エネルギーの観点では考えられている訳です。
けして宇宙が成長しているのではないと・・・。
・・・で、いったん話を『時間の単位』というテーマに切り替えましょう。
生体エネルギー学問では、物質の単位が変わると時間の単位も変わると考えられています。
私達の細胞は分子が集まって出来ています。
よって細胞という単位から一段階小さいのが分子という単位ですね。
分子より一段階小さいのが原子という単位、原子より一段階小さいのが素粒子という単位・・・というように、この物質世界は幾段階もの「集合単位」が「入れ子」状態になって出来ています。
で、その「単位ごとに使われている時間の単位がちがう」と生体エネルギーでは考えているんです。
例えば、水分子たちが使っている時間の単位と、我々人間が使っている時間の単位は違うというワケですね。
水分子は、自由水では10のマイナス12乗秒に1回場所を移動すると言われています。
10のマイナス12乗秒に1回などと言ったら、我々人間から見たらとんでもない速さですが、水たちにしたら別に全然速くも何ともないというワケです。
ちょうど私たちがフツーにヨッコラショと動いて隣りの人と場所を入れ替わるのと同じように、水たちは感じているのだと推測されるのです。
何故なら時間の単位がまったく違うから・・・。
では今は人間からミクロの方向へ時間の単位を考えましたが、これをマクロの方向に考えてみましょう。
分子が原子を内包し、細胞が分子を内包し、人間が細胞を内包している様に、もし人類を、または我々の宇宙を手のひらに乗せている存在がいたとしたら・・・。
(孫悟空の話では、お釈迦様がこの世界を手のひらに乗せていましたね。)
やはり我々とは使っている時間の単位が違うと推測されます。
手のひらの方が多分ゆっくりで、我々人間は水分子のような速さなんでしょう。
以前「私たちを内包している存在が普通に動いたとしたら、中にいる私たちは振り回されて大変だよな」と思っていたのですが、時間の単位がまったく違えば「手のひら」の運動などは我々から見れば超スローモーションですから、影響は無いんですよね。
・・・で、話を最初に戻しまして、
宇宙単位の劣化ということは、イコール我々の宇宙を手のひらに乗せている存在の劣化ということですね。
あちらさんの単位にしてみればスローな劣化でも、こちらにしてみれば劣化の速度が早いんですよ。
世の中が急速に悪くなっているというのは、何も地球環境の悪化のせいだけじゃない、時間の単位のせいで、手のひら側のわずかな劣化がこちらにはガツンと来ているんだと考えられるというワケです。
説明が長くなりましたが、その事を生体エネルギーでは「変動因果律」と呼んでいます。
前回の記事で「記録を元に自分が何を『そうぞう』するかが問題」ということで、「8割が煩悩というそうぞう」と言われていると書きましたが、
そういう自己チューな『そうぞう』をしている最中というのは、自分を作っている生体エネルギーがずるずると漏れて無くなって行ってる状態なんですね。
で、今まではその調子で漏れ失っていってもまぁ普通に歳をとるか、普通に病気をするくらいのテンポだったんですが、これから少々事情が異なり、いきなりガツンと来るかも知れないと予想されているワケです。
「因果律」というのは、自分が『そうぞう』したものが「因子」となり、それが「縁」を結んで「果」となり自分に返って来るという、宇宙の当たり前の法則のことです。
そのテンポが実は過去から未来へずーっと一定ではなく、手のひらの事情により大幅に変動することもあるらしい、だからダラダラ甘ったれてんなヨと言われているという事を、今回は紹介しました。
気を引き締めて、反省!
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
16:35
2010年02月15日
想造・創造・想像(その5)

最近、我が家の庭をどうも鹿がウロウロしているらしいです。ここ数日雪の上に、隣りの林からずっと偶蹄類らしき足跡が付いているんです。
食べ物を探して山から下りてきているのだろうと思われますが、昨冬まではありませんでした。
兵庫の知人が鹿に畑を荒らされる被害に困っていますが、この辺りもそうなると困るなぁと少々心配しています。
最初の写真は長野・新潟県境にある「妙高高原」から野尻湖方面を望んだところ。
この日は前日まで大雪で、たまたま居合わせた建物の屋根に1mほど積もった雪がすごい幅で落下し、目の前で2人の人が埋もれました。
すぐ周囲の人達が掘り起こし助けたので、命に別状は無く怪我も無かったようですが、精神的にはショックだったんじゃないかと思います。
ニュースによると、この日の前夜は志賀高原のホテル前で雪崩れが起き、車15台が埋もれたそうです。
観光バス2台も押し流されたのですが、そのバスが盾になったお陰でホテルの被害は少なかったとのこと。
そうかと思えば2日後には4月並みの暖かさになり、我が家の敷地の雪はあっと言う間に1日で溶け、その翌日には雨が降ったのちに気温が急降下。
写真のように樹氷の世界になりました。
このような急激な天候の変動の理由はわかりませんが、とにかく太陽が顔を出したときと出さないときの気温の差が極端なのを感じます。
ちなみに独立行政法人「情報通信研究機構」の「宇宙天気情報センター」によれば、昨年12月から太陽の黒点の数が急に増えています。
http://swc.nict.go.jp/sunspot/
黒点が多い=太陽の活動が活発ということだそうです。
さてテーマ「想造・創造・想像」ですが、前々回の記事の最後に『「創造・想像」は「すでに在る情報」すなわち「記録」から「何かを生み出す」ことですが、何を生み出すかが問題』・・・と書いたので、その続きを行きたいと思います。
「記録」が磁気的にこの空間に残るのはもう仕方がないとして、人間がそこから日々生み出す情報の比率が、どんなにマシでも「利己」が8割、「利他」が2割だそうです。
どんなにマシでもと言うことは、意識していなければ殆どが「利己」が10割ということです。
何を根拠に8割とか2割と言うんだよ~と言われるかも知れませんが、まぁ数字を使って表わした方が分かりやすいということで、生体エネルギー学問ではよく数字や記号や数式などを使うんです。
「利己」というのは「自分だけを利する」という事で、「煩悩(愚かさ・欲望)」と言い代えた方が分かりやすいでしょう。
この「煩悩」というのがまた複雑で、人間なら生きるために誰でも持っている「食欲(食べたい)」「睡眠欲(眠りたい)」「呼吸欲(息をしたい)」の三欲がまず基本で、そのあとに様々な自分の利益中心の愚かな考えや行動が来ます。
ちなみに禅宗のお坊さんがする修行のメニューには三欲のうちの二つが入っていますね。
食べない修行と眠らない修行です。
さすがに呼吸をしないというワケにはいかないので二欲までですが・・・。
何故そんな事をするのかと言ったら、生み出すものの8割の方を消したい為に、まず基本の二欲を離れることをやろうというのだろうと思います。
私共も以前(全断食はキツイので)半断食を4日間やったことがありますが、断食明けてしばらくは身体が自然に悪い食べ物を受け付けなくなって驚きました。
包装の材料表示を見て「これは悪そうだなぁ~」と思っても、気持ち(欲望)は「食べたい!」ので口に入れたのですが、喉が閉まって食道に下りていかないのです。
たった4日間の半断食でも、身体は「賢さ」を取り戻せるんだなぁと実感しました。
ダメなのは気持ち(生体エネルギー用語では「思考態」と言う)の方ですね。
これがすべてをダメにするんだなぁとよく分かりました。
しかしその時よく分かったにも関わらず、その後半断食をやろうとしても続きません。
何故なら意志が弱く食い意地が張ってるからです。
いやいや実に、煩悩を生み出す方が8割、意識しなければ10割というのは本当だと思いますね。
さて「煩悩」というのは基本の三欲に始まって、さらに自分の利益中心の愚かな考えや行動が来て・・・とそこまでは分かりますが、このあとに来るのが生体エネルギー学問によれば「自分では良い事をしていると思ってやってしまう間違い」なのだそうです。
「え~、そんなぁ。だって良い事をしようとしてやってるんだろー?それも煩悩だと言われたらツライよね」
確かにそうなんですが、相手の立場にたってよくよく考えてみると、こちらは好意でやっていることも実は迷惑かも知れなかったり、良かれと思って援助したことがかえって相手をダメにする結果になったりという事はままあります。
すると結局は「自分では良い事をしていると思っている」ことは「煩悩」だったという事になります。
あ、それからよくやってしまうのが「良い人と思われたくて良い事をする」です。
むつかしいですね。
だからどんなにマシでも本当の「利他」を生み出すのは2割しかないんでしょうね。
京セラの稲盛会長(最近は日本航空再建の指揮官に任命されて話題になった人)が、何か事を起こそうとする時に必ず熟慮するのが「私心なかりしか?」だとよく言われています。
「KDDI」を起こす前にも「自分がやろうとしている事には果たして私心が少しでも混じっていないだろうか?」と考えたと、或る講演会で話されていました。
「私心」、すなわち自分の利益を考える心が少しでもあれば、どんなに良く見える事でもそれは良いことではないという訳です。
いやはや・・・自分たちは日々「私心」ばかり「創造・想像」しておりますなぁ・・・。とほほ。
さてこの様に今までは8割~10割の煩悩製造機でも何とかやって来れたのですが、これからは少々事情がちがうらしいという事が生体エネルギー学問では言われています。
それは宇宙の劣化が引き起こしているサイクルの変動によるものだそうです。
次回はその事について書きたいと思います。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
14:14
2010年02月03日
想造・創造・想像(その4)
この冬は我が家の地域は雪が少なくていいなと思っていたら、昨晩はまとまった雪が降り積もりました。・・・と言っても北信地域の3mに比べたら可愛いもンです。
朝、車寄せの雪かきをしなくちゃなぁ~と外を見たら、何と!すっかり雪が除かれているではありませんかっ!
(医院の車寄せは数十メートルあり、人力で雪かきをしたら死にそうな距離なのです!)
どうやら地域の除雪担当のMさんが、道路の除雪のついでにやってくれたようです。
豪雪地帯は自治体の除雪車が出ますが、そうでないこの辺りは、住民で大型トラクターを持っている人が道路の除雪を担当しています。
早速Mさんに御礼の電話をしたところ、何と!昨晩は一泊の人間ドッグで総合病院に泊まっていたところを抜け出し、夜中の2時に雪かきをしてまた病院に戻ったとのこと。
担当とは言え、何という責任感の強さ!と頭が下がることしきり・・・。
こういう事が普通に出来ないと、多分この辺りでは暮らせないのだろうと思います。
地域には色々な役割りがあり、夏には全戸総出で道端の草刈りがあります。
それもハサミや鎌なんて可愛いものじゃぁ追いつかない規模なので、全員ビーバー(ガソリンで円盤型の刃が回転する草刈り器)持参が鉄則です。
慣れていなければ大怪我に通じる器具で、当然、我が家は使ったことがない・・・。
そんなこんなを地元の皆さんが見越して、ここへ移転してきた当初から区費を多く納める代わりに地域の仕事を免除して頂いています。
その分、ヤワな私共でも出来る何かで役に立つことを考えねばなぁと思っています。
ところで知人のS氏から興味深いメールが届きました。
「このほど水から液化ガスを抽出することに成功した日本人の発明家が現れました。
その人の名を大政龍晋さんと言います。
あの町の発明家を輩出してきた、東京都大田区の1中小企業、日本テクノと言う会社の社長さんです。
大政さんの動画 http://www.youtube.com/watch?v=SnK0qs9k_ic 」
ということで、早速その動画を拝見しました。
見る限りでは驚きです。
社長さんは「なぜこういう事が起こるのか理由は分からない」とおっしゃっていますが、今継続して記しているテーマ「想造・創造・想像」から言えば、まさに想造(今までにない情報から何かを生み出すこと)ですね。
たまたま振動型攪拌機と電気分解を組み合わせたら出来てしまった偶然のようですが、そこまでの段取りはこの社長さんがやってきたことに間違いなさそうです。
我々は水素2個と酸素1個が結びつけば必ず「水!」という固定観念がありますが、生体エネルギー学問的に見ればそうではないんです。
生体エネルギー学問では、すべての存在は「空」が生体エネルギーを使って様々な材料をひとつにまとめて作っていると仮説しています。(厳密には「空」は真総理完空というムツカシイ名前が付いています)
水も「空」が水素2個と酸素1個を生体エネルギーを使ってまとめ、それらではない新たな「水」という物語を作っている状態と考えられています。
したがって、同じ水素2個と酸素1個が材料でも、水ではない異なる物語を「空」が作ってもおかしくはない・・・と、多分生体エネルギー的には言うんじゃないかなぁと思います。
タダ・・・「空」がなぜその様な行動を取ったのかはやっぱり謎です。
それはなぜ「水」が作られたかが分からないのと同じですね。
(*このブログにおける生体エネルギーに関する記述はあくまでも私共個人の解釈です。正しく生体エネルギーについて知りたい方は、生体システム実践研究会のサイトにアクセスされることをお勧めします。)
Posted by 渋谷夫婦 at
09:59
